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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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節電して計画停電して
覚えればいい。

今より2割電気を使わない生活を。

そうして原子力発電なんてやめてしまえ。

地震は天災、津波も天災。
でも発電所の不具合は人災。
コンビナートの火災も気になるけれど
放射能汚染はその比じゃない。

事故なんかなくても原発には反対だった。
電気が足りないと言うのなら
使用電力を減らす努力をすればいい事じゃないか。
昔は電器製品などなくても生活できた。
全部を放棄する事は難しいけれど、少しの我慢なら出来る。

今。それを経験すればいい。
理不尽に思える天災だけれど
それを教訓として活かしてこそ、報われる何かもある。
安心して飲める水のない生活より、
少しだけ電気の不足する日々の方が絶対いい。
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地震報道で落ち込んでいるせいか
たいした風邪でもないのにすっきりしない。

娘からのメールで娘も風邪ひきと判明。
あっちは暖かいはずなのに んなところでシンクロか。

私がここで落ち込んでいても何の解決にもならんのは分かってる。
出来ることなんて募金くらいだが
それより明日はわが身と真面目に対策を考えた方がいいのだろう。
風邪が治ったら一個ずつ検討していこう。

実家に当日のゆれ具合を訊いたら
耐震構造らしくあまり感じなかったそうで。
実家の庭に倉庫を置いて非常食とか備蓄するのが
一番いいんじゃないかと思わないでもないが、
非常食の困るところは定期的に入れ替えなければならない
という事である。

一年のうちで日を決めて、その日は古くなった非常食を食べる事にする。


今回揺れてる中で何も出来なかった自分。
ひとりだったせいもあるが、
(子供がいる時は急いで玄関開けに走った)
いざ逃げるとしても持ち出すものに迷いが生じた。
咄嗟に動けるもんじゃない。
地震。
閉じ込められたらスマートフォン(もってないけど)や携帯(もってないけど)の
GPS機能をオンにする(よく意味分からないけど)。

携帯の0か#の長押しで防犯ブザーになる(らしい)。

懐中電灯にコンビニの袋を被せると明るくなる(らしい)。
光が拡散してそうなるんだそうだ。
灯りがあるかないかで精神状態は大きく変わるよね。

エコノミー症候群防止のために
「足首を回す」「ふくらはぎを揉む」こと。


阪神の時も今回も、日本では略奪の心配もない。
被災地での犯罪は少ないと聞く。

だが何故か、水害の時はやたら盗難の被害を耳にした。
被災地域が狭く限られていたせいだろう。
お見舞金を狙われたという話も聞いた。
他地域からの侵入者によるものだと思うのだけど
自分の育った町が貶められたみたいで哀しかったなあ……
長い揺れに「あー 車酔い」と暫くぼーっとし
速報が出る頃だろうとテレビをつけて 呆然。

同じ日本の中の出来事なのに現実味がなく
どの局も地震関連の番組をやっているほかは日常。
阪神の時もそうだった。

水害被害の当事者になった事はある。
といっても自宅は無事で、実家が水没したのだが。
あの時の惨状ったらないが、
川を越せば被害の被の字も見当たらない。
実家の片付けをして、よれよれになって川を越えたら
歩道一杯に広がって笑いながら下校する高校生がいた。

ちょうどオリンピックか何かと重なったんだったか。
新聞もすぐにそっちの報道で埋まってしまい
水害被害者は取り残された気がした。

なんかね……

仕方ないんだけど。なんかね。
今回だって今日の午後には民放は通常通りの放送で
録画のバラエティなんかもやるわけで
息子もそれを笑ってみるんだろう。

今朝の新聞にはニュージーランドの報道はひとつもなく。

なんかね。

テレビと新聞でしか状況分からないし
どっちも最悪のところは報道していないように感じられる。
リアルタイムで流された津波の様子、それ以降目にしていない。
画面越しにも恐怖は伝わった。
いいや。信じられなかった。あそこに人がいるなんて嘘だ。
なんであんなところを車が走ってるんだ。

直接被害だけじゃない。
交通手段を失った人たち。
中には風邪気味の人だって、子連れの人だって妊婦さんだって
それこそ生理中の人だっているだろう。
画面にすら映らないそういう人たちにとって
自分が無事帰り着く事が世界の全てといっていいぐらいだけど
砂粒ほどにも私達には感じられない。

被害の甚大さに戦慄を覚えるのは当然だけど
当事者と部外者の落差に一番憂鬱にされる。
なにもかも周囲に比べて遅かったような事を書いたが
そんな娘でも情緒面と食べる事に関しては格段に早かった。

生後一ヶ月の時には食後の「満腹ソング」を歌ってた。
おなか一杯になると
泣き声とは違う大声を天井に向かってはりあげていた。
泣き声よりうるさい。

私の鼻歌に合わせて声を出す。
おふこーすかなんか歌ってたら、
テーブルの上に転がしておいた娘が「あーあ あー」と。
何をやってるのだろうと黙ると、娘も黙る。
歌いだすと娘も声を出す。

4ヶ月で人見知り。
7ヶ月頃だったか、久々に運転しようと車に乗せたら
硬直していた。笑いかけたらひきつった笑いを返す。

食欲編。
ある朝公園に行ったら4月生まれのお母さんが
「きいてきいて うちの子 今日うどんを一本食べたの」
とものすごく嬉しそうに駆け寄ってきた。
「一本をね 小さく切って食べさせてたら 全部食べてくれたのよ」
……
当時娘はうどん一本を一瞬で喰っていた。
端っこを口に押し込むと、あとはつるんっと。
当然おわん一杯は軽く、二杯は食べてたんじゃないだろうか。
だがとてもそんな事は言えず、にこにこと「よかったね」と応えた。

息子が生まれて旦那が娘を連れてお出かけ。
そこですがきやのラーメンを二杯食べさせた。
おわんに じゃない。どんぶりである。
娘2歳の夏。

娘3歳、息子一歳の夏休み、旅行に行った。
旦那の悲鳴があがった。
「こいつに刺身全部喰われた!」
目を離した隙にさしみの大半を娘に食べられてしまったのだ。
油断したあんたが悪い。

幼稚園から小学校。誉めることがなくて困った先生は必ず
「なんでも残さずよく食べます」と言った。
いいよ。それが一番だよ。


食べて寝る。生き物の基本だ。
私は子供の頃、ろくなものを食べていなかったのに太り気味だった。
それなのにいつもお腹をすかせていた。
おいしいものを食べた記憶があまりない。
思い出すのは風邪などで体調を崩した時の絶食だ。

子供達は今でも家に帰ると「今日のごはんは何?」と訊く。
これが普通なのかどうか分からないが
何かで「好物を作る時は早目に教えてあげるといい」と言っていた。
食事までのわくわくが幸福度を増すからと。
息子に訊いたら「そうに決まってる」と言った。

食べる事が楽しみのひとつになるなら、そんな幸せな事はない。
だって毎日の事だもの。
となると娘は幸せに生まれついた子供なのかなあ……?
まあ どうであれ 今は人生の春を満喫してるようで(本人は)。


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