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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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という相談投書が新聞に載っていた。
焦りはないようだから3年じゃないだろう。
「塾に行ってくれと頼んでも嫌だと言います。
そのせいで成績はがたがたです」

同じテーブルで勉強していた息子に話した。
「放っておけ」
そうだと思ったよ。

言われるとやる気をなくすのは大人も同じ。
そしてまた言われている間は責任を共有している気がして
どこか安心してしまうのも同じ。
勝手にしなさい もう知らないからと放り出されたら焦るかも知れない。
言っても駄目なら黙るしかないと思う。

私だって小学生の間は言ったよ。勉強しろとか こうやりなさいとか。
近所の人が学研のセールスをやってたから購入して
それが結構いい感じだったんだけど、
娘が中学に上がる頃にその人がやめちゃったので、それきりに。
以来子供主導で、欲しいと言えば問題集を選びに行くという程度だった。

「悪い点をとってもいいけど 悪い点には慣れるな。
100点を取れとは言わないが 8割はキープしておけ
そうしたら 望んだ時に上を狙うことが出来る」とだけ言った。
娘は言われたとおりそのあたりで頑張っていた。
が。
息子は最初から80点満点設定でテストを受けるから
その8割、つまりは60点台しかとれなかった。
このあたり性格が如実に出る。

娘は怒る。
息子は私に成績表を見せると「姉ちゃんには言わないで」と言った。
私が彼を叱らずに済んだのは、姉の脅威があったからかも知れない。

娘は私に怒る。
でもここから先は本人次第だもの。
勉強が嫌なら専門学校に行くという手だってあるし
学校の成績がそのまま社会に通用するわけじゃない。
勿論「勉強」という嫌な事を我慢してやる過程は大事だ。
むしろその方が大事だ。それは思う。
だが我が家において子供達の利点は全く違う。
息子は息子の長所をもって世渡りしていくだろう。
娘に比べて彼の根性が甘かろうと、
彼は柳の枝のごとくに世間の風を受け流すことが出来る。

ああ ずっと以前に日記に書いたような気がする。
娘は柳の幹、息子は枝、それに戯れる蛙に私はなりたい。

投書のお母さんに助言をするならば どうまとめたらいいのだろう。
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相手にされないと分かっているが。
だが天気の方が私に喧嘩を売ってるんじゃないかと
思える。

今週名古屋は毎日曇りと雨マークだった。
降ってはいなくても雨マークがついていたら
きっちり乾かしたいものは洗えない。
押入れに片付けたい娘の衣類は、やはり一度洗ってから
完全に乾燥させたいではないか。
毎朝「今日は無理か」と見送り、毎日午後「いけたじゃねえか」と怒る。
雨どころか晴れてるんである。
挙句母の通院日だった木曜日の朝に限って降りやがる。
そして今日、雨マークのない曇りだったから、絶対に晴れる!と
くだんの娘の衣類を洗濯機にぶちこんだらば。

昨夜も北側の部屋の窓を閉めるかで迷い
テレビでは関東の大雨ばかり言っているから
名古屋は降らないんだと開けたまま寝て、夜中に閉めにいく羽目になった。

きいいいっ。

その上のったりゆっくりの台風だ?
通院日ありガス給湯器交換の日ありの週にかよ。

しかしまあ 娘の出発日に台風が来てなかっただけましと思おう。

心細げなメールの後、頑張って話し掛けたりしているうちに
クラスが始まって親切な(しかも可愛い)女の子と知り合えたらしく
元気な便りが届いて、親としてはひと安心である。
とはいえまだまだ気は抜けないけど。
日本にいたって新学年とか「新しいクラスでうまくやっていけるだろうか」と
親は気を揉むものなのに、その上に言葉の壁なんだもの。
だが「友達づくりが下手ですね」と担任に言われた小学生の頃から
随分と成長したもんだ。
留学希望のエッセに「私は努力家だ」と書いた娘に
「私は努力型の人間です と書き直しなさい」と助言したが
確かに努力家だよ あんたは。
ああ。でも頼むから調子に乗りすぎないでくれたまえね。失速が怖い。

こんな時思い出すのが、マンガのDANDOHである。ゴルフマンガである。
大人の余計な危惧や思惑、固定概念による制止が
子供の可能性を潰してしまうという台詞がある。
思い当たる事はいくつもある。
公園で滑り台に登ろうとする子供を「危ない」と止めたり
長じては無謀と思える挑戦を思い止まらせようとしたり。
大人が無理と感じる事でも子供は感性と行動力で乗り越えていくと
主人公の指導者となったもとプロゴルファーは言う。

やめておきなさいとか
ブレーキをかけらうような言葉を言ってしまいそうな時に
この言葉を思い出す。
それでも親として言っておかないとなんて 言っちゃうんだけどね。
映画を録画したのはいいが、なかなか観られない。
一昨日だったか、テレビの前でうろうろと
「何時間かな でも今日はまだ全然休憩とってないからな」と呟いている。
うっとうしい。
大体があんた最後までそれを観られるのか? 悩む価値があるのか。

私はこの映画を知らない。戦争映画はあんまし好きじゃない。
太平洋戦争だろうがベトナム戦争だろうが、どういう視点でも好きじゃない。
だから結末も展開も知らないが、はっぴーじゃないことくらいは分かる。

