木の洞にひとりごと
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なんだろうなあ。
娘はテスト期間につき息子だけ連れてまずは実家に向かう。だが父親の車はない。 天気があやしいので息子に掃除を頼んで夫婦で病院へ。 駐車場に入れようとした時、押し車を押してひとりよろよろ歩いている母親を見つける。 見つけたのは旦那で、指差されても状況が頭に入って来ない。 歩ける? 入院中はベッドから車椅子の移乗さえ危うかったのに? 何度もリハビリの経過を尋ねても「さあ」しか言わなかったのに? にしてもひとり屋外にいるのはあまりにも危ないではないか。 歩道を走る自転車だって充分凶器だ。 慌てて歩道に車を止めてドアを開け、飛び降りて走り寄る。旦那も同様。 しかし母は「おとうさんがあっちに車を回すと言った」と無視する。 そこへ父が運転する車が回りこんできた。しかし車道上である。 「こっちの車は歩道だから その方が安全だよ」と言うがきかない。 降りてきた父親まで「ここは一方通行だから 皆ここで乗降している」と怒った口調で言う。 まあ じゃあ 勝手にしたら。 しかし息子を残してきているので一度は実家に行くしかない。 少し遅れて到着するようにする。 息子は掃除機をかけ終わって床の拭き掃除をしているところだった。 孫のその姿にはさすがに胸が詰まったようであるが その後旦那や私が何を言っても突き放した返事しかしない。 最低限歩けるなら 暫く放っておいても大丈夫だろう。 私を共通の敵にして夫婦の絆が深まるならそれもいいかも知れない。 私という味方と捌け口を失ったら母も父に対して少しは素直になるだろう。 ま 何より放っておけるなら楽でいい。 情ないけどそれが本心。それが本音。 動けない、トイレも自力で行けない状態だったら泊り込むしかないと 結構悲愴な決心を密かにしていたのだが もう電話でお伺いをする必要さえないとなったらものすごい解放感である。 他人に薄情な娘と思われようと親から恨まれようと 別に今のところ罪悪感もないからどうでもいいや。 「ひとこと『昔は水に流して これから頼むよ』というのがそんなに苦痛かなあ」 そこまで私の地位は低いのかしら? 水害の時も何回かの入院手術の時も、私たちがいなければすごく困った筈。 実際的な作業から役所金融関係の手配まで全部私たちがやったんだけどなあ。 それでも子供だと言われるならどうしもない。 二階の処分は業者に頼むとか言っていたから 段ボールに詰め込んで二階に置いてあったマンガをマンションに運ぶ。 だって真っ先に捨てられそうだもん。 子供の頃、私が大事にしまっておいた宝物や 戸棚の中に飾っておいたドライフラワーをわざわざ「ゴミ」にした人だ。 (自分のものは何ひとつ捨てないくせに なんで私の引き出しの中のたかが封筒ひとつを敢えて処分しなきゃいけないんだ? 他人の目にはゴミでも私には思い出の品だった数輪のドライフラワー。 それを捨てたからといって部屋が広くなるわけでもない。 大人には子供には分からない事情があるんだと思っていたけど それってただの八つ当たりか嫌がらせだったんじゃん!) 言問いたげな息子に 「お母さんが怒らせちゃったから お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも ちょこっと拗ねちゃってるの。あんたが来てくれて助かったよ ありがとね」 とだけ言っておいたけど、彼はきっと内心で 「どっちもおとなげないなあ」って呆れてるんだろう。 昔からあの子はそういう役回りで、昔から「どっちもどっちだよ」って呟くんだ。 なんかちっと恥ずかしいけど 仕方ない。
姉が生まれた時 父は「なんだ女か」と言ったと母から聞いた。
私が聞いているという事は姉も知っていたのだろう。 私の結婚相手を父に紹介した時父は彼をゴルフに誘った。 殆どやった事がないという彼に父は自分の古いセットを与え 夏にはコースに出ようと言った。 旦那は私と一緒にやろうとした。私は父の娘だから遠慮も必要ない。 自分がコースに連れて行ってもらえるならば娘なら尚のことと。 だが父は「女は子供を産んで育てるほうが大事だ。遊ぶのはその後だ」と言った。 娘と息子が幼いうちは同等だったが 最近になって扱いが変わってきた。 両親とも息子の方が可愛いようだ。息子の方を贔屓する。 私の目には息子は動物的に可愛いから餌付けの気分なんだろうと思ったが もしかしたら違うのかも知れない。 同居した場合の懸念は幾つもあるが そのうちのひとつがこれである。 姉姉間で何かもめた時、祖父母が揃って娘を責めたら 娘の中にある祖父母への思慕はどうなるのだろう? しかし今はまだ そんな先の事より数時間の心配である。 病院に母を迎えに行かなくてはならない。 はああああー 母は退院する。自宅で生活できるかどうか不明。
朝実家に電話したら不機嫌な応対。
午前中に病院行くなら洗濯物を持って来てもらおうと思ったのだが (咳がとれないから病室に長居したくないので) まあいいや。どのみち週末には退院だ。 全自動を買うのを嫌がったのも着替えを買って補充するのを止めたのも母だ。 姉のことを日記に書いたせいか久し振りに夢を見た。 といっても姉は出てこない。「姉はいるけれど もうじき死ぬ」という状況だけ。 姉の衣類の整理をしていた。 いろいろ思い出す。 夏の終わりに転移が見つかり退職届を出した。 病室の空きを自宅で待っている頃の事だった。 何かで言い争いをして私は自分の部屋に入った。 姉がすごい剣幕で私の部屋に向かってきているのが分かった。 つかみあいをするわけにもいかないので私はベランダから外に逃げた。 犬と遊んでいるふりをした。 姉は暫く私の部屋にいて、出て行った。 荒らされているか壊されているかだと怖々戻ったら、机の上にキャッシュカードが置いてあった。 姉名義のものである。 この転移は致命的で、医師の宣告も余命数ヶ月というものだという事を 私は知っていた。姉には知らされていないが疑っていなかったわけではないだろう。 その恐怖と不安。 転移を見落としていた責任のなすりあいと、治癒の見込みのない患者のおしつけあいで 入院を受け容れてくれる病棟がなかなか見つからない。 焦りと痛みの毎日。 私は全くその姉の心情を想像も理解もしていなかった。 姉が死ぬだろうというのはシナリオどおりだった。 まるで小説の筋を考えるように「潮時だよな」と思ったとおり最終通告は下された。 ショックでもなく当然のなりゆきとして私は受け取った。 別にそれが普通だったから自分が特別冷酷とか非情とか思わなかった。 姉もまた冷たくあしらってきた妹に情を求める権利もないと思っていたのだろう。 後悔はしないけど どうして想像しようとしなかったのか不思議である。 その不安や絶望を少しでも和らげてあげようと、どうして思わなかったのだろう。 私の机の上にキャッシュカードを置いていった姉の心境を 考えてみようと思ったのもこれが初めてだ。 |
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