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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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姉が生まれた時 父は「なんだ女か」と言ったと母から聞いた。
私が聞いているという事は姉も知っていたのだろう。

私の結婚相手を父に紹介した時父は彼をゴルフに誘った。
殆どやった事がないという彼に父は自分の古いセットを与え
夏にはコースに出ようと言った。
旦那は私と一緒にやろうとした。私は父の娘だから遠慮も必要ない。
自分がコースに連れて行ってもらえるならば娘なら尚のことと。
だが父は「女は子供を産んで育てるほうが大事だ。遊ぶのはその後だ」と言った。

娘と息子が幼いうちは同等だったが
最近になって扱いが変わってきた。
両親とも息子の方が可愛いようだ。息子の方を贔屓する。
私の目には息子は動物的に可愛いから餌付けの気分なんだろうと思ったが
もしかしたら違うのかも知れない。

同居した場合の懸念は幾つもあるが
そのうちのひとつがこれである。
姉姉間で何かもめた時、祖父母が揃って娘を責めたら
娘の中にある祖父母への思慕はどうなるのだろう?


しかし今はまだ そんな先の事より数時間の心配である。
病院に母を迎えに行かなくてはならない。
はああああー
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母は退院する。自宅で生活できるかどうか不明。
昨日午後病院に寄ったが私の顔を見るのも嫌な様子。
どうするつもりだろう?

姉との思い出を探す。
すごく少ない気がする。
一番古いのがあれかな? 
テレビでハクション大魔王をやっていた頃。
「こしょうでくしゃみを誘発できるか」の実験台にさせられた。
思いっきり目に入ってくしゃみどころか涙が止まらない。
叱られたのは私だった。

こしょうで思い出した。
「やきそばにこしょうを振ってみたい」と母に言った。
辛いから無理と言うのを「ちゃんと食べるもん」と頼む。
そのやきそばは辛くて食べられなかった。
こしょうのせいではない。ソースのかけ過ぎだ。私はそれを指摘したが無視された。
(なんでこんな変なことばっか覚えているのだろう)

あああ! 食べ物がらみでまたひとつ(姉でなく母だ)。
私は牡蠣が大嫌いだ。昔も今も嫌いだ。あれは見た目からエグい。
ピーマンとかと違って一般的食材ではないから食べられなくても
然程に差し支えないと思うのだが
母はそれを事もあろうに豚汁に入れ幼少の私に無理矢理食べさせた。
飲み込むしかない。

姉との会話にこんなのがある。
多分私が小学生くらい。
「自分がここにいるってのがすごく不思議」
自分は物語の登場人物ではなく実在するのだという感覚がどうしても掴めない。
その事実をつきとめようとすると深い穴に吸い込まれる気がしていた。
それを姉に理解してもらおうと説明したのだった。
姉は「へえ? 私は小さい時 自分が世界の中心にいると思ってたよ」と言った。


長女次女というと
同人の管理人さんには次女が多い。と私は思った。
知り合った管理人さんの大半が「次女」である。
別ジャンルでの話だけど。おお振りエリアではどうなんだろう?

旅行先で。親が買ってあげるからひとつ土産を選べと言った。
私は木彫りのペンダントを選んだ。
姉が持ってきたのはそれの色違いの品だった。
私が「あ 一緒」と言ったら姉は無言で取替えに行った。

デパートで。着せ替え人形の備品をひとつ買ってやると言われた。
私は人形を座らせる椅子を選んだ。
姉は引き出しのタンスを選んだ。「小物入れに使えるでしょう」
姉の先見を母親は誉めた。使い物にならない椅子を選んだ私が馬鹿みたい。

旅行もデパートも二回しか記憶にない。
そのうちの一回は祖母も同行して姉はものすごく不機嫌だった。

私の名前の一字はこの祖母のものである。
どうして姉に使わなかったのだろう? 機会があったら父に訊いてみようか。

朝実家に電話したら不機嫌な応対。
午前中に病院行くなら洗濯物を持って来てもらおうと思ったのだが
(咳がとれないから病室に長居したくないので)
まあいいや。どのみち週末には退院だ。
全自動を買うのを嫌がったのも着替えを買って補充するのを止めたのも母だ。

姉のことを日記に書いたせいか久し振りに夢を見た。
といっても姉は出てこない。「姉はいるけれど もうじき死ぬ」という状況だけ。
姉の衣類の整理をしていた。

いろいろ思い出す。
夏の終わりに転移が見つかり退職届を出した。
病室の空きを自宅で待っている頃の事だった。
何かで言い争いをして私は自分の部屋に入った。
姉がすごい剣幕で私の部屋に向かってきているのが分かった。
つかみあいをするわけにもいかないので私はベランダから外に逃げた。
犬と遊んでいるふりをした。
姉は暫く私の部屋にいて、出て行った。
荒らされているか壊されているかだと怖々戻ったら、机の上にキャッシュカードが置いてあった。
姉名義のものである。

