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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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夏に大腿~腰で接骨院、治療半ばで足の指を折った息子。
今度は「左肩をまわすと鎖骨がぎこぎこ軋んで痛い」だと。
甥っ子が簡単に鎖骨を折っているから、まさか!と慌てたが
「炎症」だった。
腰の時同様「体が硬い」からいけないんだそうで。

もともと左利きだが運動は右利きにあわせる事が多かった。
それを左投げに変えるのだと先日言っていた。
友人に左利き用のグローブを借りて練習していたらしい。
それも原因の気がするが、おおもとは体が硬いのがいかん。
どんな運動も柔軟はやって害はないと言っているのに!


骨折は今月の最初に通院も終了し、次の日に保険会社に書類を送った。
アメリカンホームが一番早く、一日遅れで全労災から振込み通知が届いた。
(通帳はまだ確認していないが)
アメリカンホームは2000円×通院日数と診断書の代金。
全労災は2000円×日数と骨折が指定傷害のため5万円(!)。
保険証には通院3000円とあったような気がするが、まあいいかと思ってしまう。
腕や足の骨折と比べて殆ど日常生活にも支障がなかったんで
この5万円は天からの宝札。ま 修学旅行の費用に化けそうだが。
学校共済はまだ。こちらは実費だけだから外食で使っちゃうかな。

提出書類はアメリカンホームが簡単。申告書と同意書。それに診断書。
全労災はそれよりも少し面倒だったが、5万円のためならどうって事ないよね。
何よりどちらも郵送で済むのが嬉しい。
農協も郵便局も面倒でいかん。


今朝、湿布を貼り直して包帯を巻いてやる。
息子が私好みの身体でよかったあ。撫で回すにしても気分が違う。
贅肉なし、無駄な筋肉なし。体毛なし(14歳だもん)。
理想の少年の肢体!って感じで母は嬉しい。
ホントにこいつは首から下は理想の息子なんだよなあ。首から下は。
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引出しを整理していたらヘルパー講習の時のレポートが出てきた。
(数年前 介護保険の仕組みがさっぱり分からず
勉強がてら介護技術や資格も身につけようと講習を受けた)
(途中で幾つかレポートを出さなければならず実習もあった)
読んで呆然。読まなかった事にして別の場所に片付ける。

理念だから言える事だよな。
仕事だから我慢できる事なんだってば。
介護を身内で背負い込むのではなく 施設や専門家に頼って
というのはやっぱり真理だよ。

テキスト読んで ご立派なレポート書いても
昔を知らない義父母ならまだしも過去の確執のある実父母には応用できない。
そんなに人間できてない。
実の親を親としてでなく可哀相な老人と見ることができれば可能かも。

この怒りの山を越えたらそこにはそういう段階が待っているような気もするが
果たしてそれが幸せなのかしら?
偽りでも騙し通せればそれでオッケイ?
まあ 姉貴の時がそうだったしな。
姉じゃなくて「死にかけている可哀相な人」だった。
姉を思って というより 周囲が望んでいる「姉思いの妹」を演じるために
明るく看護していた。それがみなのため自分のためだと分かっていたし
患者を哀れに思う気持ちは本物だった。

それでも割り切れない思いはあった。
自分はそう思っていても相手はそうは思わない。
「仲のいい姉妹」を演じながらも 周囲にそう見られるのは嫌だった。
矛盾してるけど そうなんだ。

今ここで「可哀相に」とせっせと介護したら
周囲は「普通の親子」としか見ないだろう。
親当人も「子供だから当然のこと」としか思わないだろう。

その事実をまで受け容れられるほど寛容じゃない。

結局は「早く大人になれ」って事かしら?
そう。私は現在「遅れてきた反抗期」の最中なのである。

勿体無いことをしたなあと思う。
もっと赤ん坊の時を愉しめばよかった。
抱っこするのは泣いている時だけだから当然可愛くない。
授乳も時間ばかり気にしていたから愉しくない。
寝ている顔は天使と大抵のお母さんは言うけれど
睡眠時間まで管理しようとしていたからちっとも天使になんか見えなかった。

旦那がしみじみ
「昔は可愛かったなあ」と娘のことを言う。
私は「え?」と心底驚く。お世辞にも可愛いと言える乳幼児ではなかったぞ。
息子はいつも穏やかに笑っていたけど
娘は泣くのも笑うのも癇癪おこすのもひと目をはばかるほどに派手で
私はひとりで彼女を公園以外の場所に連れ歩く勇気はなかった。
「可愛かったじゃないかあ」と旦那は言う。

