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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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私には捨てられない「食欲」がある。
これがあるからこその人生だろうと思う。

我欲を捨てないと悟りはひらけない。
よって私は仏にはなれない。

仏になるというのは修行を積んで徳を積んで
段層をひとつずつ上がっていって、やがて頂点に立つこと。
ひとりの行者が頑張ると、衆生も引き上げてもらえるともあるが
(これが戒名の始まりなんだろうか?)
それにしたって仏への道は本来ほど遠いものである。

私らの頃、社会科で「大乗仏教」「小乗仏教」って習った。
今の教科書にこれが載ってなくて、子供達も知らないと言った。
どうしてなんだろう?

大乗仏教。大いに乗ると書く。のりすぎである。
ものすごいストーリィテーラーだと言っていい。
スケールがでかいので面白いことは面白い。

劫という時間の単位がある。仏教の単位は一番小さいのが刹那。
劫というのは
「一里四方の岩があって 百年に一度天女が舞い降りて
袖の端でそっと撫でていく。
僅かずつ、ほんの僅かずつにだが岩は削られていく。
この岩が全部消えるまでが」 一劫 である。
(ちなみに同じ大きさの箱に一粒ずつ砂を入れる というのもある)

♪ 弥陀成仏のこのかたはー いーまに 十劫を経たまえぇりーぃー

旧約の天地創造から計算すると紀元まで4000年。
比べて仏教のそのスケールの大きさがお分かり頂けるだろう。

弥陀というのは阿弥陀如来(如来と仏は同等)。
我が家は南無阿弥陀仏の浄土真宗である。他力本願寺である。
念仏が宗派によって違うのはご存知だろうか。
南無「阿弥陀仏」と言っていいのは浄土系だけである。
この阿弥陀如来さまというのは須弥山でなく
地図で言うと左側(西)に外れた浄土というところにおわします。

とてもじゃないけど須弥山の上まで目指せねえぜ という衆生のために
阿弥陀さまは救いの手を差し伸べてくださいます。
だから
よく四十九日といいますが
浄土宗では三十五日で忌明けとなります。
これは死者が浄土にたどり着いたよーという頃です。

そう。それだけ近いんです。二週間早く着いちゃうんですね。

って何語り口調になってるんだ。
てか。これ別にお坊様に聞いたわけじゃないんで。
仏教思想の本をぺらぺらっと読んで、実際の法要と重ねてみただけなんで
お坊様に怒られてしまう解釈かも知れない(んで そこんとこよろしく)。

ついでに。
南無 は「~に帰依します」「~を信心します」の意。
学生時代に先生が
「だから なんじゃらほい というのは じゃらほい教を信心しますって事だぞ」
と言ってたけど 本当なのかな?
(民謡にあるでしょう 木曽のなー とかいうやつ)

あああ。何が書きたかったのか分からなくなった。
でも仏教って面白いでしょ?
自分の家の宗派知ってます?

浄土真宗というのは教科書にあるとおり浄土宗から分派したもので
「阿弥陀如来を信じれば浄土にいける」という教えを更に推し進め
「一度でも『南無阿弥陀仏』と唱えれば極楽浄土にいける」と

……中世の先生が言ったんだよなあ……
講義で。
んで「だから今から一緒に唱えましょう」と合掌した。

人が亡くなるとお線香を立てますね。
浄土真宗では一本だけです。
これは死んだ人が迷わず浄土にたどり着けるよう道案内なんだそうです。
だから何本も立てるとどれが目印か分からなくなっちゃう。
そして35日の間絶やさず立て続けなければいけません。
「寝てられないじゃんか」と思うでしょう。
大丈夫。蚊取り線香みたいに渦になったのがちゃんとあります。

7日目ごとに関所があるのでお経を読んで応援します。
かつてはお寺さんを呼んでたのでしょうが、今はどうですかね。
正信偈ぐらいはあげられると便利ですね。
帰命無量寿如来 南無不可思議光 で始まるあれです。

般若心経でもいいです。あれはオールマイティ(どの宗派でもOK)です。
三蔵法師が持ち帰った膨大な量の般若経を
コンパクトにコンパクトにまとめた有難い(らしい)お経です。


なんてたらたら書いたけど
私は無宗教です。
「輪廻転生」を漠然と信じてます。
縋れるものはなんでも縋ります。
主の祈り(天にまします我らの父よ で始まるやつ)も覚えてます。

知ってましたか。
祈る時みたいに指を組んで手を合わせると
気持ちが落ち着きます。
これはツボか何かの効果なんでしょうか。
苛々したり落ち込んで先が見えなくなった時、やってみるといいです。
合掌も、それほどの即効性はないけれどそれなりに根拠あるみたいです。


結局……?

ああ。えらい坊様の話で
「琴の弦を強く張りすぎてもいけない。弛めすぎてもいけない。
中庸がいいでしょう」と言ったという説話があります。

こんな風に信心とつきあって
適度な欲に塗れつつ、でも他人を傷つける我欲は捨てる事が出来たら
いいなあと私は思います。

食欲は捨てませんぜ!
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食欲ね~
食欲との戦いはブッダも相当やってましたね。
骨と皮になるまでやって乳がゆ食べたとか・・・
ヤギの乳のおかゆって臭いだろうなぁ、などと思ったり。
日本の仏教とインドの大乗仏教はずいぶん違うそうですね、確か私もそう習いましたよ。
私の婚家も実家も浄土真宗でしかも一向派だったと聞きます。
葬式で坊さんが「おじいちゃんは天国に行った」という言葉は使うな、とくどくど説明してました、仏教徒なら「極楽に行った」と言って下さいって(^◇^)
ちなみに創世記からキリストの誕生までは、あのニュートンが計算したところ4000年だそうですが、聖書に書いてあるわけではないのでしかとはわかっていませんし、その後の2011年を足しても6千年しか経っていないのでニュートンも間違えてるかもです。
だってアダムは930歳で死んでます。
旧約聖書によればみな数百歳生きてたらしいですし。(@_@;)
何を食べよう何を着ようと思い煩うなというイエスの言葉を今日も覚えず、今夜の夕ご飯を考えているワタクシでした!!
ちやこ URL 2011.04.21[Thu]15:06:11 編集
間違えました!
>食欲との戦いはブッダも相当やってましたね。
お釈迦様の死因は食あたりだとか……
それも豚肉という説もあって それじゃあんまりだから
トリュフのような豚がその匂いを好む「きのこ」だったんじゃないかと。
きのこだったら中毒も有り得ます。

2000年。ええ! 間違えました。
自転車こいでいて急に不安になって帰宅してすぐパソコンつけました。
コメント読んで「どしえええ」だわ。ったく。
ニュートンの試算だとは知りませんでした。
またひとつおりこうになれました。

記事を読んでしまって「へえ 2000年」と思い込んでしまった人も
いるかもなので訂正記事出しておきます~

「文を書くのは 恥をかくということなのだよ」
(元ネタは文じゃなくて『絵』ですが」

何を食べるかより 何を食べさせるか ですよね 主婦は。
空から魚が降ってくるなら苦労しないわい。
[2011.04.21 15:40]
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