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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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と散々どきどきさせられた電話待ち。
ぶっちゃけ数日前からの憂鬱だった(週末はさんでたからさ)。
それが呆気なく5分で終った。

「そのフォルダは自動的に出来るものです。
無闇に削除しないで下さい。
あ そのフォルダ(別の件も訊いた)も消しては駄目です。
動作が遅くなるのはメモリが少ないからで仕方ないです」
で終ってしまった。

メールではそんなこと言ってなかったぞお。
中身を全部消せって言ったぞ。
最初に「そういう状況が一部で起きている」って言い方したぞ。
それはセキュリティだからか? アンチヴィルスでは普通なのか?
そこんとこ確かめておけばよかった と今気づいたが 遅い。

ああ。もう 嫌いだ。
自分の馬鹿さ加減を見せられるのってホントやあね。
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シマ○ティックからの電話待ちなんです。
メールでやりとりしていて
最後に何となく次の質問したら「電話で応対します」と返信が来た。
ついでに訊きたい事もあるし 電話番号と日時を送り返したんだ。

パソ作業に自信がなく
特にインストール関係はやりたくない。
画面に何らかの警告とか出るととたんにびびる。
「いいですか?」の確認になかなか「はい」が押せない。
だから困った事があってもサポートセンターに電話するのは苦手。
「こんなアホな事訊いていいのかしら?」ってのもあるし。
だからこの電話待ちも結構どきどきしてるんだぞ。

知人はすぐに電話する。
なんか羨ましいぞ。

大体が今回の一件も もっと早くに電話するなりメールするなりしておけば
何週間も悩まずに済んだんだよな。

要はセキュリティの更新によってどんどんフォルダが溜まって
決して大きくはない我が家のパソの容量を喰いまくり
ついには動かなくなって漸くやばいと気づいてあれやこれや捨てまくった。
セキュリティ関係のフォルダは捨ててはいけないと思ったんで
使用頻度の低いソフトとか古いファイルとか。

もう捨てるものはない という段になって
セキュリティソフトをアンチヴィルスに入替えようと決め
でも万が一それでもフォルダが削除できなかったらと思ってメールしたら
「セーフモードに切り換えて全部捨てて下さい」って返事がきた。
ええ? 捨ててもいいの? って言われたとおりにやったら
なんと! 10ギガ! ふざけんな! (我が家の容量は13.9)だった。

その後いろいろあって
アンチヴィルスに入替えてもやっぱりその余計なフォルダは次々発生し
なんでだよ!(って別に捨ててもいいならどうでもいいんだけど)って訊いたら
上記の「電話します」になったわけで。

9時半に起動して 10時から待っているんだが ちっともかかってこん。
まあ午前中の約束だから12時までは午前中なんだけどさ。
ちょろちょろっと日記書いたりメール読んだりぐらいはいいけど
エロ小説を書き始めるわけにもいかず。

無駄に過ごしている。ああ 勿体無い。

まあ電話代向こうもちで相談できるならラッキーてなもんだけどさ。

あのフォルダが出来る頻度が結構高いなら
サポートサイトに注意書きのひとつも載せて欲しいもんだ。
私みたいにせっせと必要なファイルまで捨ててしまう馬鹿だっているかも知れない。

シマにとっては「普通分かるだろ」レベルのことで悩んでいるユーザーって多いと思うよ。
スタッフに素人を何人か加えるべきだと思うね。

うあああ。
なんか自分の苦手分野の専門家と話すのってすっごい嫌だ。
パソもだけど
化粧品店とかブティックの店員も苦手だ。
私の知らない事をあたかも「世間の常識」的な喋り方するのやめてくれえ。

って早く電話してこんかい! シマ!
 

