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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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中等部の学園祭は地味で、
体育館を使った発表のみである。
一年は合唱、
二年と三年は合唱か演劇か選べる。

二年の時に台本演出をやったのが↓にある「温室」の出てくる劇で
三年の時はもう劇はこりごりと思ったのだが、また台本演出で
気分転換の大道具づくりは、その時の担任が美術教師であったため
先生が取り仕切り、私は全然手出し出来なかった。

高校は「仮装行列」「展示」「演劇・合唱」から選べる。
他に模擬店を開くことも可能である。
一年が「仮装行列」だった。
仮装なら火葬で葬式だろうと「世界の葬列」をやった。
私は鳥葬の「まじない師」の役だった。友人のひとりがハゲタカをやった。
他に担任と副担任に衣装をつけていく という競技もあったっけ。
私らのクラスのお題は「キャンディキャンディ」で
担任も副担も男だったが、一方が毛糸のかつらでキャンディをやった。
もうひとりは首から段ボールで作った馬をぶらさげアンソニーだった。

二年が展示と模擬。この年は委員会と部活で忙しくて
クラスの出し物は義務的に参加しただけった。

三年も展示。友人がきばったのでつきあいで走り回った。
テーマはエネルギー問題。「油断」と題して各種のエネルギー資源を分析する。
私の班は石炭。
石炭のデメリットは主に輸送コスト。
液状化して地下のパイプで運ぶという計画もあったらしいが
あれはどうなったのだろう…

研究発表はグラフと写真で終ってしまいそうだが
これを立体的に表現しないと展示の意味をなさない。
グラフも紙に書くのではなく、段ボールで筒を作って色を塗って展示する。
輸送の状況をパノラマで作る。紙粘土の出番である。
そして当日、交代でこの展示物の横に立ちお客さんに
「説明させて頂きます」と暗記した内容を喋らなければならない。

この時は教室が最上階の廊下の端だった。
どうしたらお客さんに来てもらえるだろうと
階段からでも展示が分かるようにと廊下に看板を張り出して作る事にした。
天井から床までの大きな看板。
終ったかと思った段ボール集めがまた始まった。
あまりに大きいからそのままでの作業は大変なので
下絵を入れてから切り分け、境目が分かりづらいように塗らずに貼り絵で仕上げた。

苦労の甲斐あって総合優勝であった。


息子の学校も9月が学園祭だが、
息子は一度も準備に参加してない。
部活もいいけど学園祭もいい思い出になるんだけどなあ…
 

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「死刑囚の記録」を読み返したら記憶にある記述が載っていない。
本棚を探したら別に「死刑囚最後の瞬間」大塚公子著が出てきた。
死刑囚の執行前の記述はこっちだった。

これによると改定前でも当日告知はあったらしいし、
収監されている刑務所によって扱いもそれぞれだったようだ。

「死刑のすべて」にあったのだが
反省もない死刑囚を「ちゃんと人間に戻して」処罰するのも
役割のうちなのだ。
むごいようだが、贖罪の意味ではそうだろう。
処罰する方だってこの方が辛いのに。

死刑制度は矛盾が詰まった制度である。
だがその矛盾ゆえに廃止する事になってはいけないとも思う。
夏がくーれば思い出す というわけでもないが。
子供に寄り道の話をしていて学園祭準備の記憶が次々と蘇った。

学校近くにしょぼいアイスクリーム屋さんがあって
原則許可証ナシの寄り道は禁止されていた私たちにとって
そこでアイスを食べるのがささやかな楽しみであった。
普段はそんな事すらさえしないのだが、
学園祭準備で夏休み中に登校した時だけは特別だった。

「そこを出て先生の姿を見つけてさ。
慌てて逃げ出したわけよ。でも段ボールが邪魔でうまく走れなくって」

ここで「段ボール? なんで?」と訊き返された。
「予算がないから 段ボールであれこれ作ったんだよ。
そのために近くの商店を『段ボールありませんか』って回って歩いたんだ」
学園祭準備が始まると、特に展示をやるクラスの生徒は一斉に町に出る。
学校の近くの店なんて知れているから隣の駅まで出張る。
大きくて新しくて紙質のいい段ボールをゲットするとそれだけで嬉しかった。
手当たり次第で野菜や果物でつかった、ちょっとしなしなのでも貰ってきた。

……世間では当時お嬢さま学校と呼ばれていた(らしい)。
青いセーラー服を来た可憐(?)なお嬢様(?)が段ボールを抱えて歩くわけだ。

「だから予算がなかったんだって! 補助は5000円とかで集金も上限が決まっていて」

伝説は段ボール集めだけじゃない。
トイレットペーパー争奪というのもある。
「トイレットペーパーなんか なんに使うんだ」と旦那が訊く。知らないのか!
「水に浸して そこに洗濯糊を入れて 紙粘土を作るんだよ」
しかし学校側としてもトイレからペーパーを持ち去られるのは困る。禁止である。
見つかったら怒られる。
そこで私は考えた。
芯を抜いて押し潰して股にはさんでスカートで隠して運ぶ。

