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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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自己肯定と生存本能って関係あるのかな。
自己肯定が弱いと生への執着って薄れるのかしら?

なげやりな気分で夜道を歩きながら考えた。
ここでもし暴漢に襲われたならやっぱり抵抗するのかな。
夢で死を宣告されたり死にそうになって
目が覚めると「ああ 夢でよかった」って思うから死にたいわけじゃないのかな。

死にたいほど不幸なわけじゃなく
生き続けたいと思うだけの幸福の予感がないだけ。
贅沢だって分かってる。

目の前に自殺願望の人がいてもきっと上手く止められない。
その権利も方法もない。
現にネット上の知人に死にたいと言われて
「気が変わったら嬉しい」としか言ってあげられなかった。
生きて頑張って必ず幸せになれるなんて約束できない。
何が幸せかも分からない。

寝る布団と食べるご飯があればとりあえずよし なんだけど
それは生きる手段であって目的じゃない。

「娘のお産の世話をするまでは!」と考えてみるのだが
それって侘しいよな。だってそれは娘の事であって私の人生じゃない。
それよりは「おお振りの最終巻を読むまでは!」の方がましな気がする。

以前にどこかに書いたけど
保健体育の授業で「娯楽の意味」ってのをやった。
人生ってのは山頂目指して大岩を転がしていくようなもので
ひとつ頂上を極めても次の瞬間に岩は転げ落ちていく。
またそれを押して登り直すわけだ。そう。ギリシャ神話。
それを断絶させるのが「娯楽」である。と教師は黒板の山を指して言った。
その時は全然意味が分からなかったけど今なら分かる。

現実逃避でも何でも「娯楽」にだって意味はあるのだ。
娯楽に浸る事は生きていく上で必要な行動である。逃げでも罪悪でもない。

そう分かっても、でもそうまでして自分を騙して生きて何が残るんだろう
って考えてしまう。
死にたいわけじゃあないのよ。生きているのが面倒なだけ。
姉が聞いたら「だったら替わってくれたらよかったのに」って怒るだろうなあ。

私は多分私がそんなに大事じゃないんだと思う。

自分がいなきゃ始まらないみたいな人って 親から愛されて傲慢に育ったのかしら?
なんだって周囲を振り回す権利をもつと信じていられるんだろう。

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