息子が行方知れずでわたわたしていた時電話が入った。
慌てて出たら近所の子(っても高校生)で「作文用紙ない?」だった。
あるけど息子も使ったから残り2枚。
「2枚でもいいや。まずそれだけ書く」と取りに来たけど
なんせそれずーっと前に私が自分用に買ったやつだから古い。
新しいのと混ぜたら色違うかもよ?と言った。
原稿用紙くらいコンビニに売ってないかしら?
「どうかな。どうしよう。どうしたらいいと思う」と訊く。
「お母さんいないの」
「いる」
「んじゃ お母さんに聞きなさい。その2枚要るならあげるから」

私にしか出来ない事ならやってあげるし相談にも乗るけど
そんなのは親の仕事でしょう。
本を貸してとか書き出しが決まらないって言うのなら聞いてあげるさ。

なんて考えて、前に読んだ新聞の投書を思い出した(長い前振りだ)。
本屋で自分の子供に絵本を読んでいてあげたら
別の子供も寄ってきた。その子の母親はこれ幸いとその場を離れ雑誌を見に行った。
釈然としないでいたら自分の子供がその子の手を引き、
雑誌コーナーまで連れていってその子の母親に「ちゃんと面倒みるの」と引き渡したと。

おいおい。
自分は正しい母親みたいな態度だけど
そもそも「本屋で絵本を子供に読む」ってどうよ?
そういうコーナーのある本屋なのかな? 違ってたらすごい非常識だぜ?
でもって他人の子に読み聞かせるのを渋ってるけど
そこで自分が投げ出したからといって読んであげるような母親じゃないわけだろ。
だったらたとえ少しでもその子に愉しい思いをさせてあげようと思わないかな。
私は両側に他人の子を抱えて病院の待合室で本を読んだりしてたよ。
見知らぬ子が寄ってきたらその子にも見えるように絵本の向きをかえたよ。

社会が子育てに冷たいと言うのなら
せめて子育て中どうしぐらい優しくしてあげればいいじゃない。
癒された分どこかでその人も優しくできるかも知れない。
 

今 何かひとつ願い事を言えと言われたら
「ぽっくり死ねますように」と答えちゃいそうだ。

旦那の知人の奥さんが倒れて蘇生され現在脳死状態。

その話に限らず新聞などで高齢者が「奇跡的に」命をとりとめた
と報道され、それがあたかも素晴らしいニュースであるかのように扱われる。
だが今の医療でその先の面倒みてくれるのかしら?と疑問だ。
脳卒中などが原因で障害が残ったとしても病院を追い出されるという記事を読んだ。
例の医療改正の延長だ。

最後まで面倒を見切れないのならどうして助けるんだろう?
どうして世間はそれをもてはやすのだろう?
安っぽいヒューマニズム。
「奇跡的に」とりとめた命を最後まで大切に扱う気がないのなら
そんな奇跡要らない。

死なせてくれ。

こんなこと考えなきゃいけない自分も嫌だが(まだ高齢者じゃない)
そう仕向ける社会もどうかと思う。

夢の中で母親が折れた。
着替えのTシャツを用意していたら別のが欲しいと言った。
「欲しいから買ってきて と言うのなら買って来るよ」と応えた。

他人の為の買い物は迷うけれど嫌いじゃない。
私はシニア向けの服が好きだから自分で着れないのを
結構愉しんで選べる。
(サイズがでかいのが難といえば難だが 選択範囲が狭いのも嫌いじゃない)

でも何度も嫌な目にあったから頼まれるまで二度と買わないと決めたんだ。

夢の中で母は「じゃ 頼める?」と言った。「悪いね」と。
他にも何かして欲しい事を「そうしてくれると助かる」と並べた。
夢の中で私は喜んで「いいよ」と言った。
目が覚めた瞬間はすごく晴れ晴れした気分だった。
けどそれは夢であって現実じゃない。

ショートスティ先から電話があった。
痛み止めをいつ使用するかという問い合わせだった。
こちらにそんな電話があった事はかつてない。
理想は正午前後だが、その日の体調でアバウトになってる筈だし?
「実家の方は通じませんでしたか?」と何気に訊いたら
すごく困った声で「そうですね。そちらが先ですよね」と言った。

ああ。母親がこちらにかけろと言い張ったのだ。
私を信頼してのことじゃない。
「娘がうるさい」とか何とか施設の人に言いたくてそうしたのだ。
私が何を言っても聞く気なんかないくせに。

先日の通院の際に医師や看護婦に言われた事も全く実行していない。
結局自分に都合のいい事しか受け容れないのだ。
耳に痛い話はブロック。
それでいて「私は頑張り屋だ」と言い張る。一日中ごろごろ寝ている人のどこが?

夢の中で母親は病院で一生懸命立とうとしていた。

目が覚めて数秒後 「夢か」と思った時の無気力感、たまんない。
 

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