魯迅の小説。藤野先生。
いきなり息子が「問題出してやるから 読め」と言った。
中国人の主人公が東京の学校から仙台に移り、
そこで藤野先生なる人物と出会う。
ちゃんと講義をノート出来てるかと気遣い、毎週添削までしてくれる。
そのためにテスト問題漏洩まで同級生に疑われてしまう。
結局生物学をやりたいからと口実をひねり出して主人公は学校を出る。
そのまま音信不通にしてしまうのだが、先生を忘れた事はなかった。
仕事の文章を書きながら、それにあぐねた時など
貼ってある先生の写真を見る。
そして勇気を得て『聖人君子』たちから忌み嫌われる文章を書き継ぐ。
手元に教科書がないのでウロだが、まあこんなもんである。
息子は「どうして主人公は仙台に移ったか」「疑うのも無理はないと書いたか」
と質問してきた。
その答えはやたらひねていて、なんでかしらとノートを見れば
アイロニー 皮肉。と書いてある。つまりはそういう視点で読めと?
問題は最後の一文である。
「聖人君子」たちから忌み嫌われる文章を書き継ぐ。
ほぼ原文のままだと思う。まー私の記憶力だかんな。
一読した時は
「聖人君子から嫌われるような文章を執筆する作業に戻る」と解釈した。
この「聖人君子」を皮肉(君子と崇めさせられている権力者)と読むか
実際の聖人君子としてとるか。
前者だと文章全体は「古い権力者から嫌われる革新的文章を書き続ける」だし
後者だと「新しい中国のための文章を 歴代の君子たちから 書き継ぐ」になる。
訳文なので、このあたり難しい。
後者ならば訳の段階で、「忌み嫌われる文章を聖人君子たちから書き継ぐ」
にすべきだが、こうしてみると書き継ぐという表現が微妙だなあ……?
どっちが正解なんだと息子に問い質しても
ノートに書いてない事は彼には分からない。
これが娘なら「先生に訊いてみる」と言ってくれたかも知れんが
息子にしつこく訊いたら「俺にどうしろと言うんだ」と逆ギレされた。
ハンパな理解なら私に振るな! 気になるだろ!
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