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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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朝、窓の外から声がした。
外といってもここはマンション。
ベランダに出て下を見下ろした。
何かの打ち合わせでもしているのかと思ったら
段々声が荒くなる。喧嘩腰。
ひとりは犬を連れている。

ああ。多分マンションのペット委員会の人たちだ。
委員がマナーの悪い飼い主に注意しているのだろう。
しかしどちらも感情的になって声は大きくなる。
日曜日の朝7時である。感覚的には早朝だ。

マナーを守らない飼い主が悪い。
それはもう論じるまでも無い。
彼が悪い事前提で。

しかし である。
ペット委員会(正式名称は違うと思う)にも問題あると思うんだ。
勝手に発足し、何の権限でか知らないが
「登録料」「引き綱料」などの名目で一匹につき1000円徴収。
我が家は犬猫いないから関係ないのだが
それでも「?」な話である。
私欲を貪っているとは言わないが
だからといって何をやっても許されるものでもないだろう。
そりゃ「マンションの秩序を守る」「衛生管理」など大義名分は立派だ。
そしてかねてよりマナーの悪い飼い主にはうんざりさせられてもいた。
だから行動の主旨も集金も認めるさ。

でもさ。
「自分達は正しい」「みなの為にやっている」ってふんぞり返りが嫌なわけよ。
人間は謙虚であるべきだと思うの。

前も子供会でボランティアに接した時に
時間を堂々と破られて
「いや それ サービスでも何でもないから」と思った。
勝手にレクの時間を延長されたら後の進行に困るだろ。
しかもその後の片づけを彼らは「やり過ぎた」わけで。

営利じゃないから ボランティアだから
って何をやってもいいってもんじゃない。
無償だからこその責任ってものもある。
有償だったら報酬を払わないというペナルティも課せるが
無償の場合はそれがないんだから尚更気を配るべきだと思う。

学生の時に点訳のボラをやって
つくづく奉仕する側も受ける側も互いの気持ちを大事にしなければと
難しいなあと思った。
行為が正しければ正しい程、自身を振り返る事って必要なんじゃないか。
明白に間違った事なら誰かが正してくれるけれど
一般的に正しい事ならば誰も注意してくれないもの。

まあ 今全く世間に奉仕していない自分に
他人を批判する権利もないものだけど。
でもボランティアって行動よりも理念が難しいと思うの。
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娘に対して過保護である。
自覚はあった。
あったが、今のうちだからといろいろ世話をやいていた。
罪滅ぼしの気持ちもあった。
幼少期には厳しくしつけ、小学校に入って直ぐには
担任の言葉を真に受けて「もっと頑張らなきゃ」とせっついて
高学年になってひと息ついたところで
私はネット同人にハマって家族をほったらかした。
6年の時だっただろうか。
はっと「これではいけない」と気づいて、以来過保護。

この年頃の娘に対しての過保護というのは
親の負担はそれほどのものでもないのだ。
「目の届くところに留めておける」という意味でむしろ楽でさえある。

子供を自由にしてやるというのは
親の監視がなくなっても
或いはないからこその自制ゆえ
子供が道を外さないという信頼を意味する。
同時に
子供が親の意に染まないことをしたとしても
それが子供の自我なのだからと容認する余裕をも意味する。

だからもういい加減過保護をやめなければならない。
そう分かっていても手を出してしまう。

駄目な親にはなりたくないんだけどな。
 

マンションの隣の家には小さな子供がいる。
エレベーターが違うから顔を合わせる事はない。
でも声はよく聞こえる。

母親が働いているのか、祖父母が昼間世話をしている。
ベランダでの会話の比較をすると面白い。
祖母の場合。
「洗濯ばさみをふたつ とって下さいな」
「ああ ありがとう(大袈裟に) じゃあ 次はね」
「はあい 全部終りました ○○ちゃんが手伝ってくれたから 助かりました」
などなど。これをいちいち大声でゆっくり仰って下さるわけですよ。

母親の場合。
「あああ もう ちょろちょろしないで」
「わかった わかりました。後でね 今忙しいの」
「だから 余計なことしないで って言ってるでしょ!」

いやあ。経験済みだから分かるんですよ。
別にお母さん悪くないと思います。仕方ないよね。
むしろおばあちゃんの方にこそ私は苛つきます。

まあ 祖母に限らず母親でもこういう応対する人いますよね。
おっとりと子供をおだてておだてて
なんで毎日の事なのにやってられるかなと思いますが
たとえやれても私はやりたない。

