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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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んなこたぁ分かっとる。

「ビザ申請しないといかん」
「あ そう」
「今日帰ってからやろー」
(ネットで領事館に申請して予約をとるらしい。それも結構面倒そうで)
(大学にパソコン室があるんだからそこでやってきてくれたらいいのに)

「無線ランってあっちでもこっちでも同じだってよ?」
「あんたのパソコン 最初からついとる。設定するだけ」
「どうやって?」
「取り説を読め!」

巧妙に巧妙に私を関わらせようとする。

娘の高校時代の友人のお母さんが入院した。
友達は大学に通いながら家事をこなしているらしい。
娘には絶対無理だ。
その友達は何度かうちに来ているが、おっとりしているのにしっかりしてて
人を許すことのできるいい子なんだ。

別の友人と先日久しぶりに食事をした。
「ベッドの上がすごい事になってるって」
それは娘も同じだ。そーっと布団を持ち上げて潜り込んでる。
「本が200冊くらい積んであるんだって。全部読んだって言ってた」
「ああ 羨ましい」
本が好きで自立心があって方向感覚に優れてる。

どっちの子でもいい。どっちかの子のお母さんになってみたい。


さて息子。夏の補習の予定表を広げ、
何を申し込むか、あいた時間に塾を入れるかどうか、決める。
袋から塾の夏期講習の冊子を取り出して渡したら
「俺に読めと?」と訊く。
あんたが読まんでどうするね。

娘より自立してると思っていたが
受験生になった途端依存度が増した。

こいつはな 昔から二重人格というか
学校に通っている間は「男」なんだが
長期休暇に入って友人との接点が減ると「幼児」に戻るんだった。
部活を引退して部活仲間と過ごす時間が激減したせいか
やたら懐っこくなってしまった。
友達が皆塾に通うようになってしまって寂しいのもあるんだろうな。

娘の時に感じた。
大学受験は親子の最後の蜜月(って変な言い方だが)だって。
それが終ったら子供は自分の世界に旅立っていく。
まして息子は男の子なんだから大学から先は離れていくばかりだろう。
だから最後の時間と思って大事にすればいいじゃないかとも考えたが
別の意味で大学受験は「自立した人間の最初の試練」でもあるから
自分に背負わせなければならんだろう、とも思う。

よその男の子はどうしているんだろう。
自分が通う塾の講座は自分で決めてるんだろうか。
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さすがに青ざめた模試結果。
滑り止めの予定の大学までもがボーダーのはるか下。

Fなんて見たことないよ!
どーすんだよ!
と息子の顔を見たが、いたってふつーである。

「まだまだこれからさっ」
ってそりゃ締め切りがなければそれでいいけど
10ヶ月ってリミットがあるんだぞ?
その余裕はどこからくるのか?

中間も、お前 平均点あるの一科目だけじゃないか!
いくら国公立コースったって これはないだろ。
しかし息子は「日本史しくったからな」「英語も段々分かってきたし」
「現国だって ほらお母さんと変わらんかったじゃないか」と余裕かまかま。

「あんたがいいならいいけど」
「いいよ? 別に」
「それなりに展望があるなら なにも言わんけど」
「展望って何?」

中間テストは小学校見たく「保護者のことば」欄がありました。
上に本人の反省が書いてある。
「もっと早くからテスト勉強をする」
違うだろ。「テスト勉強とかじゃなく 日頃の学習が大事!」

まだまだこれから。
そりゃEだのFだのだったら上がる楽しみはたっぷりある。


「トンネルのとこでさ 青空が見えて」
「トンネル? 通学路にトンネルなんかあったか?」
「マンションのぉ」
建物の下を通り抜ける場所がそういえばあったな。
あれを「トンネル」と認識、あるいは表現するのは幼稚園児までだろう。
息子よ。根本的にお前何かをどこかに忘れてきてないか?
数学を教える。
国語能力を高めるために社説をまとめさせている。
参考までにこの記事も読んでおきなさいと言っておく。
まとめた文章に目を通して意見を言う。
息子が買った問題集を交互に解く。

こんなことやっていていいんだろうか。
お母さんのいうとおりにしておけばいいなんて思ってないだろうか。
やっぱり塾に行かせて「他人」に任せるべきだろうか。

ああ。子育てって面倒。
高校受験までは親の責任と思ってた。
大学受験はお金の振込みだけしてればいいと。
最初の口出しなんかしなけりゃよかった。


かつては新聞のセンター問題も現代国語に関しては9割くらい取れていた。
もともと本が好きというのもあるが
問題を解く時には別の脳を使う。
作者の意図ではなく設問者の意図を考えるのだ。
自分の感性は封印して、機械的に問題を解く。でなければ点は取れない。
これは技術だから、使わないと錆びつく。今はきっと錆びついているんだ。

