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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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腹を立ててばかりも進歩がないと分かってる。
出口を探していろいろ考えたりもする。

自分の攻撃性は実は自信のなさからきている。
高慢に見えるのはコンプレックスの裏返し。
ガードがきついから同情も理解もして貰えない。
それでもいいと思ってきたけど、とにかく今までと同じでは何も変えられない。

まず自信を取り戻すこと。
自分は絶対人並以下じゃない。心の底からそう信じること。

旦那や子供に「信じられない」「馬鹿じゃないの」と呆れられる。
でも親にかけられた暗示による思い込みというのはそれほど強いんだ。

5の並んだ通知表を受け取る子供は決して馬鹿じゃない。
でもいつも5があるから通知表に5があるのは当たり前と思っている。
それは馬鹿でない事の証明にはならない。
学年で10番は決して悪い成績ではない。
でも親が「ふうん」と言ったら「ふうん」な結果なわけだ。

「あんたは逆上がりが出来ないから公立中学には行けない」
といわれて私立中学を受験した。
それも周囲に言わせれば「なんでそれで納得できる?」だ。
うーん。その時は疑問にも思わなかったんだよ。
しかも入れられた私立中学は市内で一番体育指導が厳しい学校だった。
私は鉄棒の自主トレに通った。
それでも私立にしか通えなかったのは自分のせいで
授業料を払ってくれた親には頭が上がらない。
授業料だけでも負担なんだから欲しい物があっても言ってはいけない。
だから自分でこっそり制服を縫い直したり靴に修正液を塗ったりする。

「不満があるなら言えばよかったじゃない」と娘は言う。
言っていた時期もあったさ。ずっと小さい頃。
でも言うだけ無駄 が続くと自己防衛本能も働いて諦める事を覚え
更には感じなくなる事を覚える。

もともと空想癖のある子どもだったから逃げ場には困らなかった。
布団に潜って泣くのが楽しかった。

「出来が悪い」「みっともない」って思い込んでいたから
何も望まない。それが当然だから卑屈にもならない。

だからまあ不幸だったわけじゃない。
姉貴の目には「幸せな子」に映っていたようだし(だから虐められた)。

なかなか自分を肯定できないだけ。
ネットを知って、そこにいる自分は肯定できるようになった。
誉め言葉も一杯貰ったし。
だから自分はもうこれでいいんだと思っていたけど
欠落している部分は今のうちに修復しておいた方がいいようだ。

でないと
「今のお母さんとお前の関係が そのまま娘とお前の関係になるぞ」。
うわ。それは困る。それは嫌だ。

自信を取り戻す事。
そうすればもっと自然体になれる。
攻撃も言い訳の武装も必要でなくなる。
相手を許す事もできる。自分ももっと好きになれる。

ネットではそれが出来ていたんだ。
引け目はやっぱりどこかにあったけど
でもそこにいる自分は自分の事を好きな自分だった。


ひとつずつ取り返していくしかないんだろうな。
「天才」「美人」「良妻」「賢母」「善人」と自分に言い続ける。
周囲を暗示にかけ、周囲の口からもそれを言わせる(相乗効果)。

既に笑い話だ…

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一週遅れです。
いつもは一回目ひとりで見て、夕方息子ともう一度見る んだが
今回は朝練がなかったため朝っぱらから息子と見た。
しまった! 泣きたいのに泣けないじゃないか。
最後の投球前のあのシーン。
分かっていても胸が締め付けられる。泣きたくなる。感動する。

その後の泉の格好いいのもそりゃ嬉しかったけど
やっぱあの投球直前の声のかけあい、花井の言葉、鳥肌がたつ。


さてさて。以降 愚痴まじりになるので警告。

三橋の両親はかけおち結婚。
うちも両親そうなんです。

かけおちするほどの恋愛して結婚して 今はこれかよ
って子供の頃思っていたので「結婚は絶対見合いでしよう」と決めてた。
男なんて!の気持ちと女子校育ちのせいと
あと二次元シンドロームとがあいまって男性を恋愛対象にした事がなかった。
姉が独身のまま病死して
幸い姉貴ほどに男性嫌悪もなかったから「さあ 見合いだ」って頑張った。
「親が離婚する前に決めておかないと不利になる」

「姉貴は葬式出して始末できたけど 私は結婚させなきゃ出せないもんね」
って父親に言ったこともありましたっけ。
結局私の結婚直前に父の母親が死んで、父が行き場をなくしたため離婚には至りませんでしたが。