娘とぎょうざを包みながら
「役にもたたん子供に手伝わせるのなんかごめんだね。
ずっとつきっきりで見てなきゃいけなくて 手間も倍かかるのに
自分が切ったにんじんを誰かが食べるたび
『それ ○○ちゃんが切ったのお』って得意げに言われるんだぜ?
でもって『助かったわあ』なんて相槌打たされるんだぜ」
と喋ったら
「親として それどうよ」と言われた。

ああ。そう思うなら あんたはチビがきに手伝わせればいいさ。
何の役にも立たないのにふんぞりかえる子供に育つだろうさ。

子供は誉めて育てるなんて 私は認めないぞ!
三歳まで子供は動物。調教あるのみ。
誉めるのはもーっと後になってから。
 

「散々探したけど どこにも診察券ないわよ」
と突然母が言った。
散々探すってベッドから動かない(動けないとちゃう)あんたに
どこに探せる場所があるんだ。
「診察券なら一枚私が持っているし もう一枚も保険証んとこにあるよ」
「ないないってあんたが言うから」
言ってねえよ! 前に私が持ち歩く分の診察券を寄越せと言ったから
これは必要だからって返事しただけだよ。
どうしてもって言うなら別に一枚あるでしょうと。
「大体 自分で何もしないんだから 必要ないでしょう。
邪魔だけど財布の中に入れておいた方が便利だからそうしてるんだけど?
クレジットカードじゃあるまいし 持ってたって一文の得にもならんわ」

そうなのだ。
どうして母のために私が持っているのに
なんでその名義が母のものだというだけで泥棒扱いされるんだ?
診察券に限った事じゃない。
実家のものを持ち出す時、それは100パーセント実家のためであるにも関わらず
何か咎められている気がする。
ゴミでさえチェックされていた(まだそこそこ動けていた頃)。

私が返したのは正論である筈だが、母は黙るのが嫌だったらしい。
「でも二枚目の診察券は私がお金を出して再発行してもらったんだから!」
…そう。以前になくしたと思ってもう一枚作ってもらった。だから二枚ある。
しかしそれが何だ? 誰のための診察券だよ!
お金を払って再発行して貰ったのは私のためじゃないし
お金を払っているからといってゴールド扱いされるわけでもないし
とにかく私は全く利益を得ていないんだよ! 好き好んで持ち歩いてねえよ!


リフォーム会社にハウスクリーニングも頼んだんら
床をきれいに磨き上げてくれた。
跡が残るだろうと思っていた箇所も丁寧に掃除してあった。
壁紙は張り替えたのだが薄暗く感じられた室内が、掃除後明るくなった。
頼んでよかった(まだ請求きてないけど)。

中途半端な改装になってしまったから見栄えはあまりよくない。
引っ越してきたら絶対難癖つけるんだろうなと今から憂鬱である。
まあお金をかけて完璧にしたらしたで「無駄遣い」って言われるんだから
何をどうしても同じなんだ。

車椅子を早く引けば「危ない」と言われ
ぎりぎりまで待てば「早くどかせ」と言われ
とにかく文句言わなきゃ気が済まないんだから此方が割り切るしかない
んだけどさあ。

はああ。今日もまたこれから実家である。
あのシーツの半分以上雑誌やお菓子で隠れているベッドを見る度
ムカつくやら情ないやら。
そもそも起き上がり補助のための電動ベッド。
あれでは起こせない。
(てかその状態で自力で起き上がれるという事は以前より痛くないという事で
本当ならば『ねたきり』の認定は受けられないはずなんだが…)


「私のぐうたらは自覚あるぐうたらだけど
あの人は自分のぐうたらを絶対認めない。だから崩しようがない」
ぐうたらしたいなら「私は頑張り屋」なんて言うな!
 

カテゴリに「あらし」を加えようかしら?

テレビを見ながら。
「えー でも(メンバーの)誰かひとりとデートって言うなら あいばくんだよねえ」
「一番楽に会話出来るもんね」と私と娘。
だが息子は
「俺 おおのくんだもん」と言い張る。
「沈黙が辛いよ」
「釣りするからいいもん」

並んでほのぼの釣り糸を垂らす。まあ いいかもね。

 

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