木の洞にひとりごと
うろ覚えのうんちく
うろうろと右往左往
|
|
カレンダー
リンク
ブログ内検索
プロフィール
HN:
shin
性別:
女性
アクセス解析
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「嫁さんにご飯つくってもらってぇ」
「いいわね それが望めるから」 確かに我が家には息子がいる。 だが私の言う嫁さんは彼の嫁さんではない。 仮想嫁さんだ。 「料理好きな子でさ いろんなものを作ってくれるの。 私はそれをおいしく頂くんだけど いつも家にいたんじゃ気詰まりだろうから ランチとかモーニングもいくの。 交替で旅行ってのもいいよね」 膨らんでいくのは夢ばかり。 「だってさ」と現実。「私と合う嫁さんって どんなよ?」 想像もつかない。 だが少なくとも息子の選ぶ女性ではないだろう。 てかどんな人でも同居は難しいなあ。 私はよその家のご飯を頂くのが好きだ。 なんでこんなおいしいものが作れるのかしらと そこの家のご主人が羨ましくて仕方ない。 でもそう言うと「旦那に聞かせてやりたい」と返ってきたりした。 そうか。どんな贅沢も慣れてしまえば同じなのか。 ううん。でも私は決して嫁さんの料理に慣れる事なんかないだろう。 いつもいつもおいしく頂くだろう。 ……いいじゃん。罪のない夢だ。 PR 知人の長女が大学を休学した。 週末接骨院に行かなかったせいか、雨のせいか 実家から週遅れの雑誌を持ってきた。 「玉ころがし少年の義援金」の話もあった。あの方法に批判的だった。 勝てなかったら寄付しないのか とか 他の選手が勝ったら義援金泥棒みたいじゃないかとか。 私は前にも書いたけど彼が嫌いである。だが、この記事は違うと思う。 もし総額が目標金額に遠く至らなかったとしたら りょうくんは他の方法で足りなかった分を寄付するだろう。 他の選手にしても勝負の間は誰だって勝つことしか考えない。 当人も観客も被災者当人達でさえ、りょうくんが負けたこと、りょうくんを負かしたことを 誰も批判などしない。 私は彼が嫌いだけれど、それはあの子が「いい人であろうとする」からだ。 「いい人であろうとする」ならば、最後まで貫くと思う。 だからどっちに転んでもやっぱり嫌いなんだけどね。
虐待を受けた子供。
閉ざしていた心を開き始めた時、 すごく粘着質だったりわがままだったり暴力的だったりする、と言う。 心の不安定さゆえと、相手を試す意味と、いろいろ。 対象が「かわいそうな子供」でいる間は同情的であった医療関係者も (医療従事者とはいえ内科や外科であれば心理領域の知識も浅いので) こういう態度に不快感をもつ。 鬱病の友人がいた。長い間鬱に苦しんでいるネット上の知人がいる。 どん底にいる時には声をかけやすい。 だが立ち直りの途中は難しい。 本当に、とても難しい。 これは素人が関わるべき問題じゃないとも思う。 不注意なひとことで相手を再びどん底に突き落としかねない。 そしてその不注意なひとことはいとも簡単に出てしまうのだ。 被災者がわがままを言えるようになったのなら それは立ち直りの第一歩かも知れない。 ふとそう思った。 非日常から日常への帰還かも知れない。 同情を受ける受動態から要求をつきつける能動態への転換かも知れない。 あるいは。 激励する非被災者への試みかも、知れない。 人の心に寄り添うのは難しい。 同情と共感の違いをはっきりと認識しておかないといけない。 自分の欲求(同情の押し売り)と相手の要求を一致させようとしてはいけない。 自分の望みどおりの存在でいる事を相手に求めてはいけない。 相手のあるがまま受け容れるだけの覚悟は必要だろう そうする事が正しい事であろうとなかろうと。 |
|