この転移は致命的で、医師の宣告も余命数ヶ月というものだという事を
私は知っていた。姉には知らされていないが疑っていなかったわけではないだろう。
その恐怖と不安。
転移を見落としていた責任のなすりあいと、治癒の見込みのない患者のおしつけあいで
入院を受け容れてくれる病棟がなかなか見つからない。
焦りと痛みの毎日。
私は全くその姉の心情を想像も理解もしていなかった。

姉が死ぬだろうというのはシナリオどおりだった。
まるで小説の筋を考えるように「潮時だよな」と思ったとおり最終通告は下された。
ショックでもなく当然のなりゆきとして私は受け取った。

別にそれが普通だったから自分が特別冷酷とか非情とか思わなかった。
姉もまた冷たくあしらってきた妹に情を求める権利もないと思っていたのだろう。

後悔はしないけど
どうして想像しようとしなかったのか不思議である。
その不安や絶望を少しでも和らげてあげようと、どうして思わなかったのだろう。

私の机の上にキャッシュカードを置いていった姉の心境を
考えてみようと思ったのもこれが初めてだ。
昨日病院に行き、母親が入浴介護を受けている間に
父親と喫茶店で話した。
縺れた糸をほどく努力もしないで「どうするんだ」と言ってくるから
家庭を顧みなかった過去のしわよせと思って少しは向き合えばと答える。
何もかも「過ぎたこと」で片付けようとする。
30年前も一週間前も。
どんな事も、この一瞬も一瞬後には「過ぎたこと」になる。
それで済ませられるならどんな悪事も簡単。
反省が欲しいだけ。繰り返さないように意識して欲しいだけ。

とにかく母自身が困って「頼んで」くるまで積極的に動きたくはない。

くだらない例のひとつ。
散々洗濯機を全自動に替えようと言っているのに聞いてくれない。
家事をしに実家にいくと洗濯機に洗濯物と水と洗剤が入っている。
ここまでなら簡単である。入れてスイッチを押すだけなんだから。
私はこれを洗って絞って漱いで脱水して乾す。
「洗濯お願いね」と言葉で言われていなくても、そうせざるを得ない。
だがもし今私がそれを母に言うならば「頼んでない。勝手にやった」と答えるだろう。

母が自分で言うほど動けなかったら
寝室から父のベッドを出し、簡易便座と簡易ベッドを入れなきゃとか
いずれは廊下の収納を潰し車椅子でトイレに行けるようにしなきゃとか
庭を平らにしてスロープつけてとか
ぐるぐる考えてしまうが、それらを決してこちらから提案してはいけない。
そのために押入れの中を整理する事すらしてはいけない。
一階の別の和室を空けるようにする事もしてはいけない。

息子に洗濯のやり方を覚えているか確認しておく(娘じゃないとこがミソだ)。
家電の説明書を一箇所にまとめておく。
そんな程度だ。


親に抗議した事は殆どなかった。
だから今回の件で親は「子供にこんな仕打ちされるなんて」と嘆く。
でもあれくらいの言い合い、私と娘の間に何回もあった。
娘が不満をぶちまけ、こちらは言い訳と謝罪を返す。
敢えて和解めいた事はしないけど、半日もすればいつもどおり。
子供は言いたい事を親に言う。それが正当な言い分かどうかは親が判断する。

最後の入院の時。
姉は年末年始に家に帰りたいと言った。帰宅して家のお風呂に入りたいと。
自分の部屋にコンロを持ち込んで家族団欒の食事をしたいと。
看護婦達は無理だと言う中、若い主治医は懸命に手配してくれた。

姉は家に帰ったが、希望した事は何れも実現しなかった。
些細な事で私が父親を怒らせてしまい、最初の食事は台無しになった。
その夜風呂の用意をしたが、一番に入った父親は故意かうっかりかで栓を抜いてしまった。
それきり母親は風呂を焚こうとしない。
今にして思えば30分もあれば充分沸かし直す事は出来た。
どうして母親はそれをしなかったのだろう。
そしてどうして私はそれを要求するなり自分でやるなりしなかったのだろう。
姉を入浴させる労を厭ったわけでは決してない。にも関わらず。

そして三が日の間も姉は入浴しなかった。
父も母もどこかに出かけてしまって、食事も何を食べたかよく覚えていない。
どうして私はふたりに訴えなかったのだろう。
どうして姉は私や両親に要求しなかったのだろう。
姉は諦めてしまったのだろうか。
そして私もそれが本来の姉にとっての家族だと
(姉もまた健康な間 好き勝手に過ごしたいたのだから)
姉の最後の願い、最後の賭けに気づかずにいたのか。
自分が両親に何かを訴えても無駄だと諦めるより深く思い込んでいたのか。

最後の一ヶ月を病室に泊まりこんで過ごし
姉に笑顔を取り戻させてそれで妹としての役は果たしたと思っているけれど
今になってあの四日間が悲しくてならない。

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