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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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やみそうもないので雨の中歩いて病院へ。
片道40分もあればと思ってたら30分で着いた。
土曜だけあって無茶混み。診察待たなきゃいかんだろうなあと
受付に診察券出して事情を説明したら
受付の人が走り回って(担当医師・病棟・カルテ確認)
「それらしい書類は出していないようです」と報告してくれた。
お陰で10分くらいで済んだかな。

結局恥をかいただけ でもって母に鬼の首を取ったように
「ほら ご覧」って言われるんだろうと思うと
なんで私が と段々腹が立ってくる。
何か重要な伝達が抜けてしまったら大変と念を入れただけなのに
責められなきゃいかんのってあんまりだよな。
まあ相手の真似して馬耳東風な顔してりゃいいんだけどな。
それやられるとどんだけムカつくかも分からせてやればいいさ。

などと考えながら、とぼとぼ家に帰りついたら
玄関で娘とばったり。
昼食のマックとマンガを買いに出掛けるところだと言う。
「私も行こうかな」と何気に呟いたら
嬉しそうに「やったね」と言った。

一緒にご飯を食べて洋服を少し見て本屋に寄った。

午後はのんびりしようと帰ったら息子のメモあり。
実家の父から電話があったらしい。
今日明日の母のショートスティが中止になって月火に変更。
「あ 病院行って確認してきたよ。書類は出てないらしい」
って言ったら
「やっぱりな」だって。
やっぱりって… やっぱりって あんたが最初に言ったんだろ。
あんたがお母さんが何か持っていて見せてくれなかったって言ったんだろ。

またしても敵前逃亡ですか。

いい加減懲りろよと自分に呟く。

またあの泥沼の始まりかなあ。
ネットに逃げ込む前に、子供を通してのつきあいでいろいろあったんだ。
今度こそ貧乏くじ引くまいと何度も何度も日記に書いて
それでも懲りずに引き受けては裏切られ利用され、ぼろぼろになった。
ネットの中では私は役立たずで誰にも頼られない存在で それが気持ちよかった。

子育て一息ついて このまま役立たずでいたいなあと思うけど。
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過去を知らない嫁ならば
全部「ボケのせい」と割り切れるかも知れない。
けれど娘は30年前を知っている。

個人病院の医師が総合病院の医師に手紙を書いた。
白やぎさんたら読まずに食べた。
白やぎさんならぬ母。
というか
父が「これをもって総合病院に行くんだ って何か書類を持っていたぞ」と
前に言ったから
「その書類はどこにあるの」と私は訊いたのだ。
母は父に見せようとも渡そうともしなかったらしい。
したらば母は「そんなもの私は知らん」と言う。

うん。このあたりはボケなんだ。
だからまあショックだけど仕方ないと思うんだ。

だから後日私がその個人病院に「さっきの手紙のお用事なあに」
と確かめに行く事にしたのさ。
(或いは本当にそんな手紙はなかったかも知れないが)
(というか その手紙が渡されたのが退院の時なのか、その後の通院の時なのか
それすらも 退院の時私ら無視で動いてくれたせいで分からんのだ)

「私は何も貰ってないのに あんたが責めたてる」
えええ? 私のせいですか。それ。
私こそ一切関わっていない書類に振り回されてるんですが。

そして「今度の事(入院騒動)は全部あんたのせいなんだから」と。

最初に転んだのも次に転んだのも全部父のせい。
今度の事は私のせい。
悪い事は全部他人のせい。

これはボケじゃない。昔から。いつもいつも人のせい。

んでもって 今私と喧嘩してるのも
「あんた(父)が甘やかしたから あんたのせいだ」なんだって。
子供を構わない父親だって散々愚痴ってたのあなたでしょうに。
私父親に甘やかされた覚えぜーんぜん!ありません。

これもそれも全部ボケのせいと思えるなら
少しは楽になれる気がする。
でもボケでパワーアップしているものの、根は昔と同じ。
無茶苦茶なこじつけで絶対自分の非を認めようとしない。

そのうち私がお金を盗んだと言い出しそうだけれど
まあそれは多分許せる気がするのよ。
でも古着を掻き分け病院に持っていけそうな物を探しているのに
金目のものを漁ってるみたいな言い方されるのはムカツクのね。
誰が好き好んでゴミあさりするかいっ!ってさ。
でもってそのゴミの大半は
着飾りたいさかりの十代の娘に何も買い与えず
せっせと買い集めた自分の服となるとさ。もうムカツクムカツク。

いやもう。乗り越えたと思っていたけど
頂上はまだまだ先のようで。
なんかそれももうどうでもよくなってきた。

「あんたねえ 自分が不幸だよ。なんでいっつも否定から入るの?
してくれない ってところから始めるから探し物は見つからない。
用意してある筈って思って探せばちゃんと見つかるのにね。
看護婦さんも介護の人も私も 別にあんたを騙そうなんて考えてないよ。
自分を預ける事覚えたら 幸せになれるのに」

痴呆は幸せじゃない。底のない孤独だって講師の誰かが言っていた。
ある意味そのとおりかも知れない。
疑心暗鬼にとりつかれたら孤独の極みだろう。

ああ。それを哀れに思えばいいのか。
可哀相に。
昨日昼前旦那と実家へ。
洗濯と洗濯と洗濯。
退院以来一度もやってないだろな溜まり具合。
やらないなら洗濯機の買い替えを拒む権利はないよなあ。
でも今日はこれしかないんだからこれでやらなきゃ。

今時二槽式の洗濯機なんか知っている人いるんだろうか。
洗濯でまわして脱水槽に移して、その間に排水して水を溜めて
脱水が終った洗濯物を戻してすすぎ。
時間短縮のため、数分で止めて再び脱水。排水貯水後また戻し
今度は流水すすぎで数分後、柔軟材を入れて溜めすすぎして脱水。
洗濯機の前を離れていられるのはこの間5分ずつ数回。

家事をやる人ならどれくらい捗らないかよく分かるだろう。
これが一杯分ならまだしも昨日は4杯だぜ?

