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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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プルトーン。プルトニウム。
自然界にないものを作り上げ、玩ぶことが神への挑戦か。
或いは創造の神へと近づく事なのか。

知恵の実を喰んでエデンを追放された。
エデンにおいて人間は他の動物と、つまりは自然と同等だった。
人間は敢えてその関係を壊した。
自然界に君臨して、神に等しき存在になろうとしたのか。

キリスト教において救世主(キリスト)は天から降りてくる。
ユダヤ教において救世主(メシア)は人の中から現れる。

原発は廃止すべきである。
電力は補えるものは他の方法で供給し、
足りない分は節電すればいい。

原発からの収益に依存する地域には
他の発電によって雇用を発掘すればいい。
そんなに難しい事なのだろうか。


三県の知事。言い分はそれぞれにある。
ふと、過去に福島に落ちたお金を誰も言及しないのは何故だろうと思った。
漁業や農業で地道にやってきた県が復興を唱えるのは当然だ。
福島が原発の収束なくして復興はないと言うのも頷ける。
だが原発の恩恵を蒙っていなかった地域は
原発に頼った地域の繁栄を(そしてそれらの収入を浪費した事を)
追及したくはならないのだろうか。

復興構想議会に
哲学者が参加と新聞で見て少し呆れた。
だがその人は脱原発を以前から唱えている人だった。
都市建築ではなく、ただの建築家の肩書きしか持たない人を
私は軽んじた。でもその人は阪神の時に奔走した人だった。
知らなかった。

知らないことはたくさんある。知らないことこそ、たくさんある。
だから本当は批判したり意見したりしてはいけないのかも知れない。
けど端っこのブログでぐちぐちやるくらいはいいじゃないか。
読んで「違う」と自分の中にある意見に気づく人がいれば
それだけでも意味のある事だし
「ああ そうか」と思って貰えるなら それはそれで
……いいのかどうか 分からんが。


復興構想に正解はないなあとつくづく思う。
人の数だけそれがあるんだから。
でも これだけは私は正解と信じる。
原発は要らない。
事故がおきなくても。それが人間の領域を超えるものだと思うから。
水と太陽と土と風、空気と木々と、(天に)与えられたもので生きていくべきだ。
自然界の一部だという自覚を忘れてはいけない。


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メールには財布が見つかったことしか書かなかった。

帰宅した息子は財布に突進した。
撫で回した後に開いて「あれ? お金がそのまんまだ」と言う。
「?」
「お礼渡してないの?」
ああ。「相手の人 名前も言わなかったんだって。お礼は要らないって」
「うおお 格好いいぃ」
ちくしょー かっこいいぜぇ みたいな感じで足踏みをし、
「どんな人かなあ 男の人かなあ」とうっとりと宙を見る。
着替えを済ませ、
「なんで名前言ってくれなかったんかなあ お礼言いたいぜ」とかやってる。
彼の頭の中で拾い主は
「背の高い」「20~30代、いや渋めの40代」「男の人」になってるに違いない。

買物帰りのおばさんだったらどうするんだろう。
いけいけの女子コーコーセイだったらどうするんだろう。

まあいいや。世の中に「いい人」はいる。自分もいい人になろうと思ってくれたら。
財布が戻ってきた歓びを忘れなければ彼も財布を届ける人間になる
ってかもとより彼は決して猫ばばなど出来ない性格なんであるが。

ところで猫ばばの語源ご存知だろうか。
猫が んこした後に砂をかけて隠す事だよ。

彼の性善説が裏切られなかっただけでも喜ばしいことなのに
妄想に浸る悦びまで与えてくださって 拾い主さま 本当にありがとう。


ところで私。
警察署で「ご確認くださいね」と現金と、学生証を提示され
そこに貼り付けてある息子の写真をみて吹き出してしまいました。
美少年からは程遠い彼であるが、その実物よりまだ酷い不細工がそこに写っていた。
私の反応を見て受付の人も笑った。
「いや 我が子ながら……」とごまかしてそれを財布に押し込んだ。

しかしこの写真でよかった。
彼がもしそこそこの容姿で、ものすご写りのいい写真であったなら
拾った人がイケナイ人だったらアブナイ事になるとこだった
などと
母は母でまた妄想を広げるのであった。

息子は家族が帰宅するたびに、「これを見ろ!」と財布をかざしていた。
よほど嬉しかったんだろう。

重ね重ね 拾い主さま ありがとう。

私は美味しい話は好きです。
でも食欲を刺激されるから やっぱ駄目かな。
あれがおいしいあそこがおいしいってのは罪のない話題だよね。

飽食はいけないけど
食べる事を楽しめるなら、それだけで人生明るくなる。
毎日の事だから。
今朝娘と喋っていて、宗教に入る人の気が知れないというから
現世に希望がなくなった人を繋ぎとめる意味でも必要だと言ったけど
娘にはそれが理解できない。
「そりゃね あんたには生きてく目的も手段もあるもの」
「うん!」 嬉しそうに頷く。「おいしいもの食べたいよ!」
……ちゃうやろ。でもいいよ。それでも。

