木の洞にひとりごと
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詳細読んでないけど
「天罰」を「警告」とすればよかったんじゃないのか。 言いたかったのは本当はそれなんじゃないのか。 青少年なんたらでケチつけられたのが頭にあって ソドムの町とかの事考えてて あの発言になっちゃったのかしら。 「これは我欲に塗れた現代人への警鐘だ。 ギネス記録を誇った防波堤も天災の前には無力だった。 バベルの塔は無残に砕かれるものなのだ。 制御可能と言い切りながら、暴走する核の手綱を取れずにいる。 それは人類の手に余るものではなかったのか。 これを教訓とし 驕り昂ぶる気持ちを諌めてこそ 犠牲は活かされる。 爪あとを被災地だけの問題に留めてはいけない。 これは天から下された警告なのだ」 とかなんとか。 PR
原発を推進した者が作業しろ!
社長以下重役は現場に入れ! あああ! もう あったまくんなあ! 東電であれ他の電力会社であれ 原発が安全だと言い張るのなら発電所の横に家を建てろ。 そこに家族を住まわせろ。 電気が足りないのならそう通達してくれたらいい。 今でも街には余計な灯りが溢れている。 ライトアップなんか要らない。夜が明る過ぎる。 今必要であろうとなかろうと日本中に節電させるがいい。 被爆した自衛官が軽度でありますように。 作業する人たちが無事でありますように。 安全と言い張る人たちを現場に立ち合わせるべきだ! この人災がなければ! 停電が首都圏の不安を煽って買い溜めに走らせ それが物資不足を引き起こしてるんじゃないか。 電気さえ通れば! それだけでも被災者の気持ちはうんと和らぐ。 廃止した火力発電所が残っていたら状況は少しは違ったんじゃないか。 原発より他の発電所の方が停止から活動までの時間は短いんじゃないか。 チェルノブイリ以前の炉を何故使い続けるのか。 古い炉の安全弁は本当に有効だったのか。 素人を納得させるだけの説明をしてくれ! 一番説得力があるのは「安全と言い張る人間の現場入り」だよ!
鬱々と気が晴れない。
景気づけに募金だ! (不謹慎だとか言わないで下さい。 被災者のためと言えるほどの金額じゃないんだもん) などと考えていたら子供達が起きてきた。 娘は春休みにふじきゅうだねずみだと言っていた。 どちらも休園である。 「行ったつもり募金でもしたらあ?」 「なにそれ」 「行ったつもりでその分の費用 募金するの」 「そういうお母さんは募金するの?」と息子。 「貯金箱の中身を」 「おおっ」とどよめく二人。 え。そこまで反応する? 「そうかあ 私も出先で募金して来ようかなあ」と娘。「とりあえず1000円?」 「で お母さんは500円」と息子。 そう。500円玉貯金箱とはいえ、一枚しか入ってなかったら 全部出しても500円。 失礼な奴らだ。 さっき数えたら6500円あった。 大島弓子のまんがに五百円玉を入れると「リンゴーン」と鳴る 募金箱が出てきた。あれがあるといいな。 募金って幾ら出したら『募金』って言えるのだろう 自分の中で。
節電して計画停電して
覚えればいい。 今より2割電気を使わない生活を。 そうして原子力発電なんてやめてしまえ。 地震は天災、津波も天災。 でも発電所の不具合は人災。 コンビナートの火災も気になるけれど 放射能汚染はその比じゃない。 事故なんかなくても原発には反対だった。 電気が足りないと言うのなら 使用電力を減らす努力をすればいい事じゃないか。 昔は電器製品などなくても生活できた。 全部を放棄する事は難しいけれど、少しの我慢なら出来る。 今。それを経験すればいい。 理不尽に思える天災だけれど それを教訓として活かしてこそ、報われる何かもある。 安心して飲める水のない生活より、 少しだけ電気の不足する日々の方が絶対いい。 地震報道で落ち込んでいるせいか 耐震構造らしくあまり感じなかったそうで。 実家の庭に倉庫を置いて非常食とか備蓄するのが 一番いいんじゃないかと思わないでもないが、 非常食の困るところは定期的に入れ替えなければならない という事である。 一年のうちで日を決めて、その日は古くなった非常食を食べる事にする。 今回揺れてる中で何も出来なかった自分。 ひとりだったせいもあるが、 (子供がいる時は急いで玄関開けに走った) いざ逃げるとしても持ち出すものに迷いが生じた。 咄嗟に動けるもんじゃない。 |
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