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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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私が考えすぎなだけなのだろうか。

震災の、生存者の談話。
助かった人が僅かでもいたのは嬉しかったけど
その後朗報がないまま過ぎている。
進展なしの報道の中でせめて明るいニュースと思うのだろうか、
新聞はそのコメントや逸話を載せる。

「頭を打ち付けたけど 誰かの足があって 助かった」
「救出されたのは奇跡だ」

……そこで『奇跡』って言っちゃったら、後は絶望的って事じゃん。
誰かの足って それが我が子のものかも知れないと
その可能性のある親達は考えたりしないか。

今朝の新聞は脚を切断せずに済んだ女の子の話が載っていた。
男の子で膝から下を切断した子がいたよね。
他に方法がなかったとしても、
もし自分も頼んでいたらとか他の作業員だったらとか考えないか?
或いは。
その女の子の脚を引き抜くために何かを無理に動かして
それによって別の崩落を招いたとか
余分な時間と手間がかかって、他の作業に差し障ったとか。
私が残された家族だったら考えちゃうよ。

脚を切断しないでと頼んだ事を非難しているんじゃない。
他にまだ見つかってない人がたくさんいる中で
そういう話をすべきじゃないってこと。

自分が幸運を引き当てた時こそ
他人の不運を思い遣って欲しい。
僅かな情報でもと新聞に目を通している関係者は
どういう気持ちでこれらの記事を読んでいるのだろう。
同じ奇跡を信じて心の支えにする、というのならいいんだけど。
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