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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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新聞に刑場の詳細など死刑に関する情報が一部公開されていた。

初と言うが
同程度の内容は「死刑のすべて」に記載されている。

手元に加賀乙彦著「死刑囚の記録」と坂本敏夫著「死刑のすべて」がある。
1980年刊 と 2006年刊 である。

加賀氏の著によれば「死刑囚にはその前日、もしくは前々日に刑の執行が通達される」
一方坂本氏の著作には「当日の朝 迎えが来て そのまま刑場にて執行される」とある。
たかが一日の違いであるが、その意味は大きい。

かつて死刑囚は刑の執行までに一日の余を与えられ、
その間に身辺と心の整理を済ませることができた。
家族との最後の面会、それも隔てのない面会(直接触れ合うことができる)も許された。
所長から「最後に食べたいもの」を訊かれ、可能な範囲で叶えられた。
だが現在は最後の面会も、晩餐もない。

そしてもうひとつ。
以前は午前10時を過ぎた段階で死刑囚は
その日一日と、次の日の命を保証された。
今はこの安堵が午後一杯と一晩しか続かない。

私は死刑存続派である。
死刑囚の反省も悔悟も、死に直面した事によってもたらされるものと思う。
冤罪や、無知ゆえの犯罪などの問題は残るが、
それでも死刑制度は(たとえ形骸化したとしても)必要だと思う。

人道的見地で議論されるべきは、
刑の執行までの日数と、その通達日ではないだろうか。
確定から執行まで半年という条文は守られず、
今はその順番さえも不明瞭で(古い囚人からというわけでもないらしい)
死刑囚は長い間今日か明日かと怯え続けなければならない。
その束の間の安堵が「今日ではない。明日でもない」という時間だ。
(年末年始は刑の執行がないのでもっと長い)
前日か当日かの差は大きいと思う。

なぜ改定されたか。
刑の執行を知らされた死刑囚が夜の間に自殺をしてしまったからである。
「死刑囚は刑によって死亡させなければならない」
たとえ数時間の違いでも自殺で死なれては困るのだ。

この条例の弊害は他にもある。

このため刑務所の人間は
死刑囚の心身の健康に気を配らなければならない。
その労力。
そしてその事情を知る死刑囚の横暴にも対応しなければならない。

死刑は廃止すべきではない。
だが制度としての見直しは必要だと思う。

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