私はずっとひきこもり主婦してる。
ひきこもり過ぎて、自分の知り合い関連の話を何年も経ってから他から聞く。
え そうなの? でもいいや。相談受けてないから何とかなってるんだろう。
にしてもこの人どこからそんな話を仕入れてくるのだろう。

悪い噂はすぐ広がる。いい話ってあんまり聞かないなあ。

ずっと以前。息子が公園で、他の子が振ったバットで怪我をした。
頭だったので公園にいた知り合いが携帯で救急車を呼んでくれた。
病院で検査して異常なし。
帰りのタクシーで息子に「誰が悪いの」と訊いたら自分だと言う。
近づきすぎてしまったんだって。
帰宅して一息ついたところにインターフォンが鳴る。
バットを振った男の子のご両親だ。
中に入ってと言うのに玄関先で治療費がどうのと話し出す。
息子が自分が悪いと言っているんだから要らないと言うのに帰ろうとしない。
うちも保険入ってるし。領収書は一枚だからどちらが請求するかの違い。
金額もしれてる(確か8000円前後)ことだしと
面倒になって領収書を渡した。

何日かたって知人と外出した時、女児の母親であるその人が
男の子の妹が「○○んちに3万円ふんだくられた」と言っている と話した。
真偽を疑うように私を見ている。
腹が立った。その男の子やその妹の家族にではなく、彼女に。
私はその親子をよくは知らない。女の子の事もあまり知らない。
払うのが嫌なら玄関から引き上げてくれたらよかったのに強引に払い、
挙句子供の耳のあるところでその事実をまくしたてる。
そういう人たちであったとしても、私には関係ない。
だが目の前の知人は私を知っている筈だ。
私が金額を言うと「そうなの? そのことちゃんと言った方がいいわよ」と忠告する。
「それを鵜呑みにして私を判断するなら その人はそれだけの人だ」

だがこんな正論を吐けたのも
子供が幼稚園を卒業していたからだ。
親同士のつきあいが必須でなくなっていたから。
主婦の価値観と、学生時代の価値観の相違を嫌と言うほど知っていたから。
これがその何年か前だったら落ち込んでいたかも知れない。

放っておこうと思った後に、でも息子の耳にこの噂が入ったらと
息子を呼んで話をした。××ちゃんがこんな事を言っているらしいけど。
「え でも お母さん 要らないって最初断ったじゃん」
玄関での会話を聞いていたらしい。相手が無理矢理に置いていった事も知っている。
「なら いいの? あんたが平気なら いいんだけど」
息子は何のことやらという顔で去っていった。くだらない。そうくだらない話。

だが知人の目の輝きを思い出すと、
他の知人らの「そんなこと 私に話す必要あるの?」と遮らねばならないような
さまざまな話題を思い出すと、
そういった噂話は、恐らく私がチョコパフェを前にした時のような
甘くちょっと苦く、幾許かの罪悪感を秘めた歓びを人にもたらすんだろうなと。

知らないところで噂が一人歩きしてる。
知らない人が知らないところで話している分には許せる。
でもそれを訂正する事無く知人が聞いているのは許せない。
だからいつまでたっても彼女らは「知人」で「友人」にはなれない。
ママ友という名称であっても、その友の字に友の意味はない。


息子が年長になって、私は毎日唱えていた。
あと一年 あと半年 あと三ヶ月。息子が卒園したら全部と縁が切れる。
切ってもいい。子供はもう自分の足で世界を広げる。

息子は穏やかな性格であったが、
それがために大人が利用したくなる子供だった。
彼を我慢させておけばいい。それは私もやってしまった(なんせ娘がアレだから)。
他人までがそうした。
「友達と遊ぶ時は うちの子もちゃんと仲間に入れるように言って」
要請され、真に受けて私は息子にそう諭した。だが息子だって所詮子供だ。
彼が思い通りにならない事に腹を立て、当時私に一番近かった知人に
その子の親が相談に行く。相談という名目で悪口を吹き込みにいく。

ずっと息子に我慢させてきた私への罰なんだろう。
自分を抑えるだけならまだしも、子供にまでそれを強要してしまった私への。
どんな事にも人は慣れてしまうのだ。
私はいろんな事に頑張ってきたつもりだけど
要求は増すばかり。
こちらの許容が限界になると相手の依存は満たされず怒りへと向かう。
そんな事にも気づかなかった私が馬鹿だった。

自分の子供と向き合うのが嫌で他の子供を預かってた。
そこで世界が広がって、自分が「おつきあい」というものが出来ると嬉しかった。
だがそんな時期を過ぎて、それでも「いい人」で居続けようとしたのは
人の口を気にしての事だったのだろうか。

子供のためという大義名分がなくなったら もう必要はない。
ひきこもり。

噂も届かない。

とても平和な日々である。

財布が見つかったあああああ!