息子が観始めた。
馬が出てきた。可愛いとか乗馬術が格好いいとかうっとりしている。
まさかこの馬殺されて馬肉にされるなんてことはないだろうな
と危惧していたが、さすがにそれはなかった。
次に後ろを通り掛った時、ちょうど爆撃だか銃撃だかで倒れたところだった。
普通に殺されただけだが息子にはショックだったようだ。
「そんなんで最後まで観てられるの?」
「…… こんな早く始まるとは思わなかった」 まだ30分といったあたり?
戦闘が始まるまでは大丈夫と彼なりに考えていたのだろう。
だが一時間ともたなかったわけだ。

中断したビデオが再開される事はなく。
「観ないの?」と訊いたら「お母さん観たいの」と質問返し。
「映画は観たくないけど 映画を観てるあんたが観たい」
首を振って「精神的安らぎにならないんだよなあ」と言う。
折角の休憩時間に落ち込みたくないというわけか。

面白がって「カタルシス効果ってのがあるんだよ」と言う。
「強い怒りや哀しみによっても精神は浄化されるって。
お笑いでばかり発散してないでたまにはそういうの経験したらぁ?」
私は本当意地が悪い。ってか息子は本当にからかい甲斐がある。

その後にの演じる兵卒がどうなったか、
映画を観たことがあるという旦那にあら筋を訊いてみたが
「覚えてない」だそうで。役に立たねえ。
だがたとえにのが生き延びたところで息子が耐えられるかどうか。

ちなみに息子は現在上映中のさくらい君出演の映画も観たいそうだ。
三日家にいると体調を崩す。
今週は講習もなく、ずっと家である。勉強である。
娘ほど根を詰めるわけじゃなく適当に休憩している。
だが昨夜は「お腹すいてるのに食べられない」とご飯を残し、
今日はついにテニスコートを予約した。

「あんたに私の生活は出来ないねえ」 私は出不精である。
一週間出っ放しか 一週間ひきこもりか どちらかを選べと言われたら
迷わずひきこもりを選ぶ。一ヶ月でも同じ。
「いや 俺だって リラックスしてなら もうちょっともつよ」
「なんだね 私が一日中リラックスしているとな?」
「違うの?」 嫌味でナシにナチュラルに訊き返してくれた。
私は手にしていた母の診察記録のノートを振って見せた。それで息子は黙ったが。

「犬が欲しい かき氷器が欲しい」
高校生男児の台詞だろうか。
彼がそのどちらかを口にしている限り彼自身が犬なのである。
「うちにはいるから 要らん」
そんな彼は犬種にたとえると何だろう。
親が嫌い。
子供じみた駄々と言われようと 嫌なもんは嫌だ。
そんな自分を正当化しようというのか、過去の事を繰り返し思い出す。

暑さで父がバテる事は想定ずみだったので、
旦那に少々無理を言って有給をとって貰っての、通院付き添い。
父は自営業だったから半日くらい自分でいくらでも融通がつけられた。
そのせいか母は会社員である旦那が有給をとる、という事が
どれくらいの負担か(まあ 旦那の会社が会社なんだが)分かっていない。
あたりまえのようにふんぞり返っているし
そうまでして貰って来た薬の服用もいい加減である。
もう投げ出したいが、その結果悪化したら困るのは私である。

病院の後そのままショートスティに送り込む予定なので荷物も積む。
小さな手提げ鞄もあったのでバッグに押し込もうとしたら
母が慌てて掴んだ。
「移動中は危ないから 車に乗るまで預かるよ」と言ったが、離さない。

もしかして通帳 入ってます?

病院に着く。
先日のめまいによる入院の事が頭にあって、いつ何が起きるか分からないから
診察までの流れを母にも把握しておいて貰おうと説明する。
貧血の話が出たので「数値は私も変わらない」と言う。
鉄分が底をついてるだけ私の方が深刻なくらいだ。
その後、旦那とふたりきりの時に母が「あの子 やたら予防線を張る」と言ったとか。
「お父さんも 私の前では辛そうにしているくせに
ヘルパーさんが来るとしゃっきとするの。演技が上手いんだわ」

……まあ 父にもそういうとこはある。
限界だと言いながら外出する。死にそうな顔をして私を狼狽させて何の益があるのか。
父と母は あれかね きつねとたぬきかね。
自分の不調をアピールし、互いの懐具合を探り合い。
子供達のための家庭を築く事もせず、ずっとそんな事をやってきたのかしら。
だから娘を信じることが出来ないのかな。

私も親としては不完全だから、子供のために身まで投げ出せない。
子供のためと分かっていてもやりたくない事はやりたくない。
だがふたつの選択肢があって、労力も犠牲もさして変わらないとなれば
少なくとも子供の幸せに繋がると思う方を選ぶ。
それが普通じゃないか?
母は違う。子供が自分を越すのも、自分以上の幸せを掴むのも許せない。
子供の才能や美点が伸びる事を阻害してきた。
自分に献身がないから、私の少しばかりの献身も打算に見えてくるらしい。

親を愛せないことが罪だとか哀しいことだとかなんて思わない。
逆に愛せる人が不思議である。
新聞の投書などでそういう文章を見かけるたび、
創作する義務もないのに どうしてなんだろうと思ってしまう。
子供達が私を親として慕うことすら奇妙に感じる。
ひとりで行動できる年齢になったら親なんて疎ましいだけだろうに?

娘とシンクロしてしんどいのは 親としての愛というより
自我の延長線に彼女がいるから痛みを共有してしまうのだろう。
息子が可愛いのは彼がペットでいるからなんだろう。

でも私の親よりはまし。
以前に娘に「あんたは私よりいい親を目指しなさい」と言った。
そうやって少しずつでも普通になっていけばいいじゃない。
私は別に不幸じゃないから、親子関係に今以上は望まない。
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