木の洞にひとりごと
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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 実家から週遅れの雑誌を持ってきた。 「玉ころがし少年の義援金」の話もあった。あの方法に批判的だった。 勝てなかったら寄付しないのか とか 他の選手が勝ったら義援金泥棒みたいじゃないかとか。 私は前にも書いたけど彼が嫌いである。だが、この記事は違うと思う。 もし総額が目標金額に遠く至らなかったとしたら りょうくんは他の方法で足りなかった分を寄付するだろう。 他の選手にしても勝負の間は誰だって勝つことしか考えない。 当人も観客も被災者当人達でさえ、りょうくんが負けたこと、りょうくんを負かしたことを 誰も批判などしない。 私は彼が嫌いだけれど、それはあの子が「いい人であろうとする」からだ。 「いい人であろうとする」ならば、最後まで貫くと思う。 だからどっちに転んでもやっぱり嫌いなんだけどね。 PR
虐待を受けた子供。
閉ざしていた心を開き始めた時、 すごく粘着質だったりわがままだったり暴力的だったりする、と言う。 心の不安定さゆえと、相手を試す意味と、いろいろ。 対象が「かわいそうな子供」でいる間は同情的であった医療関係者も (医療従事者とはいえ内科や外科であれば心理領域の知識も浅いので) こういう態度に不快感をもつ。 鬱病の友人がいた。長い間鬱に苦しんでいるネット上の知人がいる。 どん底にいる時には声をかけやすい。 だが立ち直りの途中は難しい。 本当に、とても難しい。 これは素人が関わるべき問題じゃないとも思う。 不注意なひとことで相手を再びどん底に突き落としかねない。 そしてその不注意なひとことはいとも簡単に出てしまうのだ。 被災者がわがままを言えるようになったのなら それは立ち直りの第一歩かも知れない。 ふとそう思った。 非日常から日常への帰還かも知れない。 同情を受ける受動態から要求をつきつける能動態への転換かも知れない。 あるいは。 激励する非被災者への試みかも、知れない。 人の心に寄り添うのは難しい。 同情と共感の違いをはっきりと認識しておかないといけない。 自分の欲求(同情の押し売り)と相手の要求を一致させようとしてはいけない。 自分の望みどおりの存在でいる事を相手に求めてはいけない。 相手のあるがまま受け容れるだけの覚悟は必要だろう そうする事が正しい事であろうとなかろうと。
昔考えた。
子供ではなく母親が塾で学び、子供に勉強を教える。 小中学生対象。特に小学生。 高校あたりになると、かつての不得意教科は手に負えない。 でも小学生に九九やリットルデシリットル、星の動きとか月の満ち欠け 教科書を一緒に読んで主人公の気持ちを考える、 そんな事ならどの親にだって少しの時間があれば出来る。 習ったばかりの事ならば、どこが分からないか理解しやすい。 いつでも質問できるし、そこから学校の話や母親の昔話に繋がっていく。 親子の結びつきだって強くなるじゃない。 子供が何人でも塾代は母親一人分で済む。 高校受験の子供の勉強をみた というと大抵感心される。 受験対策の講座には通わせた。情報と問題が欲しかったから。 娘は塾の講師にもいろいろ質問したが、それだけでは足りない。 数学は勿論、自分の時には勉強しなかった理科も教えた。 感心されるほどの事じゃない。やれば誰にだって出来る。 大方の人は高校受験してるじゃないか。 中学の一年から一緒に勉強していたら、もう絶対に可能だ。 二人三脚がいいことかどうかまでは知らない。 それは勉強以外の親子の関わり方や子供の社会性によっても変わる。 でも私は台所で作業しながらリビングで勉強する子供を眺めるのが好きだし 何かを訊かれて手を拭きながらノートを覗き込むのも好きだ。 教科が社会や英語ならば、ついでに雑学のひとつも話す。 「知識を玩ぶ」という、お金のかからない、でもある意味贅沢な愉しみの意味を なんとなく理解できるようになったのも、子供に勉強を教えるようになってからだ。 息子が数学を訊く。「お母さん分かるかなあ」 最初は無理!って応えてたけど、何問か切り抜けた後は 「貸してみなさい」と鼻息を荒くするようになった。 受験数学は、どうやら二年でやった数学のおさらいになるらしく 昨日まで関数だったのに、今日はもう微分なんたらである。 曲線と直線に囲まれた面積を微分で出す。 なんのことだ。 シグマまではうすらに覚えているけどインテグラって何だ。 結局訊かれた問題はふたつの交点を見つければ済むだけだと気づく。 それなら解の公式を使えばいいだけのことじゃないか。 文にしてしまえば簡単だが、ここに至るのに「めちゃいけ」放送分かかった。 でもぼーっとめちゃいけを見ているより、数学をいじってた方が楽しかった。 解けた時の爽快感も「お母さんには無理」と言った息子の鼻をあかした快感も めちゃいけを見ているだけでは味わえない。 お母さんのための塾 結構イケるんじゃないかと最近また思うようになった。どーよ? 美容院で
中間が終った息子。だが始まりに過ぎない。
「数学はそのつど訊きなさい。ノートさえしっかりとってあれば教えられると思うから」 「うん 俺もそう思った」と素直に頷いたので、調子にのって 「国語もね 社説をノートにまとめるようにしなさいね。書く事が大事だよ。 古文や現国の問題集見たら あんた記述問題 分からないのは一行も書いてないでしょう。 間違ってもいいからとにかく書きなさい。答えの丸写しは駄目」とまくしたてたら 「お母さんがうるさい子は伸びないんだって」と言われた。 そうかよ。分かったよ。もう言わないよ。 美容院に行って髪をばっさり切ってきた。軽い。 オーナーの娘さんとうちの娘は同学年である。 「留学するって言い出してさ」と言うから、あら奇遇と「うちも」と言った。 しかしあっちは今年の分の学内選抜に洩れたようで 「TOEICで点が取れたら自費で行ってもいいかと言って来た」らしい。 「留学英語はTOEFLだって言ってたよ? 内容が違うんだよ」 ってTOEFL知らなくても留学できるんだあとちょっと驚いた。 大学受験も経験してない、指定校とはいえ向こうの大学の事も調べていない、 そんなんで留学してどこまで学べるのかしらと思ってしまったが 私の事情じゃないから黙ってる。 うちの娘だって、生活の方に追われて勉強できるかどうか不安なんだもの。 生活力のある子なら全力で勉強できるからその点では楽だろう。 「女の子だし 就職を意識するより三年生で学校から行く方がいいかもね」 留学って 思い描いているうちは夢なんだけど 実現に向かいだすと面倒なことばかり。 細かなことひとつだって自分で調べたり確かめたりしないと先に進めない。 始まってみて知った事がたくさんある。 娘がチャレンジしなければ知らないまま終ってしまった事だ。 そういう意味では娘に感謝せんといかん (のだが感謝して欲しい気持ちの方が大きいわい)。 そういえば中学以降、私の方から娘の事に口出しした事はないなあ。 相談されれば乗るけど、こちらからは何も強要しない。 いいよ。息子。あんたにも何も言わないよ。 だから塾の要項も自分で読め! 私は金しか出さん。 |
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