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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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新聞の投書欄や読者のページを読む。
一見正しいと思われる記事が載っている。
書いている本人も自分が正しいと信じて主張している。

「バイキングでも食べ残しは駄目」
私はこれは「バイキング こそ 食べ残しは駄目」だと思う。
定食など注文して食べる料理は
その料理全部を買い取ったわけだから
食べる権利と同等の食べ残す権利も有するわけである。
勿論これは法的な話で、食物や携わった人々に対する感謝からすれば
全部食べるのが礼儀であるが。
一方バイキングは
「好きなものを好きなだけ」であって
これはつまり「食べられる分だけ」の権利を買うわけだ。
だから残す事は許されない。
加えて、定食の場合小鉢などに想定外の苦手なものが入ってたりする。
どうしても食べられなくて残すこともあるかも知れない。
しかしバイキングではこの言い訳は通用しない。
「バイキングでも食べ残しは駄目」の言葉の裏には
自分でお金を払った分は取り戻すという損得勘定が覗えてならない。

「森林資源を守るためにスーパーで箸を断る」
飲食店で洗って使える箸の利用が増えるのはいい事だ。
とある。ふんふんと読み進める。
最後に
「だから私はスーパーでお弁当を買う時も 割り箸は断るようにしている」
とあった。ここで「はい?」となる。
割り箸は駄目で、お弁当の容器はいいんですか。
そりゃ疲れた時とか、たまにはお弁当も食べたいわという時はある。
だがやはり主婦としてスーパーでそれを買って食べてるというのは
特に「資源の有効利用」を訴えている場合、恥ずかしい。
だからそういう事実があっても、そういう事実を恥を思うなら
敢えて書かないだろう。
根本的に何かが違う。自分が楽に実行できる事だけじゃ資源は守れない。

これは古い話だが。
「本屋で子供に絵本を読んであげていると
通り掛った親子連れの子供の方が立ち止まった。
私の話に聞き入るのを見て その親は雑誌コーナーに行ってしまった。
自分の娘がその子の手を引いて、親のところに連れて行き
『お母さんがちゃんと面倒見て下さい』的な事を言った」
投稿者は子供を置いて雑誌を読みに行った母親を非難していた。
……じゃ自分は正しいのか。
私だったら二人に向かって本を読んでやる。
相手が子供がひとりだろうが何人だろうが
絵本を読むのに余分な体力が要るわけじゃなし。
その子の親に説教したところで状況が変わるとは思えない
(したかったらしてもいいけど)なら
せめてその時だけでもその子に楽しい時間を過ごさせてやればいいじゃないか。

それにな。とても気になるんだが
この絵本って売り物の絵本じゃないだろうか。
最近は座り読み用の椅子とか用意してある本屋も増えたけど
それにしても読み聞かせはどうしたって声が洩れる。
仮に本屋の意向で「子供向けの」「立ち読み自由の」コーナーであったとしても
だったら読み聞かせの最中に他の子供が寄ってくるのは仕方のない事だと思う。
その子が横で聞いていたからといって
自分の取り分が減るわけじゃない。分け合う歓びを子供に教えるにはいい機会だったろう。


私が「正しい」と思う見方。
それだけのことなんだけどね。

先日の「興味深く」の表現について旦那にさりげに訊いてみたら
「関心をもって とはなかなかとって貰えないだろう」と言われた。
長年の思い込みは簡単に払拭できないけど
でも使わないように心がける事は出来る。
私の正しいが絶対的に正しいわけじゃないのだからと。
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遊びに来た子供に我が家のルールを押しつけると書いた。

どんなルールか。
まっとうなのもあれば、後から「?」と思うものもある。

「おやつなど食べてる最中は席を立たない。
一度でも離れたら ごちそうさまとみなす」
初めて来た子はまず常連にこれを教えられる。
うっかり立ちそうになって「ごちそうさまだよ!」と服を引っ張られる。

他の家で子供達を見ていて
テーブルに出しっぱなしのお菓子に苛々した事がある。
遊びながらつまんでいる。
なんでっ!

一斉にごちそうさまをするわけではない。
私は最初それが嫌で最後の子が終るまで立つなと言った。
しかしこれは無理だと分かった。
急かされる子も可哀想だ。
それで「食べ終わったら 次の子が食べ終わるまで座っている」と決めた。
これはちょっと「?」なルールかも知れん。

食事は大皿。各自小皿にとって食べる。食べ残しは許されない。
持ち越しておやつの時に食べていた子もいる。

飲み物はお茶か牛乳。
飲み物に関しては食事以外の時も欲しいと言われたら出す。
だが「お口かわいた」では駄目である。
「だから なに?」と訊き返される。常連が横で「お茶を下さいって言うんだよ」と教える。
「喉が渇いた」は状態の説明でしかない。要求を言え!