……くどいようだが、青い天使とさえ呼ばれた女学生である。

「絵の具も足りなくってさあ。搾り出すどころか 切り開いて使ったんだよ。
予算の余ってるクラスの噂をきいて ゴミ箱を漁りに行った事もある」
持ち帰ったそれを「こんなに入ってるのに捨てるなんてね」と言いながら
切って開いて筆でこそげて。
次の日また漁りに行ったら、そこのクラスの女の子が
私の手にそっとポスターカラーの瓶を握らせてくれた。

ああ。やっと心温まる画になった。

お金がないゆえの苦労はまだまだある。
演劇の年だった。
設計した大道具が予算不足で作れないと分かり、
かわりにB紙を貼り繋いでそこに画を描くことにした。
温室の木枠を「遠近法を使うからね」と
50センチ物差しを持った生徒に言った。

机の上の画用紙になら遠近法を使うのなんて簡単である。
一点でも二点でも、そこに定規を当てて線を引くだけである。
だがそれを教室半分の紙の上で、50センチ物差しでやろうとしたら
……気が遠くなる作業だった。

小道具に植木蜂が欲しかったが、無論そんなお金はない。
近くの生徒に持って来てもらう他、
魚屋の娘がいたから木箱を持って来てもらって土と雑草を植える事にした。
その箱が魚臭かった。洗っても洗っても臭かった。

そんな苦労をして作り上げた劇は
「温室」で分かる人には分かって貰える、
某男子校を舞台にしたマンガを原作とした話である。

14歳の女子校生に14歳の少年の役を演じさせる。

…苦労しただけの甲斐はあったかも知れない。

新聞に刑場の詳細など死刑に関する情報が一部公開されていた。

初と言うが
同程度の内容は「死刑のすべて」に記載されている。

手元に加賀乙彦著「死刑囚の記録」と坂本敏夫著「死刑のすべて」がある。
1980年刊 と 2006年刊 である。

加賀氏の著によれば「死刑囚にはその前日、もしくは前々日に刑の執行が通達される」
一方坂本氏の著作には「当日の朝 迎えが来て そのまま刑場にて執行される」とある。
たかが一日の違いであるが、その意味は大きい。

かつて死刑囚は刑の執行までに一日の余を与えられ、
その間に身辺と心の整理を済ませることができた。
家族との最後の面会、それも隔てのない面会(直接触れ合うことができる)も許された。
所長から「最後に食べたいもの」を訊かれ、可能な範囲で叶えられた。
だが現在は最後の面会も、晩餐もない。

そしてもうひとつ。
以前は午前10時を過ぎた段階で死刑囚は
その日一日と、次の日の命を保証された。
今はこの安堵が午後一杯と一晩しか続かない。

私は死刑存続派である。
死刑囚の反省も悔悟も、死に直面した事によってもたらされるものと思う。
冤罪や、無知ゆえの犯罪などの問題は残るが、
それでも死刑制度は(たとえ形骸化したとしても)必要だと思う。

人道的見地で議論されるべきは、
刑の執行までの日数と、その通達日ではないだろうか。
確定から執行まで半年という条文は守られず、
今はその順番さえも不明瞭で(古い囚人からというわけでもないらしい)
死刑囚は長い間今日か明日かと怯え続けなければならない。
その束の間の安堵が「今日ではない。明日でもない」という時間だ。
(年末年始は刑の執行がないのでもっと長い)
前日か当日かの差は大きいと思う。

なぜ改定されたか。
刑の執行を知らされた死刑囚が夜の間に自殺をしてしまったからである。
「死刑囚は刑によって死亡させなければならない」
たとえ数時間の違いでも自殺で死なれては困るのだ。

この条例の弊害は他にもある。

このため刑務所の人間は
死刑囚の心身の健康に気を配らなければならない。
その労力。
そしてその事情を知る死刑囚の横暴にも対応しなければならない。

死刑は廃止すべきではない。
だが制度としての見直しは必要だと思う。

誕生日に宅配ピザが食べたいと息子が言った。
たかがピザでも4人で食べるとなると馬鹿にならない。
旦那はさほどに拘らないから平日ランチの方がいいじゃないか。
子供達だけなら3000円で済む。
だが当日30日は娘がいない。
今日たまたまふたりのオフが重なった。
加えて排水管の清掃もあるので台所の掃除もしたい。
というわけで
「明日の昼 ピザでどうよ」と昨日言った。
娘は「それをはげみに勉強頑張る」と喜んだが
息子は「それじゃ 俺の誕生日はどうなる」と怒る。

誕生日って単なる口実じゃなかったのか。
「繰り上げ祝いってことでいかんの」
「30日は30日で考えてよ。えっと 何がいいかな」

何歳だ お前。(17になります)

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