でもあの思い込みがなければ結婚できなかったかも知れない。
親は全然動いてくれないから(売り込むのも恥ずかしい娘だったらしい)
自分で走り回ってあちこちの相談所に申し込んだ。
でもお金もないから無料のとこばかり(式関連の事務所とか農協!とか)。

大方の希望(年齢・最終学歴)を告げると資料を出してくれます。
私は5歳くらい幅持たせて希望を出し、自分が短卒だから大卒か専卒で。
どさっと置かれた資料を
「選び出す」ためじゃなく「除外する」ために見ていく。
条件に合う人なんて100枚あって数枚しか残らんのです。
条件たって高望みなんてしてません。
身長は自分より少しでも高ければ可。めがね可。
収入は食べていけるぎりぎり(当時で17~8万と言われた)あればよし。
「嫁に入る」ことは避けたかったので男の兄弟がいる人。
で残った書類の写真を最後に見て、気分で順番に並べ(第一~第三希望)受付に出す。

事務所の方で先方に打診してくれる。
駄目ならそのまま次の人に連絡してくれる。
OKなら会う日を段取りして事務所の部屋を一時間貸してくれる。
その日の返事は事務所を通すけどその後は当事者同士。
断れても断ることになってもメゲてる暇はありません。次に備えます。

乙女の夢もプライドもありません。
でもおかげで今の相手と巡り会えました。
恋愛結婚した両親より夫婦仲も家族関係も数段いいです。

娘には
「結婚相手を選ぶ時は 容姿や収入じゃなくて人柄を見なさい。
肩を揉んでくれる人かどうか見極めなさい」と言ってあげたい。
収入は自分で補えるけど 肩は自分で揉めない。
プレゼントを貰った時より 肩や腰を揉んでもらっている時が一番幸せ感じます。

男を顔で選んだ母は
私の結婚相手を最初に見た時絶句したそうですが。



先日娘と進路の話をしていて
娘に結婚願望があると分かってちょっと安心しました。
出来るかどうかは別として「結婚も悪くない」と思わせることができてるんだと。
「お父さんみたいな物好きは少ないだろうけど」だと。
馬鹿たり。世間には私の方が「物好き」と思われてるんだ!

慣れているので入院準備なんざ買い物含めて一時間でOK。
こんなこと慣れたくないです。

つきそいっても洗濯物抱えて昼食介助に行く程度だから
乳幼児のつきそいに比べたらどうって事ありません。

けどもう今回に限ってはやる気が出ない。
いつもはもっと必死になるんだけどな。


って以下 思いっきり毒吐き。
なんてったってもともとはそのためにココ借りたんだから。


自分の親は正しい 自分の親は少なくとも自分に対しては善意で接している
と信じたいというのは防衛本能だと思う。
違うんだと言い聞かせても無意識のうちにそれを前提にしている。

うちの親にはそこそこの資産がある。
我が家は薄給ゆえあんまりお金はない。
でも欲しいものもあんまりないので幸せである。

母親を笑わせるために楽しい話題を探して
そりゃやっぱ子供(孫)たちの話が一番だろと
「こーんなちっちゃな肉のためにもじゃんけんするんだよ」とか
「10グラムも違わない肉のトレイを並べて選ばせたら見事に多い方からとった」
というような笑い話をしたら
「いったい幾ら給料貰ってるの」と訊き返された。
なんでその質問が出るのか咄嗟に分からなかった。

私の意見をちっとも聞いてくれないから
でも私たちはあんな事もこんな事もこの家や両親のためにしたよ
私が考えて実行したことちゃんと結果出たでしょう って言ったら
「それだけの事はお前にしてやってるし 遺してやるんだからいいだろう」だって。

ショック。そんな風に考えてるの?
これから先どんなに頑張っても 相続するなら当然って思われちゃうの?

マンションを買うお金があったんなら
学生時代にせめてバイト代くらい好きに使わせて欲しかった。
うきうきと持ち帰ったバイト代を取り上げられた気持ち分かる?
「あんた名義で貯金した」っていうけど学生時代の10万と
今の100万とどっちが大事。
って意見したら「あんたは無駄遣いばかりしていた」だって。

ふうん。でも私 今 無駄遣いなんてしてないよ(マンガは子供だって読むもん)。
私覚えてるんだけどな お母さんが指輪衝動買いしてたの。
ひとりでしょっちゅう出掛けていたの。お金のかかる趣味もってたの。
私 友達の誕生日会に化粧品店の景品持って行かされたよね。
制服おふるで小さかったから校門で先生に叱られたんだよ。
なまじ私立だから「買ってもらえない」なんて言い訳通用しない。
仕方ないから自分でほどいて縫い直した。