私が彼女を連れていても誰も声をかけない。
だが旦那が抱いているとよく声をかけられていた。
薬局のおいちゃんなんかは試供品以外にかっぱえびせんまでくれた。

ノイローゼぎりぎりの状態の私を横目に
「可愛いのになあ」と娘を抱っこしていた旦那。
昼夜逆転で私がキレていたら
困ったように娘のベビー服を撫でながら(アニマル柄だった)
「夜中にライオンに追いかけられたのかな」なんてしんみり言っていた。
自然体で育児できる旦那が羨ましかった。交替して貰いたかった。

反応が派手ということは面白い子供だったのだ。
よく笑い、歌にあわせて声を出したり、ベッドメリーに興奮しまくったり。
でも然程に嬉しくもなかった。

子供たちが幼稚園に通うようになって
近所の乳児を預かってミルクをあげた。
あげている間中ずーっと顔を見ていた。
うくうくミルクを飲む顔はすごく可愛い。最後にゴムの乳首があくあくするのも可愛い。
全部飲んでくれるとそれだけで達成感。
哺乳瓶を置いて「頑張ったねー」なんて頬擦りしてからゲップを出させる。
肩に顎を乗せて揺すりながら背中をとんとんするのだが
あぐあぐ喘ぐ様子なんかもむちゃんこラブリーだし
げふ と空気が抜けた時なんざはたとえ一緒にミルクがこぼれて服を汚されようとも
笑っちゃうくらいの充実感を味わえた。

自分の子供にそんなん感じたことないわ。

テレビとか街中とかで赤ちゃんをみかけて「可愛いなあ」と思う。
なんで自分のところにそれがいる時にそう思えなかったかなあ。

明日まで中間試験の娘。
「時間ないから帰ったらすぐに食べられるようにしておいてね」
今日はたこやきと知ってそう言い置いて出て行った。
10時からせっせと作り、最後の一皿を焼き終ったところに帰宅。
さあ食べようとしたら電話。

実家の父だ。
「昨日はどうも」とだけ言って「明日時間とれるか」と言う。
「なんで?」
「用があって出掛けなければならないんだが ひとりにしておけない」
「でも明日はデイケアの日でしょう?」と何気に言ったら
舌打ちと溜息。そして「もういい」と電話が切れた。

呆然。何が何だか分からない。母がデイで父が外出ならちょうどいいではないか?
実家の番号押しながら娘に「私 今 きつい言い方した?」と訊く。
ビデオを見ていた娘は「はあ? 聞いてなかった」と胡散臭げ。
てことは普通のテンションだったんだよなあ。
数回コールが鳴って相手が出た。出た途端切れた。
暫く電話機を眺めていたら娘が「切れたの? なんで。何なの」と訊いてくる。
「分からん」 再びコール。数回で出る。今度は切れない。
「説明して欲しいだけなんだけど」と声を抑えて言う。「何時に? なんで?」
自分は9時前に出なければならないがデイの迎えは10時過ぎで
昨日は調子のよかった母だが、今日の様子ではひとりでおいておくのは不安であると。
「ショートスティも頼みたいし」
「って その話は施設にしなきゃ」と返したら
再び「もういい こっちでやる」とぶちん。

なんでいちいち電話を切られなきゃいかんのか。
呼びつけられたら「はいはい」とふたつ返事で駆けつけなきゃいかんのか。

「子供には謝る必要も説明する必要もないってか!」 電話に向かって叫ぶ。
たこやきをくわえて娘はきょとんとしている。
母親の涙声ってやっぱ衝撃なんだろうなあ。
キッチンに行って自分の分の飲み物用意しながら気持ちを落ち着ける。
「おばあちゃんから?」
「違う おじいちゃんから。この前 ちょっと気に障ること言ったから怒ってるの。
そのうえおばあちゃんにも多分私のこといろいろ聞かされてるだろうし」
祖父は娘にとってダンディな紳士である。
娘には昨日の事は話していない。テスト勉強がぎりぎりだとかで食事の時しか会ってない。
今日も話すつもりはなかったのだが、電話のタイミングが悪すぎた。

