木の洞にひとりごと
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「味噌の味が薄い」
豚汁だった。息子の好物である。 「味が薄くても栄養に変わりはない」 「栄養がとれればいいってもんじゃないだろ! ああ勿体無い勿体無い」 娘には他にあさりのバター焼きがあったが 息子は玉子丼と豚汁だけである。 「メインディッシュなのにねえ 可哀相にねえ」と娘。 弟のことなんかどうでもいいくせに。弟にかこつけてんだよな。 「今度から最初に文句言った人が 味を付け直すって事にせえへん?」 当然のように却下されました。 でも私料理の味で親に文句言ったことないような気がする。 決しておいしい料理じゃなかった。 ものによっては吐くほどまずかった。 誇張ではない。こみあげてくるものを抑えながら飲み込んでいた。 冬瓜汁しかり。玉子入り澄まし汁しかり。特にこの玉子入り澄まし汁! 「ねえ あれって別の器で溶いてから 流し込むよね?」と確かめたら 誰もが「うん」と言った。 私もそうしている。沸騰寸前にしておいて流し込んで箸で掻き混ぜれば 細かくさらさらと固まって、それなら私にだっておいしく飲める。 しかし母親のそれは適当に割りいれて適当に掻き混ぜて 白身の固まったところなんてゲロゲロに不味かった。 折角の好物だからよりおいしく食べたいと息子は言ったが 私はこの豚汁に天敵ともいえる牡蠣を入れられた事があった。 さほどに好き嫌いのなかった私である。 これだけは勘弁という牡蠣を、どうして入れる必要があったのか。 豚汁に牡蠣が必須だなんて聞いた事がない。 ラーメンに山盛りのキャベツを入れられた事もあった。 キャベツだって少量の肉といためて入れればおいしいのだが 適当にスープの中にぶちこんであるだけである。 ラーメンは好物だ。どうせならそれはそれでおいしく頂きたい。 野菜を、というなら別に野菜いためにでもしてくれたらよかったんだ。 大体が普段栄養バランスなんて考えてないくせに。 母親は料理教室に通っていた。パン教室にだって通っていた。 一体に何をしに行っていたのだろう。不思議だ。 結婚してすぐの頃、両親の新居に旦那の両親を招いた事がある。 その時用意された料理は絢爛豪華で おすましも駅前のデパートで買ってきた鰹節でだしをとってあった。 習い覚えた技は「お客様」相手にしか発揮されないらしい。 冬瓜汁にせよ、そーめんつゆにせよ、しいたけと醤油の味しかしなかった。 ごくごく稀にだが「また作ってね」と言ったものが 二度と食卓に並ぶ事はなかった。 そんなでも私は文句を言った事なんかないぞ! PR
気持ちのいい朝です。
半月続いた寝不足が解消されつつあります。 昨日は雨の中通院付き添いでした。 三ヶ月前からの予約で、旦那に有給とってもらってるから 変更はきかない。 ずぶぬれになって車椅子と母を車に乗せました。 濡れた服のまま再診受付、採血、レントゲンと走り回りました。 いかに効率よく動くか、最近使ってない頭の回路をフル回転。 おかげで待たされる事無く12時前に全て終了。 今回二度目の整形外科担当の医師は 苦労知らずのぼんぼんな感は拭えませんが その無神経すれすれの辛口が私には気持ちよかったです。 後から考えると腹を立てるべき発言だったかも知れんが 母に対するこちらの胸のうちを代弁して下さったんで 私的にはものすご気持ちよかったんです。 レントゲン写真を見て、母を見て 「あれ? 車椅子? 歩けるでしょ」といきなり。 「骨を折ってから…」と母が言いかけるので 「手術後にきちんとリハビリして頂いて その時は歩いて退院してます」と私。 「脳梗塞をやってから……」と母が言うと 医師は「はあ? それを言い訳にしたいの?」と一言。 その脳梗塞も実際にはやってないのだ。 脳外科の医師が写真を見て「大きな梗塞痕はありません ご心配なく」と言った。 何度それを説明しても母は認めようとしない。 「まだ80なんだからね。少しずつでも動かさないと。 あれ 頼むといいよ あれ……」 「訪問リハビリですよね。先日その話をしたのですが本人が嫌がるので」 「なんで。動かないと骨は弱るばっかだよ」 母はやってもいないベッド周囲の伝い歩きをやっていると言い、 更には手押し車の話まで持ち出す。 そんなもの埃かぶってる……じゃない 荷物置き場になってるから 埃さえかぶらない。 さて。一方父は17日に予定してある胃カメラの検査が憂鬱で仕方ない。 昨日夕方、それも7時前に電話してきて 「こんな体調じゃ受けられない」と泣き言を言う。 