そういうのがあたりまえだったし幸いな事にすごく鈍感な子供だったから
別に不幸とも思わなかったけどあれも防衛本能だったかもね。
病床で姉貴が「私たちグレていても不思議じゃなかった」って言ったけど
姉貴は私より賢かったからもっといろんなことが見えていたんだろうなあ。
両親のせいで男性不信・結婚恐怖症になってたし。

子育てすると分かるけど
親って結構自分の都合で子供に接するのね。
「あんたのために」って本当は「自分のために」なんだよね。
そう気づいて私は子供の目線を自分の中に保つようにしたよ。
やつあたりしちゃう時もあるけど正当化したりしないようにしてる。

そうやって努力すればするほど過去の自分が可哀相になってくる。
マンガや本や原稿用紙さえあれば幸せだったから
やり直したいとは思わないけど、別の幸福だって本当はあったんだなって。
おしゃれにしても勉強にしても。男女交際にしても。

親は私のこと馬鹿で不細工って言ったけど
学生時代の友人に言わせれば賢くて美人だったらしいよ。
自分で気づかなかったのはやっぱり馬鹿だったんだろうけど
なんか腹が立つ。幼児期のすりこみって成人まで有効なんだ。

私たち姉妹から楽しみや青春を奪おうとしたのは
白雪姫の母親の気分かしら?って意地悪く思っちゃう。
私は自分が誉められるより娘が誉められる方が嬉しいけどな。
娘にはきれいになって欲しいけどな。

同居したいって 孫が可愛いからじゃないんだね。
世間体。ドールハウスに人形を揃える感覚。
自分が好き勝手するためにハウスキーパーを呼び寄せる程度の認識。

ねえ。孫たちにだって人格あるんだよ?
家に置くペットでもアクセでもない。

我慢していたけどぶちまけちゃった。
でも父親はテレビの野球に反応した。
絶望的な気分だったけど 同時に解放感も味わった。

親が善人なんて幻想は捨てよう。
子供を愛するのが親なんて嘘ばっか。
今更愛されたいとは思わないけど(私には旦那と子供たちで充分だ) 
もし愛されているのなら裏切ってはいけないって罪悪感がどこかにあった。

もういいや。
病院には行くけど それはいつでもやめられるから。
やめてしまっても私はもう私を許せる。多分。
だから もうどうでもいいや。

息子がグローブを買ってくれと言った。
入学の時に買い換えたはず。
したらば「左利き用のが欲しい」と言う。

彼はもともとは左利き。
運動や書道など、物心ついてから始めた事は
とりあえず右でやらせた。野球もそうである。
「今度一塁やるから 左利きの方が有利なんだ」だって。
そうなの? 私は基本野球知らないから(おお振りからだもん)。

外野だったのになんで内野?
野手の適性って何で決まるんだろう?

「その前に両打にしてよ!」とだけ言っておいた。

どうして地球で放射能除去装置を造れなかったのだろうと考えた。
波動砲同様設計図を送ってもらえばよかったんでは?
それとも何か理由あったんだっけ。

なんで突然ヤマトかというと
昨夜の法律相談所の「被害者なきわいせつ罪」から
ああ そういえば私もワイチン(わいせつ物陳列罪)の被害者だったわと
思い出したからである。
花も恥じらうセーラー服の頃、地下鉄の座席に座っていたら
前に立った男の人がズボンからイチモツを出してぶらさげていた。
普通なら「ぎょえ」とか「きゃあ」なもんだが
当時松本零士を読んでいた私は「いんきんたむし」なるものの存在を知ったばかりで
「ああ きっとこの人もそれなんだわ。薬を塗って外気で乾かすのが一番だって」
と解釈したのだった。
「かゆいんだよね。気の毒に。見ない振りしてあげるのが親切だわよね」
と読んでいた本から目線を上げないように集中した。
その姿は傍からは「可憐な女子高校生が困惑しているの図」で
出している当人はご満悦だったかも知れない。

当時自覚はなかったが、私はれっきとした被害者だった。

と考えているうちに、あれ?ヤマトの女の人って誰だったっけ?
♪テレサよ 永遠に 微笑を~ というフレーズが浮かんだが
テレサではなかった筈だ。
と賢明にヤマトのことを思い出しているうちに冒頭の疑問にいきついたのだった。

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