思い込みで固まって文章を読み解けない人間に
何を言っても無駄って分かってるけどね。
どうせ人種が違うのさ。
私は最悪の「本性」の人間だしね。どうせ。
ま。それも誉め言葉として受け止めるわ。
自分が「正しい人間」なんて思い込みたくなんかないから。
批判は自分のブログでやるのがルールらしい。
以前から「おかしいだろ」と思っていた。
だってそれって「陰口」だろ?
相手が言葉の通じる人間だと思えば、直接「そうじゃないんじゃないか」と
訴えるのが本当だろ。
自分の言い分が正当だと思うなら
なんでこそこそ自分のブログで意見するんだ。
(この件に私は関わっておりません。別件ですが)
「被災地に仕事で応援作業に出向いた人から聞いた話」
「それを読んだ被災地側の人間の怒り」
私は偶然それを両方読んだ。どっちも初めて訪問する先で
何の先入観も義理もない。
最初のブログを読んで
「被災地の人間にも被害者意識に固まってる人っているんだ」と感じ
(これは以前に盲学校を訪問した時に感じた事と通じる)
次の記事を読んで
「ああ そうか。そうだよな。ボランティアでも寝袋食事持参ってあるもんな。
食事を出してもらえるなんて考える方がいかん。
手伝ってやっているという態度を見せたらお礼も言いたくなくなるし」と思った。
どんなことでも双方の意見を聞かないといけないといういい例だ。
しかし、である。
最初の記事を書いた人がこれを目にしているという確証はない。
直接この抗弁を聞いたら「ああ そうか」と息子さんを諭せたかも知れない。
だが知らないまま、息子さんたちと腹を立てているのだとしたら。
それでも「批判は自ブロ」なんだろうか。
私だったらルール違反でも直接言っちゃうだろうな。
それで無視されたら自分のブログでぶちまけるだろうけど。
あ。話が逸れてる。棘のある文章だった。うん。
3月16日に「都知事のアレ」という記事を書いた。
それに批判のコメントがついたので、レスをしておいた。
だが偶然「削除されている」という怒りの文を
そのコメンターのブログで読んだ。びっくりである。
……しかし何だね。
そこで私は「本性がバレる」みたいな事を言われ
更には「やつら」呼ばわりされてる。
でもそんな事より「コメントを握りつぶした管理人」と言われた事に
むちゃんこ腹が立った。
根性悪でもええ。奴らくくりでもええ。
だけどこれだけは許せん!
それに私は私なりに震災を自分の事として受け止めている、
あの記事は決して傍観者の無責任で書いたもんじゃない!
と遅ればせながらにコメントを入れた。
動揺はしていたけど、出来るだけ冷静に正しい言葉遣いで。
したらば。「棘のあるコメントをありがとう」と返された。
棘だ? 私が本気出したらんなもんじゃ済まねえ!
あの文のどこをどう読んだら「棘のある文章」なんだ!
それとも私の文章表現が最初から歪んでるって事か(あ そうかも)
(って自分で納得しててどうする)。
「非実在青少年」の表現を削った法案にケチをつけられた知事は
(物書きだから)ソドムの市の荒廃を思い浮かべたんじゃないかと
皮肉ったの。
で、その流れで旧約からちょびっと引用したの。
哲学ならソクラテスの「悪法も法なり」を引き合いに出すのが好きだわ 私。
「批判は自分のブログで」なんてルール、絶対おかしいと思うんだけど
でもそれがきまりなら仕方ない。糾せない限り従うしかないんだわ。
だから「ここで」言ってやる。
「言ってあげるのが親切って事だってある。
陰でこそこそ非難するのはただの ね・く・ら。
行政相手とかなら仕方ないけど 個人対個人で分かりあえるなら
とりあえず試みるべきなんじゃあ ないかしら」
まあね。
「どうせ 当事者にしか分かり合えないのよ」ってつるまれたら最後だわね。
勿論。分かるわけない。
いくら情報集めたって経験してないんだもの。
分かるよなんて口が裂けたって言えない。
だからってね 最初から障壁つくってたら 知らない間に加害者になるよ。
棘のある文ってこういうのを言うんじゃないの?
や これは毒のある文章か。
うわ。日本語って難しい。
補注。
引き合いに出したブログ記事の内容。
どこで読んだか覚えてないので正確じゃないけど。
「水道関係の仕事で息子の友達が被災地の応援に行った。『仕事』としてである。
食事の用意はあるからと言われて行ったが、
あなた達の分はないと断られ、持参の食糧でしのいだ。
水さえも買わなくてはならなかった。最後にありがとうの言葉もなかった。
子供から聞いた話だから多少違っているかも知れないが
でもそれを差し引いてもひどいじゃないか?」というような事が書かれていた。
次のブログで
「被災地に食糧がないのは当たり前。水が買えたならまだラッキーだ。
不幸に直面し疲れきっている時にお礼が言えないでいるのも
ある意味仕方のない事なんじゃないか」という批判が書かれていた。
当然もっと長い文章で丁寧に。
ふむふむとそれを読んで「そうか そうだよなあ」と思う。
言われれば当たり前なんだが、やはり当事者の立場になる事は難しい。
教えて貰えたら反省もするし理解も深まると私は思うんだ。
長くなるけどついでに書いちゃうね。
被災地の情報は一応新聞から拾えるけど
被災地周辺、関東付近の状況は全くつかめず
普段あまりしないブログ散策を震災関連中心にしたんだ。
そこで
「家をなくした人よりまし 家族を失った人よりまし。
分かってるけど今が辛いんだ。もとの生活に戻りたいんだ。
被災地の人よりましなんて それは私たちが自分に言い聞かせることであって
関係ない人には言われたくない」という文を読んだ。
悲惨すぎる情報は現実味が薄い。
だがこういう叫びは共感できる。ものすごく分かる。
全部吐き出してよ。家が倒れていなくても今ガスが通っていても
僅かにでも影響を受けたなら 私たちに比べたら皆「被災者」だもの。
自分の身丈の共感じゃ駄目なんですかね。
それすらもわきまえず、ただ「大変ですね」と言ってればいいんですかね。
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