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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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半日で帰ってくる。お昼御飯を家で食べる。
テスト中はおやつを手作りするのでネタを考えなきゃいけない。
買い物に行かなきゃいけない。

注文しておいた本(マンガだが)が二冊届いている。取りに行かないと!
娘の予防接種の問診票も貰いに行かないと。

月曜日はお疲れ休みでのんびり したいんだけど。
明日以降のこともあるからそうも言ってられない。と言いつつパソコンが消せない。

テストが終っても今度は順番に個人面談だもんな。
面談そのものはともかく半日になるのがな。
中学なんか先週は二者面談で半日だったんだぜ? 今度は三者で半日。
そんな暇に授業しろと言いたい。

いかん。タイムリミット 過ぎてる。

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死刑執行も殺人だ。加害者を殺しても被害者は生き返らない。
というのが死刑廃止論者の言い分でもある。
でも遺族にだって人生の続きはある。
中には家族が殺された日で時間が止まっている人もいるのだ。
失った家族は戻らないけれど、どこかで区切りをつけて時計を進めたい。
それが死刑執行だとしたらそれによって救える生もあるという事。

殺人事件じゃなくても被害者の方がより被害者であるという事実を最近知った。
より被害者って変な言い方だけど他に見つからない。
受動的とでも?
謝罪するのも反省するのも犯人側で、それを強要しても意味がない。
実際的な補償もそうだけれど精神的なそれすらも満足に受けられない。
その上加害者の人権まで主張された日にゃ、被害者の人権はどうなる!だ。
殺人の場合被害者は当人だけじゃない。遺された人々もまた被害者だ。
被害者遺族 どころではなく 完全な被害者だ。被害者は救済されるべきだろう。

じゃあ 遺族が犯人の助命をした場合はどうなるんだ。
ってどうなんだろう?
殺された本人の無念は他人には分からない。遺族に助命する権利があるのか。
本人なら許すだろうと断言できるほどの理解があったかどうか?
うーん。
手術中は身内が病院にいなくてはならないので
時間つぶしを用意しておこうとネットで注文したが
お目当てが届くのは一週間以上先で、
送料等の節約のため注文した二冊の方が先に届くらしい。
これを持っていくのはなあ…
パズル雑誌だけじゃ飽きるよなあ。ソファで寝るか。

手術が終るのを待つのは何度目だろう?
旦那で二回、息子で二回、母親で二回父親で一回? 姉で一回。
息子の一回目はさすがに緊張して廊下で待ってた。
全身麻酔だから術後平手打ちで目を覚まさせられる。当然子供は泣き叫ぶ。
これを宥めるのが大変で、いろいろ切なくて(やっぱ可哀相だよ)。
一回目はそれでも眠ってから手術室に入ったからよかったけど
二回目はさすがに不安げに起きていた。手術室の前で親と引き離されたから
扉の向こうで泣くのが聞こえてくる。これは辛いよ。

乳幼児の入院・手術はほんーっとに大変。
症状が重ければ重いでそれも大変なんだろうけど
回復に向かっていてもそれはそれで大変(元気だから)。
子供が絶食中は親も一食か二食。それも数分で掻き込む感じ。
(それでも痩せないってどうよね)
退屈してぐずるからこっちも気が狂いそうになる。
やっと昼寝したというところに見舞いなんか来た日にゃ!
(その時くらい寝たりゆっくり過ごしたりしたいじゃんよ)
大きな病院なら院内散歩とか売店めぐりとかあるけど
しょぼい売店が一個あるきりの病院だったからエレベーターで上下するくらい。

まあそれに比べれば成人の入院なんてね。
深刻じゃなきゃどうって事ないわけよ。

姉の手術は深刻だったんだけど
母親は待ち時間の間、姉のベッドで寝ていた。
見回りの看護婦さんが「体力蓄えておかなきゃね」って笑ったけど
まだ疲れてないだろう。なんで寝れるかなあ。それも病人用ベッドで。

私の神経が細すぎるんじゃなくて
あんたの神経が太いだけだと私は思う。
分かったからもういいけどね。同じ感覚だと思うからいけないんだって。
どっちが正しいとかじゃなくてさ。
(どっちかというと私の方が間違っているぽいけどさ)

うん。だから私は手術の心配より暇つぶしの用意に細心するのさ。

息子の国語の授業用の本を探しに本屋へ。
ハードカバーは高いから文庫で探せと言いながらぐるぐる。
一番安上がりなのは自宅の本棚から選ぶのだが
息子に合いそうなのはない。一応見たけどこっちも勧めようがない。

