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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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今朝の新聞に親族優先の臓器移植が載っていた。
私はまあ身内にあげたいという気持ちは分からんでもないので
この制度は別にいいんじゃないかと思うが
今回提供者である母親が「腎臓のみ」「親族優先」両方にチェックした事に
ちょっともやっとした。
自分の娘も移植希望者で登録してある。
順番がきていたら母親のではなく、誰か他人の腎臓を貰っていた。
腎臓は心停止後の摘出が可能で
だったら眼球だってそうで。
どうして娘が必要としている「腎臓だけ」なんだろう?
腎臓は娘にあげるとしても、そして脳死段階での摘出は嫌だとしても
眼球とすい臓は提供したって構わない筈だ。
自分の娘が移植希望者なら提供を待つ人の気持ちわかるだろうに。
なんかな…… 


もう一個朝刊から。
中電や県が国に補助を要請。
なんか親の脛をかじりつくす馬鹿息子な印象なんですが。
「省エネ本部」って何ですかねえ。
役所や企業って何をするにも手順だの手続きだのうるさいんだね。
そんなんでお金使って 資料作りに資源使って あほらしいと思う。

東電に電気を送らなければならないのは分かる。
だけどもともと「そんだけばかしか送れないのか」という量だった。
どうしても無理なら関西から引っ張ってくる方法もあるし
だけどそれくらいの電力節電で賄えるんじゃないかなあ。
なんであんなに大騒ぎするのか分からない。素人だからか。

ちなみに我が家は中電の供給区域です。
電気代があがるのもしんどいけど、我慢します
って 「太陽光発電」の名目で上乗せされてる方にむしろ腹が立つんですが。

ついでに株主でもあります。
電力株は配当がおいしいです。
でも配当というのは業績に応じて配分されるものだから
赤字なら貰えなくても文句は言えないんじゃないのだろうか?
それと総会の前あたりだろうか、送ってくるカラフルな報告書だか冊子だか、
あれ要りませんから。あれだけでも結構な費用かかってると思うのよ。
潤いがなくなるのは寂しいけど、無配当でも別にいいです。
でも無配当で文句を言うのはきっと企業と投資家だよね。
だけど配当は保障されたものじゃない筈なんだけど 違うのか。
法律上どうなっているんだろう?
なんか私には廃炉を懸念してごねて見せているだけに思えるんだが。
素人だからだろうか やっぱ?


いや どっちの「もやもや」も狭い視野での事だから
「そうじゃないんだよ こういう事情があるんだよ」とか
「私はそうは思わない」ってあれば 聞かせて欲しいんだよな ほんと。
馬鹿のままでいるより、自分の馬鹿さ加減を教えて貰った方が先々のためだしさ……
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マンガの本の整理だけで終ってる
と思われてるんじゃないだろうか。
その後も
私の寝ている部屋の棚の移動
旦那のベッドの頭上にあった棚の移動
持ち出し袋の製作(まだ未完成)
通帳保険証のコピーなど。

ぎざ十(古い十円玉で回りにぎざぎざがあるやつをこう言うらしい)が溜めてあるので
公衆電話用にと入れたが、重い。
新聞に「災害時無料になる」とある。て事は要らないのか?

持ち出し袋というのは存外難しいものである。
何をいれ何を諦めるか。
常備薬・処方薬は絶対だが、貴重品だって程度問題である。
水を一人一日二リットルだの三リットルだの
それを三日分なんて背負えるわけがない。

これまで見た中で一番実際的だったのは
「釣り用の、ポケットのたくさんついたベストに薬などを分けて入れ
ゼリー飲料をひとつかふたつ入れておく」という記事である。
これなら入る範囲で検討すればいいのだし
背負うよりも身体への負担は少ない。余裕があれば更にリュックを持ってもいい。
水や乾パンでなくゼリー飲料というのも頷ける。
水分とカロリー両方が一緒に摂れるし、携帯も楽である。

買物のたびにペットボトルだのゼリー飲料だの少しずつ買ってくる。
缶詰も買ったが、いきなりコンビーフを使ってしまった。
水もアクエリも先日の体調不良の際に飲んでしまった。

おおそうだ。
私は普段水分の大半を食事から摂っているらしく、
牛乳以外殆ど飲まない。
だから一人一日2リットルとか聞くと「はあ?」なもんだったが
今回食べられなくてひたすら飲んでいたらそれくらい軽くいってしまう。
これが盛夏だったらもっとだろう。やっぱり水は必要だ。

