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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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数学を教える。
国語能力を高めるために社説をまとめさせている。
参考までにこの記事も読んでおきなさいと言っておく。
まとめた文章に目を通して意見を言う。
息子が買った問題集を交互に解く。

こんなことやっていていいんだろうか。
お母さんのいうとおりにしておけばいいなんて思ってないだろうか。
やっぱり塾に行かせて「他人」に任せるべきだろうか。

ああ。子育てって面倒。
高校受験までは親の責任と思ってた。
大学受験はお金の振込みだけしてればいいと。
最初の口出しなんかしなけりゃよかった。


かつては新聞のセンター問題も現代国語に関しては9割くらい取れていた。
もともと本が好きというのもあるが
問題を解く時には別の脳を使う。
作者の意図ではなく設問者の意図を考えるのだ。
自分の感性は封印して、機械的に問題を解く。でなければ点は取れない。
これは技術だから、使わないと錆びつく。今はきっと錆びついているんだ。

遊びで書いている自分と、本職の小説家を一緒にしてはいけない。
分かっているけど、でも本職の人だって
全部を考えて書いているわけじゃないと思う。

計算して書く文章はどこかで行き詰る。書いていても楽しくない。
朧に見える一点を、焦点の合わない目で見ながら
そこを目指して進むのが楽しい。

土を固めて作った山に刺さった棒を掘り出していく作業に似ている。
棒は真実であったり主題であったりする。
土に埋まっているから全部は見えない。倒したら消える。
だから土を丁寧に、かつ大胆に取り除いていく。
小説を書くのは(私にとって)そういう事だ。

土の残り具合で完成度は異なる。
ここが自分の限界、と投げ出す事もある。
棒を土から引き抜くのは私じゃない。読者それぞれだ。
私はそれを引き抜きやすくするが精一杯だ。
完成度が低ければ誰にも抜いてもらえない。

抜く事に成功した人がそれを眺めて私に教えてくれる。
そこで初めて私は自分が書いたものの本当の姿を知る事が出来る。

創作ってそういうものだと思う。
解説者も出題者も棒を抜いた人には違いないが
作者とは違う。

作者にこの選択をさせてみろと思う。
きっと半分は間違える。

しかしこんな話を息子にしても仕方ない。
黙って正解を当てなければ信用は得られない。
数学も国語も集中まで自分を持っていくのがしんどい。

……やっぱ塾大明神にお頼みした方がいいんじゃ……
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