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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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明日まで中間試験の娘。
「時間ないから帰ったらすぐに食べられるようにしておいてね」
今日はたこやきと知ってそう言い置いて出て行った。
10時からせっせと作り、最後の一皿を焼き終ったところに帰宅。
さあ食べようとしたら電話。

実家の父だ。
「昨日はどうも」とだけ言って「明日時間とれるか」と言う。
「なんで?」
「用があって出掛けなければならないんだが ひとりにしておけない」
「でも明日はデイケアの日でしょう?」と何気に言ったら
舌打ちと溜息。そして「もういい」と電話が切れた。

呆然。何が何だか分からない。母がデイで父が外出ならちょうどいいではないか?
実家の番号押しながら娘に「私 今 きつい言い方した?」と訊く。
ビデオを見ていた娘は「はあ? 聞いてなかった」と胡散臭げ。
てことは普通のテンションだったんだよなあ。
数回コールが鳴って相手が出た。出た途端切れた。
暫く電話機を眺めていたら娘が「切れたの? なんで。何なの」と訊いてくる。
「分からん」 再びコール。数回で出る。今度は切れない。
「説明して欲しいだけなんだけど」と声を抑えて言う。「何時に? なんで?」
自分は9時前に出なければならないがデイの迎えは10時過ぎで
昨日は調子のよかった母だが、今日の様子ではひとりでおいておくのは不安であると。
「ショートスティも頼みたいし」
「って その話は施設にしなきゃ」と返したら
再び「もういい こっちでやる」とぶちん。

なんでいちいち電話を切られなきゃいかんのか。
呼びつけられたら「はいはい」とふたつ返事で駆けつけなきゃいかんのか。

「子供には謝る必要も説明する必要もないってか!」 電話に向かって叫ぶ。
たこやきをくわえて娘はきょとんとしている。
母親の涙声ってやっぱ衝撃なんだろうなあ。
キッチンに行って自分の分の飲み物用意しながら気持ちを落ち着ける。
「おばあちゃんから?」
「違う おじいちゃんから。この前 ちょっと気に障ること言ったから怒ってるの。
そのうえおばあちゃんにも多分私のこといろいろ聞かされてるだろうし」
祖父は娘にとってダンディな紳士である。
娘には昨日の事は話していない。テスト勉強がぎりぎりだとかで食事の時しか会ってない。
今日も話すつもりはなかったのだが、電話のタイミングが悪すぎた。

食べ終わってからも娘は話を聞いていた。
今回娘に焦りがあると分かっていて話が切れない。話し出すと止まらない。
過去と現在をゆきつもどりつしながら喋り続ける。

マンガを運び出すくだりになると笑った。「呆れる親だ」
「違うもん。子供だもん。だって最後の砦だよ? 侵されたくない」
「マンガが最後の砦って寂しいんじゃないの」
「寂しい子供時代を送ってたんだよ。マンガがなかったらやっていけなかった」
「せめて友達がいたから くらい言えないかなあ」
友達はいたさ。恵まれていた方だと思う。でも所詮友人も生身。現実に属するモノだ。

娘が部屋に引き上げた後、もう一度実家に電話する。
するが結局喧嘩のやり直しにしかならない。
明日の件は父親の用事の日程を変更して解決らしい。
そんな簡単なら意地にでも頼ってくるなよと思う。
だが多分父親はショートスティなどの打ち合わせを私に押しつけたかったのだ。

どうせ私が何をやっても何を決めても母親の気には入らないのだ。

だったらとことんまで自分たちでやってみればいいじゃないか!

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なんだろうなあ。

娘はテスト期間につき息子だけ連れてまずは実家に向かう。だが父親の車はない。
天気があやしいので息子に掃除を頼んで夫婦で病院へ。
駐車場に入れようとした時、押し車を押してひとりよろよろ歩いている母親を見つける。
見つけたのは旦那で、指差されても状況が頭に入って来ない。
歩ける? 入院中はベッドから車椅子の移乗さえ危うかったのに?
何度もリハビリの経過を尋ねても「さあ」しか言わなかったのに?
にしてもひとり屋外にいるのはあまりにも危ないではないか。
歩道を走る自転車だって充分凶器だ。
慌てて歩道に車を止めてドアを開け、飛び降りて走り寄る。旦那も同様。
しかし母は「おとうさんがあっちに車を回すと言った」と無視する。
そこへ父が運転する車が回りこんできた。しかし車道上である。
「こっちの車は歩道だから その方が安全だよ」と言うがきかない。
降りてきた父親まで「ここは一方通行だから 皆ここで乗降している」と怒った口調で言う。

