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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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絶対に正解の出ない問題。
立場が変われば望む答えは違ってしまう。

それでも敢えて答えを探すなら?
絶対多数の幸福。
臓器移植を求める患者と 脳死になる人間の数。

当人はどうせ死ぬんだから と割り切ることが出来る。
だが突然脳死判定を突きつけられた家族は?
死を受け容れるための時間を
提供か拒絶かの判断に掻き回される。
どっちの決断をしても迷いや後悔はつきまとう。
臓器移植が必要な患者の生のクオリティも大事だけれど
大切な人間の死を迎える時間のクオリティだって大事だ。

ただでさえ喪失感で鬱状態になる遺族。
最後の瞬間への慙愧や、己れの決断への後悔で
それこそ自殺にまで追い遣られたら。
命の天秤だよね。
ドナー当人より家族の、だから複数の命が天秤に乗せられるわけだ。
自殺までいかないまでも
続く人生の中で何度も何度も振り返るんだ。
死を悼んで泣いていればいいだけのはずの時間にも
自分の決断は正しかったのだろうかと考え続ける。

臓器移植を認めたがために充分な治療を施されなかったのではないか。
或いは。拒んだりせず臓器だけでも活かして貰えばよかったのではないか。

私なんて考えすぎる体質だから
もしその病院の院長の知り合いが臓器を待っていて とか
逆に面倒だから病院としては移植も摘出もしたくないかも とか
臓器にも年齢があるから 40代50代なら拒否した方がいいんじゃないかとか。
そんなんに気をとられて
きちんとお別れや見送りが出来なかったとしたら。
一生引き摺るだろうなあ…

脳死は死だと明言してくれるなら
自分が臓器を差し出す分には一向に構わんのだけど
家族にかかる心労を考えたら最初から拒絶しておいた方がいいのかな。

この法案の可決が
考えに考え、議論をし尽くして出されたものならいいんだけど。

記事の中に
「選挙区に可決の陳述者がいて 選挙のために」云々てのがあったりして
この時期に急に進展したことを考えると それもあながち…と思えて。

選択肢があるのは不幸だよね。
昔はどんな事も運命だと受け容れることができたのに。
足掻かないのが怠慢な気がして 静かに死んでいけない。
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