母はショートステイ初体験で不在。
顔を合わせれば喧嘩になるからいなくてよかった。
父は電器店に電話して洗濯機のパンフを持ってくるよう頼んでいた。
「お母さんが戻ってからパンフ見せて了解とった方がいいよ」と私。
「でないと留守中に勝手されるならもうショート行かないって言い出すに」

さすがに父はぐんにゃりしていた。
ちょっとばかり胸が痛んだが
外出の計画はばっちりあるようなので「その程度か」と思う。
前にも書いたが私は疲れた時はとにかく寝ていたい。
パンをかじって水飲んで寝ていたい。
食べる事は大好きだが、それよりも寝ていたい。

まだ余裕ジャン?と思ってしまう私は親不孝者?
何事もなかったかのように電話してきた父。
先日紹介で行った総合病院の診察券をどこにやったと。
「診察券は保険証にはさんでおいた。そう言っておいたし」
そりゃ忘れる事はあるだろうが普通最初にそこ探すだろ。
頭から私が持ち去ったと決め付けるから見つけられんのだ。

水曜日にこれまでの病院で診察を受け
来週早々に総合病院を受診すると言う。
「いいけど 担当医 確認した? 曜日で違うよ」

んで。結局私が電話したさ。
自分の事じゃないから分からない事や即決できない事が多くて
あたふた応答する私を「大丈夫ですよ~ 調べます」とか
「こちらこそお待たせして」とか「変更はいつでも出来ますから」とか
おっとりとやさしくも可愛い声で落ち着かせてくれた。
先日のケアマネさんといい 医療福祉従事者はこれでなきゃ!だわ。
しかも実家に確認している間にカルテにまで目を通しておいてくれて
そこから推察し得る状況を全部把握してくれていて
受話器もって頭を下げてましたよ 私は。
んでもって
切るなり涙が溢れてしまいましたよ。涙もろいのは歳のせいですかね。
医師も先日の感じでは温厚で説明も丁寧で
時間おしてるのに質問にも嫌な顔しないで
(その時の看護婦さんはわりと粗雑なタイプだったが 悪い人じゃなかった)
この病院ならいいやと思いました。
設備がレベルがという段階じゃねえや。

親はね。もう どうにもならんだろうなあって感じです。
「育ててやった」っていうのが強み。
「残す資産もある」っていうのが強み。
資産残してくれるより、存分にそれを使って快適な生活を送ってくれ
というのが私の本音なんだけど。

自分の意識改革もままならないのに
親のそれなんてできるわけがないんだよね。
期待を捨てれば楽になる。幻想を捨てれば楽になる。
自分の親は理想の親じゃない。完成された人間なんかじゃない。
親に否定されたり反対されたりしても 私が悪いわけじゃない。


「勝手なことやって 尻拭いはこっちなんだよね」と言ったら
「自分たちの始末くらい自分たちでつける」だって。
「どうやって」
「ふん 心中でもするさ」
って脅しだって分かりきってる。
「ふふ それだって最終的な尻拭いはこっちにくるわね」と返したら
絶句していた。

優しい子供が育つ家庭じゃなかったって認識したらいいんだわ。
家族の愛情なんて知らないんだもーん。

肉親より他人のお言葉の方がよほど温かい。
たとえそれが業務的なものでもね。
ああ。今日の電話の看護婦さん お顔は知らないけど
胸(膝でもいいです)に顔を埋めて泣いてみたいや。

入院したら看護婦さんがいる というだけで男はずるいと思う今日この頃であった。
なんかずるいよねえ。ホント ずるい。
引出しを整理していたらヘルパー講習の時のレポートが出てきた。
(数年前 介護保険の仕組みがさっぱり分からず
勉強がてら介護技術や資格も身につけようと講習を受けた)
(途中で幾つかレポートを出さなければならず実習もあった)
読んで呆然。読まなかった事にして別の場所に片付ける。

理念だから言える事だよな。
仕事だから我慢できる事なんだってば。
介護を身内で背負い込むのではなく 施設や専門家に頼って
というのはやっぱり真理だよ。

テキスト読んで ご立派なレポート書いても
昔を知らない義父母ならまだしも過去の確執のある実父母には応用できない。
そんなに人間できてない。
実の親を親としてでなく可哀相な老人と見ることができれば可能かも。

この怒りの山を越えたらそこにはそういう段階が待っているような気もするが
果たしてそれが幸せなのかしら?
偽りでも騙し通せればそれでオッケイ?
まあ 姉貴の時がそうだったしな。
姉じゃなくて「死にかけている可哀相な人」だった。
姉を思って というより 周囲が望んでいる「姉思いの妹」を演じるために
明るく看護していた。それがみなのため自分のためだと分かっていたし
患者を哀れに思う気持ちは本物だった。

それでも割り切れない思いはあった。
自分はそう思っていても相手はそうは思わない。
「仲のいい姉妹」を演じながらも 周囲にそう見られるのは嫌だった。
矛盾してるけど そうなんだ。

今ここで「可哀相に」とせっせと介護したら
周囲は「普通の親子」としか見ないだろう。
親当人も「子供だから当然のこと」としか思わないだろう。

その事実をまで受け容れられるほど寛容じゃない。

結局は「早く大人になれ」って事かしら?
そう。私は現在「遅れてきた反抗期」の最中なのである。
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