まあ じゃあ 勝手にしたら。

しかし息子を残してきているので一度は実家に行くしかない。
少し遅れて到着するようにする。
息子は掃除機をかけ終わって床の拭き掃除をしているところだった。
孫のその姿にはさすがに胸が詰まったようであるが
その後旦那や私が何を言っても突き放した返事しかしない。

最低限歩けるなら 暫く放っておいても大丈夫だろう。
私を共通の敵にして夫婦の絆が深まるならそれもいいかも知れない。
私という味方と捌け口を失ったら母も父に対して少しは素直になるだろう。

ま 何より放っておけるなら楽でいい。
情ないけどそれが本心。それが本音。
動けない、トイレも自力で行けない状態だったら泊り込むしかないと
結構悲愴な決心を密かにしていたのだが
もう電話でお伺いをする必要さえないとなったらものすごい解放感である。

他人に薄情な娘と思われようと親から恨まれようと
別に今のところ罪悪感もないからどうでもいいや。

「ひとこと『昔は水に流して これから頼むよ』というのがそんなに苦痛かなあ」
そこまで私の地位は低いのかしら?
水害の時も何回かの入院手術の時も、私たちがいなければすごく困った筈。
実際的な作業から役所金融関係の手配まで全部私たちがやったんだけどなあ。
それでも子供だと言われるならどうしもない。

二階の処分は業者に頼むとか言っていたから
段ボールに詰め込んで二階に置いてあったマンガをマンションに運ぶ。
だって真っ先に捨てられそうだもん。
子供の頃、私が大事にしまっておいた宝物や
戸棚の中に飾っておいたドライフラワーをわざわざ「ゴミ」にした人だ。
(自分のものは何ひとつ捨てないくせに
なんで私の引き出しの中のたかが封筒ひとつを敢えて処分しなきゃいけないんだ?
他人の目にはゴミでも私には思い出の品だった数輪のドライフラワー。
それを捨てたからといって部屋が広くなるわけでもない。
大人には子供には分からない事情があるんだと思っていたけど
それってただの八つ当たりか嫌がらせだったんじゃん!)


言問いたげな息子に
「お母さんが怒らせちゃったから お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも
ちょこっと拗ねちゃってるの。あんたが来てくれて助かったよ ありがとね」
とだけ言っておいたけど、彼はきっと内心で
「どっちもおとなげないなあ」って呆れてるんだろう。
昔からあの子はそういう役回りで、昔から「どっちもどっちだよ」って呟くんだ。
なんかちっと恥ずかしいけど 仕方ない。
姉が生まれた時 父は「なんだ女か」と言ったと母から聞いた。
私が聞いているという事は姉も知っていたのだろう。

私の結婚相手を父に紹介した時父は彼をゴルフに誘った。
殆どやった事がないという彼に父は自分の古いセットを与え
夏にはコースに出ようと言った。
旦那は私と一緒にやろうとした。私は父の娘だから遠慮も必要ない。
自分がコースに連れて行ってもらえるならば娘なら尚のことと。
だが父は「女は子供を産んで育てるほうが大事だ。遊ぶのはその後だ」と言った。

娘と息子が幼いうちは同等だったが
最近になって扱いが変わってきた。
両親とも息子の方が可愛いようだ。息子の方を贔屓する。
私の目には息子は動物的に可愛いから餌付けの気分なんだろうと思ったが
もしかしたら違うのかも知れない。

同居した場合の懸念は幾つもあるが
そのうちのひとつがこれである。
姉姉間で何かもめた時、祖父母が揃って娘を責めたら
娘の中にある祖父母への思慕はどうなるのだろう?


しかし今はまだ そんな先の事より数時間の心配である。
病院に母を迎えに行かなくてはならない。
はああああー

母は退院する。自宅で生活できるかどうか不明。
昨日午後病院に寄ったが私の顔を見るのも嫌な様子。
どうするつもりだろう?