北村薫の新刊を見つける。新刊たっていつ出たのか分からないくらいだが
とりあえず読んだ事のない話なので購入。
シリーズのやつ。
ちょっと飽きてきているのだが、やっぱ買っちゃうよね。
んで。
「これ一作目だったらこんな書き方したかしら?」が感想。
読者がついている事分かってるから、んでもって支持されている自信があるから
って部分はどの作家にもあるんだろうけどさ。
シリーズの持ち味ってもんがあるじゃない。
それを大事にするのがプロの仕事だと思うのよ。
一行一文字にこっちはお金払ってるんだからさ。
…なんて事を感じてしまうようになったから本も買えない。

もう一冊買ったのは死刑のはなし。
手元にあるのは古いので制度が変わったかしらと買ってみた。
構成は素人っぽいけどいろいろ考えさせられる一冊だった。

存続か廃止か。
冤罪さえなければ存続。
改心して別人のようになった死刑囚を殺すのは人道的ではないかもだし
それに関わる刑務官の心情を考えるといろんな意味で残酷かなとも
思わないでもないけど
ふと「死刑の判決によって死と向き合わなかったら 改心はなかったんじゃないか」
と思いついてしまったのだ。

死を突きつけられ、初めて被害者の恐怖とか無念とかが実感され
謝罪の気持ちが込み上げてくるんじゃないかと。
その悔恨も改心も「死刑判決」がなければなかったのだとしたら
死刑にも意味はある。
それで折角生まれ変わった人間を殺さなきゃいけないのは辛い
という問題は残るけど、それなら被害者はどうなんだ その遺族はどうなんだ。
死刑判決・死刑執行まで遺族の闘いは終らない。

SFで洗脳によって完全に人格を抹消し、書き換え別人にするって「処刑」もあるけど
こうなると「死」の定義が焦点になってくる。
死刑に犯罪抑制力があるかどうか。それによって与えられる「死」の意味。

犯行の時死刑を意識して躊躇する事はあまりないらしいが
死刑によって迎える死が、ただの死ではないことをもっと知らしめるべきだ。
被害者の死は大方一瞬だが
死刑囚のそれはそうじゃない。
死刑の恐怖はむしろ死そのものより、そこに至る過程にあると思う。
だがそれを想像する人間が果たしてどれだけいるか。

抑制力がなくても制度としての死刑は残すべきだと思うけれど
それが正しいと言い切れるわけじゃない。
改善されるべき点はたくさんあるしね。

そうそう。今回一番の衝撃だった「いつ 執行を知らされるか」の問題もね。
以前は前日か前々日で、最後の晩餐も最後の面会も許されていたけど
この本によると「当日の朝。執行一時間前」なんだそうだ。
明日がない恐怖を毎日味わうってどうなんだろう?
でも眠れない夜の恐怖もどうなんだろう?
死刑囚の家族はどうなんだろう?
仮にその日家族で遊びに行って、後から執行を知らされたら
どんな気がするだろう。
まあ それは被害者遺族も同じなのだけど。
くだらん事で腹を立てております。
って心底くだらんと思っているなら腹も立たないのだけど
自分ではくだらなくなんかないもん!って思うから腹が立つ。

って。見ろ。文までぐちゃぐちゃじゃんかよ。
この頭でどうやって端整で硬質な(と誉められました)文章が書けるんだよ。

昨夜旦那に「明日スポーツ新聞買いに行く?」って訊いた。
旦那は返事を躊躇したから「あ 行かないつもりなんだ」と思い
「わざわざならいいよ。行くならついでに牛乳って思っただけなんだ。
野菜ジュースあるからどうでもってわけじゃないから」と言った。
今朝起きたらスポーツ新聞と印刷しておくレースの指示メモだけがあった。
ぶち。
「コンビニ行くんなら なんで牛乳買ってきてくれないのよお!」

ええ。どうあろうと競馬だけはやるんだもんな。
スポーツ新聞買いに行かないわけがないんだよな。
気を遣った私が馬鹿だったよ。

んで? 結局旦那は急いで牛乳買いに行ったよ。
それを置いてそそくさとボーリング行ったよ。けっ。

(休日早朝起床し、スポーツ新聞の競馬欄でその日のレースをチェック。
その後朝一番で5ゲーム1000円のボーリングに行き
戻って、私が印刷しておいた9時半の競馬データを整理しながらパソ作業。
実家に行って昼過ぎ戻ってまた競馬。夕方までパソ占領である。
夕方外食に出るか買い物に行くか で一日終る)

私が日曜日なんかなくていいと思ったって罪じゃないぜ。
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