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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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前にも触れた話題だが、昨夜「孤高のメス」をテレビで見て
またいろいろ考えた。
家事したり風呂に入ったりしていたので映画自体はちゃんと見てない。

風呂から出てきたら
ドナーの母親が息子に別れを告げているところだった。
まだ温かい息子の身体を手術室に見送る。
手術室で息子の波長が平らになる。臨終だ。
亡骸となって息子が出てくる。それを見て「駄目だ……」と思った。
到底耐えられない。

自分がドナーになる分には平気だが、肉親のそれは容認できない。

これまで心情的には理解できると中立の立場に留まっていたが
今回は否定派の位置から移植を考える。

当事者の意識についてはあれこれ以前に書いた。
今回はもっと社会的に、否定の理由を考えた。
ひとつ、膨らむ医療費。
ひとつ、あまりに局所的な医療。
ひとつ、明らかにされないデータ。

移植後の平均余命。一度の移植でどれだけ寿命を延ばせるのか。
臓器の年齢。50歳の臓器を20歳の人に移した場合、
ドナーのもともとの寿命が尽きた時、移植された人はどうなるのか。
60過ぎの人がドナーになった例を新聞で読んだ。
臓器だけでも生き永らえたらと遺族は語ったが、利己的に聞こえた。

移植後、免疫抑制剤の投与を受けないといけないと聞いた。
その費用はどれくらいなのか。
移植に必要なスタッフの人数、設備投資、その他の費用など。
もろもろの一覧を提供希望者に提示すべきではないか。

要は効率の問題なのだ。
優秀な医師、最新の設備、カウンセラーやコーディネーター、看護婦。
ヘリなどの運搬機関。
ひとり もしくは数名の命を救うためにどれだけの人員を必要とするのか。
それらの医師、看護士が助けることの出来る、
本来助かるべき命の数との比較。
手術や術後処置、抑制剤投与などのその後の治療費、
それは保険適用なのか、総額で幾らぐらいになるのか。

宗教的にはどうなのだろう?
アンデスの生還者が教会に受け容れられたぐらいだから
他人の肉体を使って生き延びることへの批判はないだろう。
だが、「臓器となって命を繋ぐ」という考え方は?

日本は遅れていると言う。それがいけないことなのだろうか。
欧米での推進が、経済的な目的ではないと言いきれるのか?
募金で一億目標とするという事は少なくとも病院側にその半分は渡る。

臓器移植そのものがいけないと言うよりも
そういう選択肢を作ってしまった事が罪なんだ。
なにもかも運命と受け容れられたら、もっと楽に死ねるし
もっと心穏やかに見送る事が出来るのに。
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