姉との思い出を探す。
すごく少ない気がする。
一番古いのがあれかな? 
テレビでハクション大魔王をやっていた頃。
「こしょうでくしゃみを誘発できるか」の実験台にさせられた。
思いっきり目に入ってくしゃみどころか涙が止まらない。
叱られたのは私だった。

こしょうで思い出した。
「やきそばにこしょうを振ってみたい」と母に言った。
辛いから無理と言うのを「ちゃんと食べるもん」と頼む。
そのやきそばは辛くて食べられなかった。
こしょうのせいではない。ソースのかけ過ぎだ。私はそれを指摘したが無視された。
(なんでこんな変なことばっか覚えているのだろう)

あああ! 食べ物がらみでまたひとつ(姉でなく母だ)。
私は牡蠣が大嫌いだ。昔も今も嫌いだ。あれは見た目からエグい。
ピーマンとかと違って一般的食材ではないから食べられなくても
然程に差し支えないと思うのだが
母はそれを事もあろうに豚汁に入れ幼少の私に無理矢理食べさせた。
飲み込むしかない。

姉との会話にこんなのがある。
多分私が小学生くらい。
「自分がここにいるってのがすごく不思議」
自分は物語の登場人物ではなく実在するのだという感覚がどうしても掴めない。
その事実をつきとめようとすると深い穴に吸い込まれる気がしていた。
それを姉に理解してもらおうと説明したのだった。
姉は「へえ? 私は小さい時 自分が世界の中心にいると思ってたよ」と言った。


長女次女というと
同人の管理人さんには次女が多い。と私は思った。
知り合った管理人さんの大半が「次女」である。
別ジャンルでの話だけど。おお振りエリアではどうなんだろう?

旅行先で。親が買ってあげるからひとつ土産を選べと言った。
私は木彫りのペンダントを選んだ。
姉が持ってきたのはそれの色違いの品だった。
私が「あ 一緒」と言ったら姉は無言で取替えに行った。

デパートで。着せ替え人形の備品をひとつ買ってやると言われた。
私は人形を座らせる椅子を選んだ。
姉は引き出しのタンスを選んだ。「小物入れに使えるでしょう」
姉の先見を母親は誉めた。使い物にならない椅子を選んだ私が馬鹿みたい。

旅行もデパートも二回しか記憶にない。
そのうちの一回は祖母も同行して姉はものすごく不機嫌だった。

私の名前の一字はこの祖母のものである。
どうして姉に使わなかったのだろう? 機会があったら父に訊いてみようか。

朝実家に電話したら不機嫌な応対。
午前中に病院行くなら洗濯物を持って来てもらおうと思ったのだが
(咳がとれないから病室に長居したくないので)
まあいいや。どのみち週末には退院だ。
全自動を買うのを嫌がったのも着替えを買って補充するのを止めたのも母だ。

姉のことを日記に書いたせいか久し振りに夢を見た。
といっても姉は出てこない。「姉はいるけれど もうじき死ぬ」という状況だけ。
姉の衣類の整理をしていた。

いろいろ思い出す。
夏の終わりに転移が見つかり退職届を出した。
病室の空きを自宅で待っている頃の事だった。
何かで言い争いをして私は自分の部屋に入った。
姉がすごい剣幕で私の部屋に向かってきているのが分かった。
つかみあいをするわけにもいかないので私はベランダから外に逃げた。
犬と遊んでいるふりをした。
姉は暫く私の部屋にいて、出て行った。
荒らされているか壊されているかだと怖々戻ったら、机の上にキャッシュカードが置いてあった。
姉名義のものである。

この転移は致命的で、医師の宣告も余命数ヶ月というものだという事を
私は知っていた。姉には知らされていないが疑っていなかったわけではないだろう。
その恐怖と不安。
転移を見落としていた責任のなすりあいと、治癒の見込みのない患者のおしつけあいで
入院を受け容れてくれる病棟がなかなか見つからない。
焦りと痛みの毎日。
私は全くその姉の心情を想像も理解もしていなかった。

姉が死ぬだろうというのはシナリオどおりだった。
まるで小説の筋を考えるように「潮時だよな」と思ったとおり最終通告は下された。
ショックでもなく当然のなりゆきとして私は受け取った。

別にそれが普通だったから自分が特別冷酷とか非情とか思わなかった。
姉もまた冷たくあしらってきた妹に情を求める権利もないと思っていたのだろう。

後悔はしないけど
どうして想像しようとしなかったのか不思議である。
その不安や絶望を少しでも和らげてあげようと、どうして思わなかったのだろう。

私の机の上にキャッシュカードを置いていった姉の心境を
考えてみようと思ったのもこれが初めてだ。
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