木の洞にひとりごと
うろ覚えのうんちく
うろうろと右往左往
|
|
カレンダー
リンク
ブログ内検索
プロフィール
HN:
shin
性別:
女性
アクセス解析
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
再放送を録画して見ている。
8割方私もつきあって見ている。 (役名も俳優名も うろなんで 適当です) 精神科医の部屋にあった昔の恋人の写真 に、似ているメンバーは誰か。 うろたえぶりから「男だな」とは思った。 前回の放送分で写真家と判明。 (という事は あの20歳未満の女の子の本命は精神科医で 写真家へのアプローチは精神科医の気持ちを知った上での事だろうか) 私はとりあえず写真の相手は男だろうと思ってたけど 息子は全然疑ってなかったようなんで さあ どう反応する!と皿洗いをやめて後ろで見守った。 「へえ そうなんか 全然分からんかった。やっぱ面白いわ」 ……ですか。 あからさまに嫌悪しないのは息子だからなのか現代っ子だからなのか。 どっちだろう。 話変わるけど 今月やっと おお振りの新刊出るそうで。 合宿お約束のワイ談(まではいかないのか?)で ずりネタ話題が出るとちらっと聞いたが、それが本当なら 息子の反応が楽しみである。 昨日ネットでエマ7と別のマンガを注文して ふと樹村みのりの本が何か買えないかと見てみたら 絶版の中でかろうじて一冊取り寄せになっていた。 とりあえず今月は楽しみがあるんで嬉しい。 PR 毎年ひとりでやっていた。
いや 男にとってじゃなく 主婦にとって。
男なら 分かるんですよ。 収入は能力のバロメーターのひとつ(あくまでひとつ)というか スティタスというか、まあいろいろで、高ければ自慢というのは。 でも旦那のそれが主婦にとって自慢となるかどうか。 逆に低いからといって「恥」になるのか。 「うちの年収が○百万円だと思われてるけど」 の後にそれを懸命に否定する(つまりそんだけばかじゃない)文が続くのを見て いや○百万円でも手取りならうちより多いしとちょっと驚いた。 必死に打ち消さなくてはならないほどの低収入なのか その数字は。 ……違うと思うぞ いくらなんでも。 てことは、つまりは旦那の収入がそこそこに多い事を 自慢というか心の拠り所にしている という事なのか。 お金はねー ないと困るけど たくさんあってもつまらんと思うの。 欲しいと思うものがあるうちが花で 全部は買えないけどひとつくらいなら何とかってあたりが一番いい。 そのひとつがべらぼうに高いものじゃどうしようもないけど とりあえず今一番に浮かぶのは私の場合700円の髪飾りである。 昨日見つけた。でもどうしても必要なものじゃない。けどなぜか気になる。 やー 欲しいものは他にある。 台所を眺めていて この食器乾燥機を普通の水切りに換えれば、ここが空くから ここにスパイスケース(? なんて言うんだろう。調味料をまとめておくやつ)を 置けば、棚が一段空く。仕切りし直せば二段分になる。 ずっと前に知人から貰ったやまざきの皿とか処分してもう一段空けて 食器を一新したいなあ。 全部やったとしても、3万もあれば足りるんじゃないか。もうちょっと? あ 茶碗も縁が欠けてる(……) 小皿も欲しい。グラタン皿の中間のサイズも。 どのみち5万円あれば満足できるのである。 5万円じゃブランドのバッグひとつ買えんだろ。 でも私は5万円で満ち足りる事が出来る。多分もっと安く済ませるけど。 30万のバッグも、300万のバッグも、3000円のバッグも 同じじゃないかしら。 いや 素材が違う手触りが違う質感が違う風合いが違う使い勝手が違う ってそりゃあたりまえ。 でも300万のバッグをぽんと買える人は新作が出ればまたそれを買う。 私が3000円(5000円のが割引で)の鞄を買った時に得る事の出来る、 充足感とたいした変わりはない 下手すりゃ私の方が上だ。 子供を、お金に不自由させず育てたい と思うのと お金の不自由を感じさせずに育てたい というのは違う。 お金がそんなになくても「不自由に感じないように」育てる事は出来る。 お金がそこそこあっても「不自由に思う」子にしてしまう事もある。 あればあったでいいけど、なくてもその状況を楽しめる人間に 育てられたらそれが一番いいんだ。 年収が低くても、それで生活できてるんなら恥でも何でもないと思うよ。 むしろ高収入に人間的価値を見出そうとする人こそが恥知らず。
昨日は結局一日家の中で
パッチワークの接ぎあわせを終了させました。 本日裏生地と合わせ、キルティングを開始。 そのためのしつけ糸を買ってこないといけない。 パッチワークの工程で 面倒なのが「型紙づくり」「裁断」。 その次にこの裏生地との貼りあわせがある。 二枚の生地を重ねて置いて、中央から放射線状にしつけをかける。 そこから先のキルティング作業は一番好きなとこである。 今回はクッションカバーなので この後、もう一枚とあわせて袋状にしないといけない。 枕カバーも縫わんといかんし。 結構ぎりかも。 シンガポール研修中の娘から車校の件でメール。 「頼みごとの前にまず挨拶しろ。 頼む時は面倒かけてすいません やってもらったらありがとう」 などと送り返したら一応それらの文をくっつけてきた。 次に「近況くらい添えるべきだ」と書いたら 「なんかシンガポールに慣れた でも日本がいい タイ米まずい 水もまずい ホテルが意外ときれい たくさん歩いて疲れた 風呂に入りたい くらい」 と返して来た。 繰り返し言うが、こいつは英語(語学!)の教員志望である。 仕方ないのでお手本として 「今日はひなまつりなので 今から生ちらし用のおさしみと 今年はあなたがいなくて気合が入らないので手づくりはやめて きれいな雛ケーキを買って来ようと思います」 と送り返した。 はっはっは。ざまあみろ! タイ米じゃ生ちらしは作れまい。
「とらとらとら」と「にいたかやまのぼれ」
どれがどこで使われたか忘れた。 真珠湾攻撃が7日だったか8日だったかも忘れる。 ジョンレノンの命日と姪っ子の誕生日とごっちゃになる。 なんでも忘れる と嫌になるが 忘れるという事はかつては覚えていた という事だ。 最初から知らないよりはましじゃないかと考えれば 少しは自分を肯定できるかしら。 先日息子とテレビを見ていたら 中学3年間通して一冊の文庫本のみで授業を行う という先生が出てきた。 作中からさまざまな分野に話は脱線する。 そこから生徒たちは雑学や考察力を得ていく。 「いいなあ こんな授業 週に一度でいいから あったらなあ」 しかしこういった講義を担当できる教師が今どれだけいるだろう。 娘は教員志望だが、その知識たるや私の半分にも及ばない。 私が多いんじゃない。娘が少なすぎるのである。 かつて友人達と喋っていて自分の寡聞に恥じ入りはしても 相手の無知に呆れた事はない。 ちゃうちゃう。こんな事が書きたかったんじゃない。 台所の水切りの新しいのが欲しいと寸法を測ったから (昨日の8000円+商品券5000円を持って) 名古屋駅まで行ってこようかなあ お金が余ったらエマの残り買えばいいもんな でも風が強そうだ と考えていたのである。 明日はひなまつりだから生ちらし用の刺身を買いに 買物にいけなければならない。 今日は家にいて パッチワークの接ぎあわせを終らせようか。 天気はいいけど風が強い(波は知らない)。 名駅方面は坂がないから 風のない日に川越する事にしてもいいけど。 |
|