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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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「嫁さんにご飯つくってもらってぇ」
「いいわね それが望めるから」

確かに我が家には息子がいる。
だが私の言う嫁さんは彼の嫁さんではない。
仮想嫁さんだ。

「料理好きな子でさ いろんなものを作ってくれるの。
私はそれをおいしく頂くんだけど
いつも家にいたんじゃ気詰まりだろうから ランチとかモーニングもいくの。
交替で旅行ってのもいいよね」

膨らんでいくのは夢ばかり。

「だってさ」と現実。「私と合う嫁さんって どんなよ?」 想像もつかない。
だが少なくとも息子の選ぶ女性ではないだろう。
てかどんな人でも同居は難しいなあ。

私はよその家のご飯を頂くのが好きだ。
なんでこんなおいしいものが作れるのかしらと
そこの家のご主人が羨ましくて仕方ない。
でもそう言うと「旦那に聞かせてやりたい」と返ってきたりした。
そうか。どんな贅沢も慣れてしまえば同じなのか。

ううん。でも私は決して嫁さんの料理に慣れる事なんかないだろう。
いつもいつもおいしく頂くだろう。

……いいじゃん。罪のない夢だ。
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知人の長女が大学を休学した。
下宿先から連れ戻し、今は家にいると言う。
鬱までいかないが、抗鬱剤を処方される症状。
思うように課題がこなせなかったのが引き金と思われるが
こういう事の原因なんて簡単には分からない。

負けん気の強い子供だった。
幼い頃勝負に勝たないと気が済まない。
いんちきしてまで勝ちたいのかと訊かれ「勝ちたい!」と答えた。
利発な子供だった。
親は特別教育熱心だったわけではないが
子供が何かに興味をもつと、つてを辿って一流の人物に指導を依頼する。

どちらが先なのだろう。
子供の生まれながらの気質か。
よりよい環境をと考えた親の努力か。
彼女を押しつぶしたのは、自尊なのか無意識のプレッシャーなのか。
自分は優秀でなければならないという思い込みはどこから来たのか。

対処療法で鬱は治る。
だが鬱になる性質までは直せない。
少しずつ皮を剥ぎ、患部を見つけて癒すまで
一度治まってもまた症状は出る。

子供が鬱になったら 親まで皮を剥がれる気分だろう。
子供がうまく社会に順応できないでいる時
何が悪かったのかどこで間違ったのか、何度も何度も考えた。
育児に正解なんてない。

最後につきつけられるのは
「子供のため」がどこまで真実であったか、という事じゃないか。

馬鹿でもいいと思ってしまう。
自分の馬鹿な部分を認め受け容れ、折り合っていけるなら。
かくあらねば という理想を高く掲げ苦しむ真似はして欲しくない
そう。それは向上心がないという事になりかねないと分かっていても。
 

週末接骨院に行かなかったせいか、雨のせいか
首が少々痛かったが、いけないほどでもないのでランチに参加。

老舗料亭がやっているイタリアン。丸の内界隈。
メニューの一番上と二番目で、絶好調の時なら量の事なんか考えないのになあと
内容的にはこっちがいいけど、うーんと迷っていたら
皆さんは品数の少ない下の方をご覧になってる。
デザートとボトルのシャンペンつけたから料金的にはあまり変わらないのだが
料理の量はそりゃお上品だわさ。

でも今の体調にはちょうどよかったかも知れん。

それにあんましおいしくなかったから高い料理にしなくて正解だったか。
オードブルは殆ど味しなかった。これは味覚が鈍感になってるから?
スープはおいしかったけど、メインは特徴もなく。