夕方5時以降は牛乳は禁止である。夕食に差し障るから。

ビデオ禁止。お絵かき禁止。折り紙も禁止。
ひとりで出来る遊びは全部禁止。
親の都合で預けられた子に限って暗くなってからは許す。
折り紙はひとり一枚。
もったいない折り紙は原則禁止(裏表のやつとか金ぴかのとか)。
この折り紙を自分で折るもよし。
私に折ってもらうもよし。

息子がゲーム目当てで他家に上がりこんでいると知って
予定より一年早く年長で64を買った。
二人以上でやるゲームなら一時間に限り許す。
だが全員が参加しなければ駄目。

揉め事を訴えに来た場合は
全員正座させ事情徴収。
子供が仲直りをしようとしても私が納得するまで許さない。
「そんな面倒なこと」と立ち寄った知人は呆れたが
これを何回か繰り返すと訴えに来ない。
子供だって遊びを中断して正座は嫌なんだ。


遊びに連れて行く。
私は「おたのしみは一回に一個」と決めていた。
金銭的にもだが、ネタ的に勿体無いからである。
子供を愉しませる事が苦手な私は、奥の手をいくつか残しておきたい。
アイスクリームだってそうだ。

プールに行く。子供達がアイスが食べたいと言う。
他の親が私の顔を見る。
「駄目。アイスなら家でも食べられる。今はプールを満喫しろ」
映画館に行く。子供達はポップコーンだのコーラだのと言う。
「なんで?」

この話をすると大抵不思議がられる。
後日「私は楽しみに楽しみを掛け合わせたくなる」という一文を見つけた。
「面白そうな本を見つけると 好きなおせんべいを用意する という具合に」

うーん。私の考えは間違いだったか。
しかし子供にふたつ以上のお楽しみはやっぱり贅沢じゃないかね。


家庭内のルールもいろいろあった。
テレビが一個しかないのでチャンネル権とか 大変だったんだよ。
番組ごとに決めたり、野球は30分限りとか。

娘の部屋に散らばったメモ用紙に目を凝らしたら 数字がびっしり書いてある。
「まんがは連続30分まで」 休憩を入れたらもう一回だけ30分とかで
読み始めた時間をメモし、トイレで中断したらその時間もメモしていたらしい。

子供達の成長に伴って少しずつ改正しているうちに
覚えていられなくなった。
「お母さん 前にこう言った!」
もうええねん。好きにしてくれ。ふたりで話し合ってくれ。
子供達を解き放した分私も楽になる。
パソコンの時間も、寝転がってマンガを読むのも。

息子が手術入院した時。
術後絶食が続いた。
2歳の子にこれはきつい。親もきつい。
空腹を紛らわせる手段も病院ではあまりない。
やっとアニメの時間だと思ってテレビをつければ、喰ってるし……

担当の医師に「いつから食べられますか」と訊いたら
暢気な声で「まー 週明けにはねー」と抜かした。
殺気を感じたのか、慌てて「や 明日様子見て 明後日なら?」と言い直した。

一日一日、いや一時間一時間が拷問だと分からないのだ。
半日の違いでどれだけ救われるか!

その「明後日」。朝からそわそわ待っていた。
やっと来た担当医に看護婦さんが「お待ちかね」と言った。
医師は何を勘違いしてか「やー 照れるなあ」だと。
あんたなんか待ってねえよ! あんたの「許可」を待ってんだよ!
「食べさせていいよ」の声と同時に
看護婦さんはダッシュしてゼリーを持って来てくれた。
食事の時間じゃなかったけど一分でも早くと思ったんだろう。
さすが現場を知っている。

昨日私が書いた「復興構想会議」の「構想」に不安を覚えるのは
こういう事なんだよ。
実際に苦しんでいる人にとっての一日と、外にいる人間の一日は全然違うってこと。


阪神淡路の時は私はまだ生まれてなくて というのは真っ赤な嘘だが
子育て真っ最中で、テレビは幼児番組のみ、新聞読む余裕もなく
震災当日も「やー 今朝の地震にはびっくりだわ」と公園に行って
他のお母さんから惨状を聞かされた。
その状況も、その後の復興もよく知らない。
比較は出来ない。知っていても単純比較は出来ないだろう。

