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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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「学校に来るのが嫌なひと 手を挙げて」
ある日先生が訊いた。
クラスに不登校の子がいるからだよ と娘は言った。
小学校低学年の頃だったか。
「私もさ 行きたくないんだけど 手は挙げなかった。
どうせ面倒なこと 訊かれるだけだもん」

時々日記に出てくる「バカ娘」の事である。
「お友達を作るのが下手ですね」と1年の担任に言われ
授業の呑み込みも悪い。先生は愚鈍と言いたいところを頑固と言い換えたが
とにかく散々に評価されていた。
三年に進級して担任が変わって、娘も少しずつ変化していったが
でも小学生の間はいろいろ危うかった。

学校に行きたくない。でも行く。
それは行きたくないという自分を他人に知られたくなかったからか。

子供会の役員をやっていた時、
子供に交換用のプレゼントを持たせなかった親がいた。
交換に参加したそうなその子にどう対処するか。
私は親が欠落しているのなら、
他人がその分を補ってやるのが「子供会」の役割でもあるんじゃないかと
会費から出すのが不公平ならば自腹ででもプレゼントを用意してあげればいい
と思った。

娘が言った。
「私なら放っておいて欲しいね。自分の親の不出来を他人にいじられたくない」

私が彼女を殴ったことがあると言うと大抵の人は驚く。
「あなたが? 信じられない」
蹴った事もある。髪の引っ張り合いもやったんじゃないかな。
もっと大きくなってからスーパーの駐車場でつかみ合いの喧嘩もした。
大学受験のさなかに辞書だか分厚い問題集だかで殴り合ったり。
(息子とは一度もない)

ある日わき腹が痛いというので、腎臓かと内科に連れて行った。
医師は首を傾げ「内臓じゃあ ないなあ。ぶつけませんでしたか?」と訊いた。
私が全然覚えがなくて困っていると、娘がにやにや笑っている。
診察室を出たところで「お母さんが蹴っ飛ばしたところじゃん」と言った。
……
「言わなかった事に感謝してよね」

これは笑い話だが
耳鼻科で医師が「何かで傷をつけたね」と言った。
娘が「自分で耳掻きしました」と答えた。
横にいた私は滅茶苦茶ショックを受けた。耳掻きは私の仕事だ(嘘。楽しみだ)!
勝手に自分でやっていいなんて許可した覚えは!
と待合室で怒鳴りかけたら
娘が「やってないよ。お母さんのせいだよ。
でもお母さんがやりましたって言ったら お母さんが叱られるんだよ」と言った。


リビングで宿題をしている。
「ねえ いきづまるって つに点々でいいんだよね」
「そうだけど でも漢字の方がいいんじゃない?」
「えー どういう字」
「ごんべんに……」
「送り仮名は る だよね」
「……つ まる」
二年生。
小学校ではない。大学。

娘がまだ幼い頃、近所の人が言った。
「あなたは あの子に過剰な要求をしている」

小学校4年の時。
ママ友の呪縛から完全に解き放たれた私は現実からも飛んでしまっていた。
「お母さんの頭の中の半分は 遊戯王なんだね」
「バカを言いなさい」と私は怒った。「8割だわ!」
「じゃ ……じゃ 私たちは残りの2割なの?」
「甘いね。残りの2割を ハムスター 家事 雑事 育児 で分けるんだから
あんたらなんか 5パーセントだわ」

その夏彼女は買物行き、昼ごはんを作った。
当時の日記を読み返すと「誰だ これは!」である。

彼女が6年の頃、私はこれではいけないと気づき、頭の中の割合を調整した。
それまでの分を穴埋めするように過保護になった。
そして今のバカ娘が出来上がった。

……悪いのは私ですか。やっぱり。
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