夕方警察署から電話あり。
息子が頼んだ署と違っていた為に照会が遅れたが
落とした翌日に既に届けられていたとのこと。
平日夕方5時半までというから自転車かっとばして受け取りに行って来た!
(部活帰りじゃ間に合わない)
現金もそのままで
「相手の方の連絡先は」と尋ねたら
「お礼は要らないとの事で名前も仰らなかったそうです」 だって!

帰りに用意したお礼を募金箱に入れてきた
(といっても用意したのは新札なので財布の中のボロ札を)。
拾って下さった方の居住区と信じて落とした場所近くのスーパーで。
(意味あるのか? なくてもいいの 気持ちなの!)
ついでに勢いでマンガも買っちゃった。まだ読んでないんで面白いかどうか分からん。
面白かったら息子にも読ませたいかなーと。
(あいつサービス業に向いてると思うんだけどな)

いい話だよねー
最初に電話した署の人の対応もすごく丁寧だったし
今回の署の人も電話の人は声美人で優しくて
窓口対応の人も可愛くて優しくて。
拾ってくれた人も優しくて。

息子! よかったね。

連絡が遅れた事もよかったと私は思うよ。
反省も出来たし
落胆の分(もう諦めていたから)歓びも大きいし。

という事を書くためにわざわざパソコンを起動した私であった。
ま 息子にメール送ってやりたかったって事もあるけど
(携帯がないのでパソしかメールが送れんのだ)。

世の中捨てたもんじゃないぜ!
今朝の新聞に新聞社などが独自に行ったアンケート
原発は「廃止・縮小」か「存続」か の結果が載っていた。
その全部が「存続」の方が多数(55対45くらいか)だった。
情報操作かと疑ってしまったが
所詮福島騒動も対岸の火なのかも知れない。
しかし事故がなくても、核廃棄物を吐き出し続けるという事だけで
原発は悪なのである。
そしてひとたび大事故となれば損失は金だけでは済まない。

太陽光発電! 蓄電池! 風力。揚水力 小規模水力。地熱利用。
こんなにあるんじゃないか。
もう電力会社の脅しに負けちゃ駄目だよ。
たとえそれらが力を出し切れなかったとしても節電すれば済むじゃないか。


我が家は真夏でも殆どクーラーを使わない(息子曰く年に3回なんだそうだ)。
昨夏の猛暑も数日、それも一日3~4時間使っただけだ。
マンションの中層階 とはいえ 暑い。勿論暑い。
35度を越えると家中どこに寝転がってもひたすら暑い。

35度を越えたら扇風機は使ってはいけません。
熱を体内に送り込む事になるので熱中症をおこします。

室内35度という事はさすがにないと思うが(怖くて温度計見てない)
とにかく暑い。どれぐらい暑いかというと
テレビゲームをする気力すら奪われるほど暑いのである。
(テレビは窓際にあるので自然ゲームも窓近くでやらないといかん。
意識がやばくなったのでコントローラー置いて廊下に逃げた)
さすがの私も「ああ これが熱中症の入り口か」と思うほど暑かった。
夏の終わりには呼吸がやばくなり扇風機を使うに至った。
それでも私は勉強も仕事もしてないんだからクーラーは使わなかった。

午前9時を過ぎたらカーテンを閉める。
風の通り道は開けておくが、ぎりぎりまで暗くする。
ピークは昼ではない。2時半からだ。
洗濯物をしまい込んで、汗まみれのシーツを水洗いし、脱水せず竿にかける。
肌に汗が残っていると余計に暑いので水を浴びる。
5時までは団扇片手に涼しい場所を求めて家中を彷徨う。

夕方になったらベランダに水をまく。
照明をつけると暑い。だからぎりぎりまでつけない。

隣家の室外機の音にムッとする。
全戸クーラーの使用を控えたら都市部の温度は二度くらい下がるんじゃないか。
小さい子やお年寄りのいる家は仕方ないのだけど。

夜テレビを見ながら子供達が暑い暑いとうるさい。
「昼間に比べたらましじゃい」の一言で黙らせる。
扇風機の制限を解除してやっただけ有難いと思え!

息子がベンチの上に保冷材を並べた。
その向こうで扇風機を回し、保冷材の上を通る風を顔に当てて
うっとりしていた。
勉強すると約束すればクーラーつけてやるのに。
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