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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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前にも書いたが 好きじゃない。
「賞金を寄付する」発言も「小利巧だなあ」と斜めに見てた。

でも、そのどこまでが好感度などへの計算かはおいといて
そういう次元じゃなしに
賢い方法だったと今になってしみじみ思う。

多額の義援金も一度出してしまえばそれまでだ。
だが試合毎にという事になれば、彼が出場する試合の記事を見るたびに
東北のことが頭を過ぎる。
彼が試合に出ている限り、彼を見る人は被災地を思い出す。

忘れてるわけじゃない。でも薄れていくのではないかと案じている。
傍観者の私はそれを嫌だと思うだけだが、
被災地の人にとってはもっと切実なんじゃないか。
金銭的なことじゃない。
忘れられる、置いていかれるということ。

生協で食材の一部を購入している。
規定の数字を書き込むと一口500円・1000円で寄付できる。
一度にまとめて書けばいいのだが
毎回一口ずつ申し込む。注文書を書くたびに意識する。
お風呂に入る、布団に潜る、そのたび当たり前の幸せを噛み締めてるけど
その自分の幸運と、被災者の不幸を重ねる事が段々難しくなっていく。

新聞で不明者の人数と一緒に、
まだ断水の地域の戸数とか、避難生活を余儀なくされている人の数とか
載せてくれるといいのに。

自粛はいけない。それは分かる。
被災地の人もそれで経済が停滞するのは困ると言う。
でもそれと、私達が完全な日常に戻ってしまうのとは違う気がする。

りょうくんは出来すぎてる。だから嫌い。いい子過ぎる。だから嫌い。
でも、これまでの賞金や企業からのギャラとか契約金とか 
そういうものから一度かぎりの義援金を出さなかった事は
年齢や立場を考慮し、なおかつ被災者の気持ちも汲んだ上での事だとしたら
好き嫌いは別に、「やっぱ(人間の出来が)違うのかなあ」と思ってしまうのだった。
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