だが出来るならば、その経験を活かし、その上をいって欲しいものだと思う。
ほら 僕が学校から家に帰る途中 道に落とした あの財布ですよ。

すいません オリジナルがウロなんでパロディになってません。

息子が財布を落としました。
家に帰り着いて 慌ててまた学校まで戻ったんですが 道中にありません。
部室にあるかもと望みをつないで次の日学校に行きましたが
そこにもなかったようです。

なかった(ハートの割れたやつ)
警察に電話した(ダウンな矢印と変な顔)

なんで親へのメールに絵文字(?)を入れなきゃいかんのだろう。

電話口の警察の方はむっちゃ丁寧で優しかったそうです。
「なんであんなに親切なんだ!」と息子は感動しておりました。

ありがたい事です。
大人だって丁寧な応対を受ければ嬉しくなります。
問い合わせ等慣れていない子供なら尚更です。
最初にこういう経験をすると次からも物怖じせず電話できるし
受けた優しさは忘れないだろうから、
自分が大人になった時、子供相手にも丁寧に接するようになると思います。

これで財布が出てくればもっといいんだが。

旦那は二度落として二度とも出てきました。
一度目は気づく前に連絡を受けたんじゃなかったかしら。
旦那自身二度拾って二度届けました(一度は私が代理で持って行ったが)。

娘は一度地下鉄のホームで現金を拾った事がある。
駅長室に届けて、半年後全額受け取りました。
ちょうど弟が入院している時で、そのお金でお見舞いの本を買ってきてくれました。
息子は覚えてるんかな。
弟が小さい頃は頼りになる姉ちゃんだったんだよ あれでも。

私自身はないけど、公園帰りに一緒にいたお母さんが
「あああっ 一万円札が踊ってるぅ」と駆け出し、拾った事があります。
派出所に届けるというので、
そのお母さんの子供を連れて家に戻りました。
夕方「落とし主が見つかった」と、
その方から頂いた和菓子のおすそわけを持って来てくれました。

今回の財布、ガット張りに寄るつもりだったので1万札が入ってました。
ガット張り代金は自腹。
残金(部活終わりだから)で買う予定だった私服は諦め。
これも授業料だわね。
構想って あんた そんな悠長な事でいいのかねと
思わず呟いてしまいました。
6月末だの年末までには大綱をだの。

委員の方々、復興まで東北にお住みになったらいいのに。

メンバーを見てなんか「?」な気分になった。
都市建設や道路関係の専門家とか、計理士(? よく分からん。試算できる人)とか
そういう人がいなくてもいいんだろうか。
哲学や宗教や屁理屈で都市が作れるんだろうか。
今住むとこがない人に理想を説いたって耳に入らないよ。
食べられないパンだよ。
自分だけ暖かい寝床で寝て、
「文明を見直して新しい都市を創造するから待っててね」って
それはひどいんじゃないかしら。

それとも私の勘違いなんだろうか。
けど「年末までに全体像をまとめる」って誤植じゃないよな。

大体が最初に「復興税」を押し出すあたりが気に入らない。
人の金で絵図面書いて遊ぶつもりなのか。
(えんどう豆入り三杯酢ラーメン)(分かる人だけわかって下さい……)
要るだけ集めればいい では検討も鈍るというもの。
何を優先し、何を切り捨てるか。
東北は東北の人たちのものであって、学者たちの理想体現の場じゃない。

それとさ。
いずれ復興税が必要になるだろうという事は分かっていたけど
それを今前面に出すのは賢明じゃないと思う。

私だけだろうか。
「復興税」を集めて国の力で東北を立て直す と聞いて
じゃこの義援活動はなんだろうと思ってしまうのは。
いずれ圧し掛かる負担を危惧して支援の力を加減してしまう
とまでは言わないが
何かが少し違ってきてしまう気がする。

今じゃなくてもよかったな。
6月でもよかった。全体像が浮き上がってきて試算して
それからでもよかったんじゃないか。
一般市民が自分たちの支援の限界に気づいた時。
それぞれが自分の立場でどうすべきか考え、考え尽くした時。
増税、という国にとって安直な結論を突き出して
市民レベルの頑張りを蹴散らす真似はして欲しくなかった。

復興は机の上でやるんじゃない。
(そうそう。事件は現場でおきてるんだ だっけか?)
復興は学者の満足のためにやるんじゃない。

理想の絵図面書いている間に、家が建ち始めるんじゃないかと思うがね。

委員さん 被災地にバラック建てて住んで下さい。
現実と理想のギャップをちゃんと感じて下さい。その上で話し合って下さい。
毎日毎日そのことだけ考えてください。片手間じゃ駄目です。
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