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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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受験生な息子のために夏期講習の説明会に参加する。
娘が世話になったところだから要領は分かっているけど
資料が貰えるからさ。
受けつけで名前と学校名書いて席につく。
塾長の説明が始まる。
人の顔を覚えるのが苦手な私は「この人だったっけなあ」と思いながら
資料をぱらぱら見ながら話を聞いていた。

「質問日が設けてありまして。おととしなぞは…
Yさんはご存知かと思いますが」
は? 私ですか。
「おととしはすごく盛況で番号札を配るほどでした」
ああ。そういえば娘が張り切って「質問に行かなきゃ!」って言ってたっけ。
塾初体験だったからいろんなことが嬉しかったらしく
(クーラーのきいた自習室だとか質問を受けてくれる先生だとか)
塾生じゃなくてもきちんと対応してくれるって喜んでいた。

…んでも先生二年前のただの聴講生のことまで覚えてるんだ!

帰り際に挨拶したら
最初に娘にした指導まで覚えてらした。
すごいなあ。
家に帰って娘に言ったら「それってすっごい嬉しい!」って。
私も嬉しいが、嬉しい反面憂鬱でもある。

娘と息子両方を担任した学校の先生は
「お前ら本当に兄弟か!」と呆れたからなあ…
娘と息子って両極なんだよ。

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友人の訃報に
別の不運続きの友人を思い出し、どうしているかなあと思っていたら
向こうから電話があった。
どうしようもない精神状態になってかけてきたらしい。

「絶対先にいい事あるよ! でなかったらワリに合わない!」
慰めとか励ましとかじゃなく、本気でそう思って言った。
どこかで帳尻合わせて貰わなきゃ腹がおさまらないよね。

先の友人の件でアルバムを引っ繰り返したところだったから
その子たちと行った旅行の写真も見たばかり。
「楽しかったね」「またいつか行けるといいね」
他の友人とも「ゆっくり温泉行きたいねえ」と喋ってたっけ。
出不精の私だからどこかに行きたいと切実に思う事はないけれど
旅の思い出は懐かしい。

「独身時代はよかったね。自分の事だけ考えていればよかった」
うん。
親も子供も世間のしがらみもなーんにもなくて
そりゃ仕事上の悩みとかはあったけれど、今の苦労に比べれば。
駄弁って晴らせた憂さだもんなあ。

現実が重い。
連絡がとれない理由はもうこの世にいないからでした。

あっかるい声で実家に電話して返事が「死にました」って現実的じゃないよね。
一晩たってまだ実感ありません。
多分ずっと。会わない時は何年も会ってないもん。

自殺はいかんとしみじみ思う。
でも残される者を事を考えろと言っても自殺は引き止められない。
生きる重荷に喘いでいるのに その重荷を増やしたって生きられない。

連絡を回した友人に「自分を責めちゃ駄目だよ」って言われたけど
別に責める気はないよ。
どっちかというと死んだ友人を責めてる。
でも他にどうしようがあったかというとそれも分からない。
友人は「あの世で(死産した)赤ちゃんと会ってる」って、せめてそう考えようって言った。
軽蔑さえこめて笑っちゃった。「メルヘンしてんじゃないよ」

死を美化しちゃいけないよ。自殺はやっぱり罪だよね。

観劇にいく約束をしている友人からTEL。
メンバーのひとりと連絡がとれないって。
集合時間の確認メールしても返信がなく電話しても通じない。
それはもしかして困るんじゃないかい?

最後の手段は実家に電話するしかないと
引出しから古いアドレス帳を引っ張り出してきた。
一応あるにはあったが。
「誰が電話するのよ」

ちょっとどきどきかな。いろんな意味で。

携帯を洗濯しちゃって みたいなオチだったらいいんだけどさ。

自己肯定と生存本能って関係あるのかな。
自己肯定が弱いと生への執着って薄れるのかしら?

なげやりな気分で夜道を歩きながら考えた。
ここでもし暴漢に襲われたならやっぱり抵抗するのかな。
夢で死を宣告されたり死にそうになって
目が覚めると「ああ 夢でよかった」って思うから死にたいわけじゃないのかな。

死にたいほど不幸なわけじゃなく
生き続けたいと思うだけの幸福の予感がないだけ。
贅沢だって分かってる。

目の前に自殺願望の人がいてもきっと上手く止められない。
その権利も方法もない。
現にネット上の知人に死にたいと言われて
「気が変わったら嬉しい」としか言ってあげられなかった。
生きて頑張って必ず幸せになれるなんて約束できない。
何が幸せかも分からない。

寝る布団と食べるご飯があればとりあえずよし なんだけど
それは生きる手段であって目的じゃない。

「娘のお産の世話をするまでは!」と考えてみるのだが
それって侘しいよな。だってそれは娘の事であって私の人生じゃない。
それよりは「おお振りの最終巻を読むまでは!」の方がましな気がする。

以前にどこかに書いたけど
保健体育の授業で「娯楽の意味」ってのをやった。
人生ってのは山頂目指して大岩を転がしていくようなもので
ひとつ頂上を極めても次の瞬間に岩は転げ落ちていく。
またそれを押して登り直すわけだ。そう。ギリシャ神話。
それを断絶させるのが「娯楽」である。と教師は黒板の山を指して言った。
その時は全然意味が分からなかったけど今なら分かる。

現実逃避でも何でも「娯楽」にだって意味はあるのだ。
娯楽に浸る事は生きていく上で必要な行動である。逃げでも罪悪でもない。

そう分かっても、でもそうまでして自分を騙して生きて何が残るんだろう
って考えてしまう。
死にたいわけじゃあないのよ。生きているのが面倒なだけ。
姉が聞いたら「だったら替わってくれたらよかったのに」って怒るだろうなあ。

私は多分私がそんなに大事じゃないんだと思う。

自分がいなきゃ始まらないみたいな人って 親から愛されて傲慢に育ったのかしら?
なんだって周囲を振り回す権利をもつと信じていられるんだろう。

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