やたら話が逸れる。だらだらと言われるのはこういうとこだな。
小説は「簡潔な文章」であるらしいのだが、その反動だよ きっと。

えっと今日やった震災対策は「食器の処分 その1」である。
愛用しているのは知り合いに貰った某パン屋の皿。
割れない欠けない自己主張しない、という便利な代物だ。
だがやはり気持ちが貧しくなるので、新調したいなと思って
あちこち探して歩いているのだが、食器なんて「これ!」という決め手がない。
今あるのを先に捨ててしまって困らなければ買えない。

てなわけで棚の奥にあった、殆ど使わないカレー皿と
使っているが割れて三枚に減ってしまった取り皿をまずゴミにした。
いざ ○まざきの皿となるとこれがな…… 最後にするかな……

リビングの棚から茶器を一部台所の棚に移す。
これが「震災対策」である。割れ物はやっぱ少ない方がいいだろうと。
食器も全体に減らすつもりだ。お客さんしないしさ。
いざという時には押入れに6ピースディナーセットがある。
このところ真面目に勉強している。
昨夜も「めちゃいけ見たいから 夜眠くなるまで勉強する」と言った。
尤もその後に「お母さん達が寝た後も」と皮肉まで言ったが。

姉に選んでもらった英語の問題集と
姉のおふるの英語CDとで勉強してる。
姉大絶賛の彼女の高校の先生作成の日本史プリントは
息子の学校の進行と少々違って使いづらいと判明したが
それでも素直に手に取ったし
姉の「定期テストはともかくセンター対策にはそれ絶対だからね」の言葉に
「うん」と頷くところも可愛い。
まあ 私が「姉ちゃんはそれ(プリントを使った先生の指導)で
日本史偏差値80まで上げたんだからね」と言ったせいもあるが。
(確かにあの先生は別格だったかも知れない。娘はべた誉めだった。
娘にしたって偏差値80は信じられない数字だった筈)
わら半紙(……)のプリントは卒業後も大事に保管されている。

新聞も毎日社説は読んでいる。
昨日は浜岡関連のところを押さえておけと言っておいた(先に寝るんで)。
いつもより記事の量は多かったが、内容はちゃんと把握できていたようだ。
「で あんたはどう思う?」の問いには
「安全が確保されていないんだから 仕方ない」と答え
「二年後に再開する? しない?」と訊いたらば
「それよりも他の 風力とか そういうの考えた方がいいと思う」と答えた。
しかしよく考えたら日頃私がテレビに向かって
「ばかやろー 原発なんか捨てろー」と叫んでいるのを聞いているわけだから
まあ すりこみかなあと思わないでもない。

その彼であるがぼそっと「数学だけは塾に行きたい」と言った。
「どうしてもと言うのならいいよ 調べておきなさい」と答え、
夜旦那に報告した。
「行かせてやれ」と旦那は言う。「数学だけじゃなく 他の教科も」と。
「塾に行ったら その日は家で勉強できない」と私は反対する。
数学だけなら一日か二日で済む(よな?)が他の教科となると
ほぼ毎日になるんじゃないのか(そういうわけでもない?)。
「私は授業を受けるより ひたすら問題集を解いて勉強した。姉貴もそうだ。
その方が絶対時間効率はいい」
「それはお前だからだ。俺はそういうの駄目なんだ。そういう人間だっているんだ」
そうなの? そういうものなの?

私は誰かに何かを習うのは苦手だ。勉強のみならず。
自分であれこれやって納得するまで悩んで考えて、答えなり方法なり見つける。
これは自分の呑み込みの悪さで他人を苛立たせるのが嫌だからだ。
「バカだなあ」と思われるのが嫌なんだ。
思われると思うだけで気が焦って落ち着いて話が聞けない。
それくらいなら時間を気にせず問題集に没頭する方がずっと楽。

でも、そういえば娘は平気で同じ問題を何度も訊いてきたっけ。
先生でも友達でも教えてくれる人なら誰でも遠慮なく質問してたっけ。
高校受験の夏期講習で初めて塾に行って
クーラーのきいた自習室で質問も受けてもらえると知って通い詰めてたっけ。
理解の遅さにこちらが足踏みしていてもさして気にしてなかった。