遊びで書いている自分と、本職の小説家を一緒にしてはいけない。
分かっているけど、でも本職の人だって
全部を考えて書いているわけじゃないと思う。

計算して書く文章はどこかで行き詰る。書いていても楽しくない。
朧に見える一点を、焦点の合わない目で見ながら
そこを目指して進むのが楽しい。

土を固めて作った山に刺さった棒を掘り出していく作業に似ている。
棒は真実であったり主題であったりする。
土に埋まっているから全部は見えない。倒したら消える。
だから土を丁寧に、かつ大胆に取り除いていく。
小説を書くのは(私にとって)そういう事だ。

土の残り具合で完成度は異なる。
ここが自分の限界、と投げ出す事もある。
棒を土から引き抜くのは私じゃない。読者それぞれだ。
私はそれを引き抜きやすくするが精一杯だ。
完成度が低ければ誰にも抜いてもらえない。

抜く事に成功した人がそれを眺めて私に教えてくれる。
そこで初めて私は自分が書いたものの本当の姿を知る事が出来る。

創作ってそういうものだと思う。
解説者も出題者も棒を抜いた人には違いないが
作者とは違う。

作者にこの選択をさせてみろと思う。
きっと半分は間違える。

しかしこんな話を息子にしても仕方ない。
黙って正解を当てなければ信用は得られない。
数学も国語も集中まで自分を持っていくのがしんどい。

……やっぱ塾大明神にお頼みした方がいいんじゃ……
実家の帰りにショッピングセンターに寄る。
息子が国語の問題集を欲しいと言ったので
ついでに前にチェックしておいた食器を買おうと(自転車じゃきつい)。

だが食器その他を買うつもりだったお金を
タイヤの支払いに回してしまったので
まずは資金作りのために金券ショップに行く。
実家で貰った全日空の株主優待、今回は一枚6000円! ×2枚。
売り遅れた近鉄名鉄もハンパな枚数だが買い取って貰えた。
それを財布に入れていそいそと売り場へ。

とりあえずご飯茶碗と中皿、カレー皿、大鉢、小皿。
帰りの車の中で息子が
「さあ これでおいしい料理が作れるかな」と言った。
「さあ これで国語のテストはばっちりだね」と言い返してやった。

先日勉強のことで散々けちをつけてやったら
その日の献立の「てりやき丼」を
「テレビでもこみちがやってただろ」と息子にアレンジされ
「研究が足りないんだよ」と言われた。

そして本日。
買ってきた問題集の現国を前に「勝負」を挑まれた。
結果は引き分けだった……
むきいいいいい(誰に腹を立ててるんだか)。

勉強の最中にダービーで。
勝利騎手のランに「いいなあ」と溜息をつく息子。「騎手になりたかったなあ」
馬をひく人を指差し「俺 これでもいい」と言う。
あれは公務員になるのだろうか。
その次に「あ あの人でもいい」と差したのは馬主。
さすがに重賞馬は無理だから
「10分の一馬主とか 地方競馬の馬主でもいいやんね。頑張って資金貯めや」
と、とりあえず就職できるよう祈ってみる。
その前に受験だよ 息子。
子供の手本となるべき教師が
ルールに従わない方が問題だと私は思う。

「どうして白いソックスでなければならないのか」
「その方が清楚だから」
って白い靴下が白いままならそうだが、白は汚れが目立つ。
泥はねもするし、運動靴が汚れていたら靴下も汚れる。
黄ばんだ白い靴下より紺のハイソックスのほうがいいと私は思うんだが
「白いソックスが履きたかったら署名運動でもして談判するしかない」のである。

だったら教師だってそうじゃないか。

何度もいう。
「悪法も法なり」
あれは悪法を悪法と分かっていて黙っていた自分にも咎はある
という意味を含んでいると私は思う。

その場で抗議するより、根本から改革する努力をすべきである。

一般の会社員が、内容がくだらないからと朝礼をボイコットしたり
社訓を読み上げる時に堂々と口を閉じていたりしたら
それなりのペナルティは喰らう。

君が代とか国旗掲揚とか、それはそれで論じるべきだけど
教育の場でまず必要なのはそれが子供の手本となる行動かどうかだ。

ちなみに私は君が代斉唱も国旗掲揚も必要だと思ってる。
まあ単純に天皇家が好きなだけなんだけどね。
外国の血が混じらない、(眉唾でも)初代まで遡れる系図なんて
もうそれだけで日本の宝だと私は思っていたけど
今回の震災での両陛下を拝見してその思いを強くした。

国旗もデザインはどうよと思うけど、
でも日本の象徴ならば時々は仰ぎ見るも良しなんじゃないのかな。
そしてその時はちゃんと敬意は表するべきだと思うのよ。

でもそれを他人に押付ける気はない。
ただ教育者としてどうやって生徒に範をたれるかだけ。
法令化しなければ分からせられないなんて残念な話だね。
(ってかつくづくトップと議会がつるむのって怖いと思った)
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