披露宴の会場にもなっているらしく、それらしい出入りがあった。
それはいいけど
私らのテーブル(を含むフロア)もその後貸切だったようで
コーヒーを飲んでいたら席の移動を頼まれた。
代わりの狭いテーブルにお茶のお替りを持ってきてくれたけど
やっぱ後味は悪い。
まだ二人スープを飲み終わっていないのにメインを運び始めたりとか。
おかしいなあとは思ってたんだ。
せかすくらいなら客を入れるな!
午後貸切ならランチ営業を諦めるか、予約の段階で了解を求めておくべきだと思う。
二度と行かないだろうし、披露宴もそこではやらんだろう。
 

実家から週遅れの雑誌を持ってきた。
そこに
護衛艦などで被災者の入浴援助を行っている話が載っていた。
新聞で一度だけ関連の記事を読んだが、それきりだ。
「まず携帯電話をお預かりして 充電を行います。
洗濯物を お帰りまでにきれいにしてお返しします」
ここまで? ここまでやる 自衛隊!

もともと「陸自の車にはクーラーはついてない」と知ってから
自衛隊にはずっと敬意をもっていた。
海外派遣の時、基地の前で反対運動を行う人を苦々しく思っていた。
かれらは命令を受けて行くだけだ。
お国のために万歳してとは言わないけれど
せめてその無事を祈って送り出せないのか。

今回の震災の活躍はとても嬉しい。
だが報道されない部分が多過ぎると思う。

インタビュアの「遺体の捜索は過酷だとお聞きしましたが」という言葉に
毅然と「行方不明者の捜索です。何ヶ月たっても それは変わりません」と答えた。

海自ファンでなくても感動するじゃないか。

(不謹慎の謗りは免れないと思いつつ それでも言ってしまう。
私も護衛艦の中にはいって 自衛官の人に声をかけて貰いたい!)

同じ雑誌だったか、もう一冊の方だったか。
「玉ころがし少年の義援金」の話もあった。あの方法に批判的だった。
勝てなかったら寄付しないのか とか 他の選手が勝ったら義援金泥棒みたいじゃないかとか。
私は前にも書いたけど彼が嫌いである。だが、この記事は違うと思う。
もし総額が目標金額に遠く至らなかったとしたら
りょうくんは他の方法で足りなかった分を寄付するだろう。
他の選手にしても勝負の間は誰だって勝つことしか考えない。
当人も観客も被災者当人達でさえ、りょうくんが負けたこと、りょうくんを負かしたことを
誰も批判などしない。

私は彼が嫌いだけれど、それはあの子が「いい人であろうとする」からだ。
「いい人であろうとする」ならば、最後まで貫くと思う。
だからどっちに転んでもやっぱり嫌いなんだけどね。
虐待を受けた子供。
閉ざしていた心を開き始めた時、
すごく粘着質だったりわがままだったり暴力的だったりする、と言う。

心の不安定さゆえと、相手を試す意味と、いろいろ。
対象が「かわいそうな子供」でいる間は同情的であった医療関係者も
(医療従事者とはいえ内科や外科であれば心理領域の知識も浅いので)
こういう態度に不快感をもつ。

鬱病の友人がいた。長い間鬱に苦しんでいるネット上の知人がいる。
どん底にいる時には声をかけやすい。
だが立ち直りの途中は難しい。
本当に、とても難しい。
これは素人が関わるべき問題じゃないとも思う。
不注意なひとことで相手を再びどん底に突き落としかねない。
そしてその不注意なひとことはいとも簡単に出てしまうのだ。


被災者がわがままを言えるようになったのなら
それは立ち直りの第一歩かも知れない。
ふとそう思った。
非日常から日常への帰還かも知れない。
同情を受ける受動態から要求をつきつける能動態への転換かも知れない。
あるいは。
激励する非被災者への試みかも、知れない。

人の心に寄り添うのは難しい。
同情と共感の違いをはっきりと認識しておかないといけない。
自分の欲求(同情の押し売り)と相手の要求を一致させようとしてはいけない。
自分の望みどおりの存在でいる事を相手に求めてはいけない。
相手のあるがまま受け容れるだけの覚悟は必要だろう
そうする事が正しい事であろうとなかろうと。
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