木の洞にひとりごと
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広い部屋と広い勉強机をゲットした娘。
しかしまだリビングで勉強している。 一応最初に「私(私である)以外の人間がいない時に限り」と言っておいた。 にも拘らずだ。父がいようと弟がいようとお構いなしである。 息子がテスト週間でリビングで勉強しているので 「テレビをつけない」「息子のために テレビはイヤホン」であるから それに便乗しているだけだと娘は言う。 だが昨夜は息子は早々に自室に引き上げた。 それでも娘はそこにいる。 「イヤホン我慢してあげてるでしょ」と威張る。 つうか あんたがいるだけで空気が重いんだよ ボケ。 暗記に使うペンが出なくなったと娘が言う。 赤いシートを被せると文字が消えるっていうやつ。 子供たちの夕食後旦那の帰宅まで一時間空く。 息子が某スーパーのコーヒー牛乳が欲しいとかねてよりうるさいので ペン(100円ショップ)とコーヒー牛乳(YAスーパー)を買いに行く事にする。 夕方なら涼しいもんな。 娘が勉強道具を広げているリビングにいても仕方ないし。 探してもないので店のおばさんに訊く。 ものすっご胡散臭げに「そんなもの聞いた事がない」と言う。 「この店で買われた事あるんですか」 私はないけど「ここで買ったと言われて来たんですが」。 男の店員が通りかかる。 同じように訊いたら「ああ」と文具売り場に行く。 おばはんも「あるんですか」とついて来る。あるんだよ! しかし赤色のペン(緑色のシート用)はあったが緑色のペンは品切れだった。 けどな。そういう商品は存在するんだよ。覚えておけ おばはん。 訊き返すにも客を疑うような訊き方するな。 己の勉強不足を恥じる態度をとれ。たとえうわべだけでもな。それが接客業だろ。 その後スーパーに回ったが、コーヒー牛乳は売り切れていた。 勿論手ぶらでは帰らなかったが、目的はふたつとも果たせなかった。 そして息子。本日よりテスト。 あんまし勉強してるとこ見てないんだけど? PR
ついに娘と息子の私室を交換しました。
狭くて自分の部屋で勉強できん!と娘が言うので。 どや! これでもう文句言えんだろ! 息子が使っていた部屋は6畳ちょいあるので 机の横に扇風機でもストーブでも置ける。 机も娘の使ってたパソコンデスクよりは少し大きい。 ずーーーっとそこで勉強してるがいい! 私らはイヤホンなしでテレビを見る! 土曜日。いよいよ風呂の水栓がヤバくなる。 何ヶ月も前から 栓が締めにくくなっていたんだ。 あの手この手で閉めてきたんだが、なんともならんくなった。 困ったと調べてみたら(遅いんだよ)水栓だけ売っているではありませんか! ホームセンターで購入。20000円。一時間もかからず交換できた。 こんな事ならもっと早くに探せばよかった。 日曜日。実家へ。 ベッドを上げて食事できるように脇に台を置いたというのに そこに移しておいたベッド上のごさごさがモトに戻っている。 今日は何も言うまい 言っても無駄と思いつつ行くが お菓子だけならまだしも 両脇に通帳の入ったポーチを並べて寝転がったまま銭勘定をしている姿に 思わずぷっつん。 しかも。 「私の郵便局の通帳 あんたが持ってるんだね」と言われてブチ切れ。 夏のパジャマをどこにやったと訊かれたので 「かってに荷物作って退院してきた その時のだから 私は知らん」 と答える。思い出しても腹が立つ(おととしの話だ)。 ショートスティの時にどうしても要るからと父が言うので 買いに行く。LLサイズの買物はつまらん。 痩せたと同情をひこうとするが、それでもLLサイズである。 先日の医師は「痩せたね」と看護婦に言われ得意げになった母に 「痩せた方が(足腰の)負担が減っていいんだわ」と言った。 思わず笑いそうになった鬼娘であった。 息子 すきやきもどき
絶対に正解の出ない問題。
立場が変われば望む答えは違ってしまう。 それでも敢えて答えを探すなら? 絶対多数の幸福。 臓器移植を求める患者と 脳死になる人間の数。 当人はどうせ死ぬんだから と割り切ることが出来る。 だが突然脳死判定を突きつけられた家族は? 死を受け容れるための時間を 提供か拒絶かの判断に掻き回される。 どっちの決断をしても迷いや後悔はつきまとう。 臓器移植が必要な患者の生のクオリティも大事だけれど 大切な人間の死を迎える時間のクオリティだって大事だ。 ただでさえ喪失感で鬱状態になる遺族。 最後の瞬間への慙愧や、己れの決断への後悔で それこそ自殺にまで追い遣られたら。 命の天秤だよね。 ドナー当人より家族の、だから複数の命が天秤に乗せられるわけだ。 自殺までいかないまでも 続く人生の中で何度も何度も振り返るんだ。 死を悼んで泣いていればいいだけのはずの時間にも 自分の決断は正しかったのだろうかと考え続ける。 臓器移植を認めたがために充分な治療を施されなかったのではないか。 或いは。拒んだりせず臓器だけでも活かして貰えばよかったのではないか。 私なんて考えすぎる体質だから もしその病院の院長の知り合いが臓器を待っていて とか 逆に面倒だから病院としては移植も摘出もしたくないかも とか 臓器にも年齢があるから 40代50代なら拒否した方がいいんじゃないかとか。 そんなんに気をとられて きちんとお別れや見送りが出来なかったとしたら。 一生引き摺るだろうなあ… 脳死は死だと明言してくれるなら 自分が臓器を差し出す分には一向に構わんのだけど 家族にかかる心労を考えたら最初から拒絶しておいた方がいいのかな。 この法案の可決が 考えに考え、議論をし尽くして出されたものならいいんだけど。 記事の中に 「選挙区に可決の陳述者がいて 選挙のために」云々てのがあったりして この時期に急に進展したことを考えると それもあながち…と思えて。 選択肢があるのは不幸だよね。 昔はどんな事も運命だと受け容れることができたのに。 足掻かないのが怠慢な気がして 静かに死んでいけない。 いくら補償金(?)を貰っても時間は取り戻せないよなあと |
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