そうか。人それぞれなのか。
でも息子は私と同じ系統だと思うんだけどなあ。
そう言ったら旦那は「違う」と言う。「あいつも俺と同じだ」
そうかなあ……
夜寝る前に旦那から第一報を聞き、
「うっしゃあ」と快哉を叫んだが
次の朝(昨日の朝ですな)新聞を読みながら不安になった。

一般市民も勿論だが、何よりも企業が一団となって臨まなければ節電は進まない。
中電の浜岡依存率は12パーセント。
難しい数字じゃないと私は思った。2割以下なら楽勝だと。
商店の照明とネオンを落とし、オフィスの廊下の照明を暗くし
昼間の列車運行を間引きして、各家庭で節電を進める。
たいした負担じゃないと思う。
だが新聞には製造会社のみならず医療関係者などの不安の声が載っていた。
12パーセント減でも昨年の猛暑分の電力は供給できる。
できるならいいじゃん。だが、あと一度上がるとパンクするとある。
日頃特集記事で脱原発を訴えてる新聞からしてこれだもんなあ。
しょせんマスコミ、企業からは離れられないのか(広告収入があるかんな)。
こうなると
夏、関西電力は余裕がないと送電を断り
中電は追いつかないと計画なり大規模なり停電を起こす。
結果原発なしでは回っていかないという事になる
んじゃないかと不安が頭を過ぎる。

今回の中電の浜岡停止が成功してしまうと
これまで原発で甘い汁をすすってきた連中は困るのだ。
だから故意に停電を引き起こすんじゃないか。
大手製造業から不満の声を引き出すんじゃないか。

浜岡停止を喜んでばかりはいられない。
むしろこれからが大事なのだ。
政府は中電の各発電所の稼動率・発電量・送電量を監視すべきだろう。
関西電力からの送電は出来れば受けずに済ませたいが
一方的に協力を拒否してくるならば、それも問題とするべきだろう。
電力会社、他原発から利益を吸い上げている企業の反論を
全て封じる覚悟で挑まないといけない。

始まりに過ぎない。
そしてここで間違えたら日本は原発の汚染に沈む。
子供に言い聞かせてきたこと。
今は特に言ってない。

私は嘘をつかれるのが嫌いだ。
好きな人はいないだろうが それでも人は嘘をつく。
嘘をつくのはひとつに自分を守るためだろう。
だがそれによって傷つけられる人がいるのだから
嘘でない自分になる努力をすべきなんだ。

言えない事をして隠す。
簡単だ。しなければいい。
それでもどうしてもしてしまうのなら仕方ない 「正直に言え」。
小さい頃よくそう叱った。
人間だもん。ましてや小さな子供だもの。
間違ったことだってするし、小さな誘惑に負けたりもするさ。
だったら正直に言って叱られたらいい。

「今 私に叱られたら そこで終る。
でも隠したら 神様がそれを覚えてるからね。怖いよ~」
どうしても口を割らない近所のガキんちょをそう脅した事もあったなあ。

理想の自分であるために嘘をつく。
或いは、相手の理想の自分であるがために嘘をつく。
悪いのは誰だろう。

嘘つきは泥棒の始まり って言う。
これは嘘をつくことが全ての犯罪への第一歩ととっていいんじゃないか。
悪い事を隠すためには嘘をつかないといけない。
嘘をつきたくないのなら悪い事は出来ない。
やってしまったら白状するしかない。
「嘘はつかないで」
これさえ徹底させておけば安心して子供を外に出せる。
徹底できれば の話だけど。

嘘も方便という事もあるけど
これは子供たち自然と心得ているようだから心配していない。
要は
悪意のある、自分に益のある、事実と相違することが
私が禁じる「嘘」なんだ。


嘘をつかれるのは哀しいよね。
相手が子供でも大人でも他人でも。
人をだまして平気でいられる人間の貧しさも重なって
だましてもいいと思われた自分の存在の軽さも重なって
いろんな意味で哀しくなるよね。
こんなに傷つくのは私だけなのかと思う。
誰もが傷つくのなら、どうして嘘をつくのだろう。


あ。そうだ。「嘘をつくな」と同じくらいの熱意で
「食べ物を残すな」と言ってきた。
好き嫌いに関しては寛容であるが(面倒なので)
それでも外食の際に皿の端にそれが乗ってきてしまったら
飲み込むなり誰かに頼むなりして、とにかく残すなと。
……と言い過ぎて吐かれたことがある。以来ちょっと懲りたけど。
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