「往復の運転がしんどいとか言うなら私が(あそこくらいなら)送迎するよ。 手伝えることがあるなら手伝うよ。 でも受けるか受けないかは私にはどうしようもないし キャンセルするなら私に電話している暇に病院に言わなきゃ!」 電話を切って数分後。 今度は元気な声で「キャンセルできた」と言う。「簡単に『分かりました』で終った」 「で。そんなに身体がえらいなら 明日朝一番でそっちに行こうか?」 「いや いい」 ……要は検査が嫌だったんだね。逃げたかったんだね。 別にその歳だもの 嫌なら嫌でいいよ。 でも「それくらいに体調が悪い」と強調してこちらを慌てさせるのは勘弁してよ。 待ち時間が長くなると「今日は何なの 何で来なきゃいかんかったの」と 母から詰られる。トイレに連れて行くのも結構苦労。 自分だけなら呼ばれるまで待ってるだけだけど 看護婦さんに「まだですか?」と確認しなきゃいけない気分になる。 自分の不手際で更に待たされたとなると余計に辛いから 前もって「どういう段取りで動くと一番いいか」を考えなければならない。 (二科受診なので特に) その上の雨で、駐車場の入り口が行列だったらどうしよう、どこにつけようとか。 早くつきすぎてもいけない。でも検査結果が出るのに一時間かかる。 朝一番は混むだろうなあ。などなど。 同行の旦那は言われるままに動くだけだが それでも夕方にはヘロっていた。 通院付き添いというのはなぜか疲れるもんである。 もしかして待合室にいる年配の方々にエネルギーを吸い取られるんじゃないか。 久しぶりにインフォシークのページを見たらば
ベランダのプランタンのみかんの木に幼虫発見。
今年はこないと言っていて先月発見して でも葉っぱが足りなかった。 一匹はどこかに行ってしまい、一匹は別のみかんの木に連れて行った。 その前夜に旦那がそこからみかんの葉っぱを取ってくる約束だったのに あの馬鹿たりは間違えて柿の葉を持ち帰ったのだった。 丸坊主になっていたみかんの木に新芽が出てみるみる育ち 生命力ってすごいと思っていた矢先の 今回の発見である。 二匹いる。 いくらみかんが頑張っても二匹分は無理だろう。 どちらかを間引きするしかない。 或いは里子に出すしかないのだが、 柔らかい新芽ばかり食べているチビ助が大きな木に行って ごつい葉っぱを食べられるだろうか。 事実上の間引きになりはすまいか。 一匹を選ぶ。 その瞬間私は幼虫にとっての神になるわけか? ……ああ 重い。選べない。 静穏なる覚醒。 いきなりなんの事かと思われるかも。 隣の子供の声を聞いているとこの言葉が思い出されるのさ。 子供の性格なんて生まれつきの要素が濃いと分かっているけど (娘と息子を比べれば分かる) この不安定さは遺伝子だけじゃないだろとも思う。 乳幼児の機嫌のいい時に、それを更に刺激して絶頂にもっていく。 そして一線を越えさせてしまって泣き出させる。 隣家はこのパターンがかつて多かった。これがいらいらするんだ 私は。 おかげでいまだに夜泣きするわ、すぐに泣きだすわ。 情緒不安の原因はひとつには大人の過干渉があるんじゃないかしら。 機嫌のいいガキは放っておけ。 これは旦那にも何度も言った。 一般に機嫌のいい子は構いたくなるもんらしい。 祖父母に多いパターンだよね。泣き出すと「はい お母さん」てよ。 大高の親が義妹にこれをやっているのを見たぜ。 私は子供の相手が苦手で、 ひとりで機嫌よく遊んでいてくれるなら 一秒でも長くその時間を引き延ばしたいと思った。 幼児期は遊んでいる部屋に入らず、近寄らず、決して声を掛けず こちらの物音で注意を引かないようにとまで気遣った。 乳児の時、目覚めて静かにしているのを見つけると ベッドからできるだけ離れ、 どうしてもその周囲に用事ができてしまった時は ベビーベッドの横を匍匐前進したものである。 後日本を読んでいたら 目覚めてひとりで遊んでいる乳児はそっとしておくべきだと書いてあった。 静穏なる覚醒。 その時間が乳児の精神形勢か脳の発達かに大切なのだと。 ほおらみろ!(鬼の首) って話を娘にしたら 「にしても お母さん それは(匍匐前進)やりすぎ……」だとよ。 娘は、息子のこの大事な時間を邪魔しまくった。 ひとりで機嫌よくしているのに 「三人で遊ぼう」と私に弟を抱き上げる事を強要する。 「お母さんとふたりでいいじゃない」と言っても聞かない。 仕方なく私は息子を抱いて娘の遊びにつきあうこととなった。 息子の集中力が娘のそれより劣るのはこのせいかも知れないぞ。 サー○スさま。 |
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