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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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海外から反発をくらう。
特に欧州連合は「自然は克服するべきもので 共に生きるものではない」と強調。
と新聞に載っていた。

卒論(古事記)で旧約聖書の創世記を読んだ。
アダムとイブがりんご(実際にはりんごではなかったが)を食べて
楽園を追放されたというくだり。

なぜ人間はエデンを出なければならなかったか。
旧約によれば「メシアは人から」と言う。
人類が進化し、その中から神に等しき救世主が現れる。
その時に人は真の楽園を手に入れるのか。
ならばなぜそもそもエデンを出なければならなかったのか。

私は
「最初の楽園は 人類の無自覚によって成り立っていた。
人間はこれを自らが主体となる天国を打ち建てるために そこを出て
独自の発展を目指した」と結論した。

一方古事記による創世記述は
その国土までが女神の身体を使って生み出されていた。
そして八百万の神。自然は神であり、人間はそれに抗わず調和する。

本と頭の中で練り上げた理屈だと思っていたけど
やっぱ西洋人は「自然を克服」しようとしているんだ!


余談。
水平思考(日本)、垂直思考(西洋)というけど
今思いついたんだが仏教思想でもそうかも知れない。

須弥山という垂直思考を
日本は浄土信仰によって「西方浄土」という水平思考に変化させてる。
根本的文化の違いというか世界観の違いは高い壁だ。
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