食べ終わってからも娘は話を聞いていた。
今回娘に焦りがあると分かっていて話が切れない。話し出すと止まらない。
過去と現在をゆきつもどりつしながら喋り続ける。

マンガを運び出すくだりになると笑った。「呆れる親だ」
「違うもん。子供だもん。だって最後の砦だよ? 侵されたくない」
「マンガが最後の砦って寂しいんじゃないの」
「寂しい子供時代を送ってたんだよ。マンガがなかったらやっていけなかった」
「せめて友達がいたから くらい言えないかなあ」
友達はいたさ。恵まれていた方だと思う。でも所詮友人も生身。現実に属するモノだ。

娘が部屋に引き上げた後、もう一度実家に電話する。
するが結局喧嘩のやり直しにしかならない。
明日の件は父親の用事の日程を変更して解決らしい。
そんな簡単なら意地にでも頼ってくるなよと思う。
だが多分父親はショートスティなどの打ち合わせを私に押しつけたかったのだ。

どうせ私が何をやっても何を決めても母親の気には入らないのだ。

だったらとことんまで自分たちでやってみればいいじゃないか!

なんだろうなあ。

娘はテスト期間につき息子だけ連れてまずは実家に向かう。だが父親の車はない。
天気があやしいので息子に掃除を頼んで夫婦で病院へ。
駐車場に入れようとした時、押し車を押してひとりよろよろ歩いている母親を見つける。
見つけたのは旦那で、指差されても状況が頭に入って来ない。
歩ける? 入院中はベッドから車椅子の移乗さえ危うかったのに?
何度もリハビリの経過を尋ねても「さあ」しか言わなかったのに?
にしてもひとり屋外にいるのはあまりにも危ないではないか。
歩道を走る自転車だって充分凶器だ。
慌てて歩道に車を止めてドアを開け、飛び降りて走り寄る。旦那も同様。
しかし母は「おとうさんがあっちに車を回すと言った」と無視する。
そこへ父が運転する車が回りこんできた。しかし車道上である。
「こっちの車は歩道だから その方が安全だよ」と言うがきかない。
降りてきた父親まで「ここは一方通行だから 皆ここで乗降している」と怒った口調で言う。

まあ じゃあ 勝手にしたら。

しかし息子を残してきているので一度は実家に行くしかない。
少し遅れて到着するようにする。
息子は掃除機をかけ終わって床の拭き掃除をしているところだった。
孫のその姿にはさすがに胸が詰まったようであるが
その後旦那や私が何を言っても突き放した返事しかしない。

最低限歩けるなら 暫く放っておいても大丈夫だろう。
私を共通の敵にして夫婦の絆が深まるならそれもいいかも知れない。
私という味方と捌け口を失ったら母も父に対して少しは素直になるだろう。

ま 何より放っておけるなら楽でいい。
情ないけどそれが本心。それが本音。
動けない、トイレも自力で行けない状態だったら泊り込むしかないと
結構悲愴な決心を密かにしていたのだが
もう電話でお伺いをする必要さえないとなったらものすごい解放感である。

他人に薄情な娘と思われようと親から恨まれようと
別に今のところ罪悪感もないからどうでもいいや。

「ひとこと『昔は水に流して これから頼むよ』というのがそんなに苦痛かなあ」
そこまで私の地位は低いのかしら?
水害の時も何回かの入院手術の時も、私たちがいなければすごく困った筈。
実際的な作業から役所金融関係の手配まで全部私たちがやったんだけどなあ。
それでも子供だと言われるならどうしもない。

二階の処分は業者に頼むとか言っていたから
段ボールに詰め込んで二階に置いてあったマンガをマンションに運ぶ。
だって真っ先に捨てられそうだもん。
子供の頃、私が大事にしまっておいた宝物や
戸棚の中に飾っておいたドライフラワーをわざわざ「ゴミ」にした人だ。
(自分のものは何ひとつ捨てないくせに
なんで私の引き出しの中のたかが封筒ひとつを敢えて処分しなきゃいけないんだ?
他人の目にはゴミでも私には思い出の品だった数輪のドライフラワー。
それを捨てたからといって部屋が広くなるわけでもない。
大人には子供には分からない事情があるんだと思っていたけど
それってただの八つ当たりか嫌がらせだったんじゃん!)


言問いたげな息子に
「お母さんが怒らせちゃったから お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも
ちょこっと拗ねちゃってるの。あんたが来てくれて助かったよ ありがとね」
とだけ言っておいたけど、彼はきっと内心で
「どっちもおとなげないなあ」って呆れてるんだろう。
昔からあの子はそういう役回りで、昔から「どっちもどっちだよ」って呟くんだ。
なんかちっと恥ずかしいけど 仕方ない。
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