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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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さすがに青ざめた模試結果。
滑り止めの予定の大学までもがボーダーのはるか下。

Fなんて見たことないよ!
どーすんだよ!
と息子の顔を見たが、いたってふつーである。

「まだまだこれからさっ」
ってそりゃ締め切りがなければそれでいいけど
10ヶ月ってリミットがあるんだぞ?
その余裕はどこからくるのか?

中間も、お前 平均点あるの一科目だけじゃないか!
いくら国公立コースったって これはないだろ。
しかし息子は「日本史しくったからな」「英語も段々分かってきたし」
「現国だって ほらお母さんと変わらんかったじゃないか」と余裕かまかま。

「あんたがいいならいいけど」
「いいよ? 別に」
「それなりに展望があるなら なにも言わんけど」
「展望って何?」

中間テストは小学校見たく「保護者のことば」欄がありました。
上に本人の反省が書いてある。
「もっと早くからテスト勉強をする」
違うだろ。「テスト勉強とかじゃなく 日頃の学習が大事!」

まだまだこれから。
そりゃEだのFだのだったら上がる楽しみはたっぷりある。


「トンネルのとこでさ 青空が見えて」
「トンネル? 通学路にトンネルなんかあったか?」
「マンションのぉ」
建物の下を通り抜ける場所がそういえばあったな。
あれを「トンネル」と認識、あるいは表現するのは幼稚園児までだろう。
息子よ。根本的にお前何かをどこかに忘れてきてないか?
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数学を教える。
国語能力を高めるために社説をまとめさせている。
参考までにこの記事も読んでおきなさいと言っておく。
まとめた文章に目を通して意見を言う。
息子が買った問題集を交互に解く。

こんなことやっていていいんだろうか。
お母さんのいうとおりにしておけばいいなんて思ってないだろうか。
やっぱり塾に行かせて「他人」に任せるべきだろうか。

ああ。子育てって面倒。
高校受験までは親の責任と思ってた。
大学受験はお金の振込みだけしてればいいと。
最初の口出しなんかしなけりゃよかった。


かつては新聞のセンター問題も現代国語に関しては9割くらい取れていた。
もともと本が好きというのもあるが
問題を解く時には別の脳を使う。
作者の意図ではなく設問者の意図を考えるのだ。
自分の感性は封印して、機械的に問題を解く。でなければ点は取れない。
これは技術だから、使わないと錆びつく。今はきっと錆びついているんだ。

遊びで書いている自分と、本職の小説家を一緒にしてはいけない。
分かっているけど、でも本職の人だって
全部を考えて書いているわけじゃないと思う。

計算して書く文章はどこかで行き詰る。書いていても楽しくない。
朧に見える一点を、焦点の合わない目で見ながら
そこを目指して進むのが楽しい。

土を固めて作った山に刺さった棒を掘り出していく作業に似ている。
棒は真実であったり主題であったりする。
土に埋まっているから全部は見えない。倒したら消える。
だから土を丁寧に、かつ大胆に取り除いていく。
小説を書くのは(私にとって)そういう事だ。

土の残り具合で完成度は異なる。
ここが自分の限界、と投げ出す事もある。
棒を土から引き抜くのは私じゃない。読者それぞれだ。
私はそれを引き抜きやすくするが精一杯だ。
完成度が低ければ誰にも抜いてもらえない。

抜く事に成功した人がそれを眺めて私に教えてくれる。
そこで初めて私は自分が書いたものの本当の姿を知る事が出来る。

創作ってそういうものだと思う。
解説者も出題者も棒を抜いた人には違いないが
作者とは違う。

作者にこの選択をさせてみろと思う。
きっと半分は間違える。

しかしこんな話を息子にしても仕方ない。
黙って正解を当てなければ信用は得られない。
数学も国語も集中まで自分を持っていくのがしんどい。

……やっぱ塾大明神にお頼みした方がいいんじゃ……
実家の帰りにショッピングセンターに寄る。
息子が国語の問題集を欲しいと言ったので
ついでに前にチェックしておいた食器を買おうと(自転車じゃきつい)。

だが食器その他を買うつもりだったお金を
タイヤの支払いに回してしまったので
まずは資金作りのために金券ショップに行く。
実家で貰った全日空の株主優待、今回は一枚6000円! ×2枚。
売り遅れた近鉄名鉄もハンパな枚数だが買い取って貰えた。
それを財布に入れていそいそと売り場へ。

とりあえずご飯茶碗と中皿、カレー皿、大鉢、小皿。
帰りの車の中で息子が
「さあ これでおいしい料理が作れるかな」と言った。
「さあ これで国語のテストはばっちりだね」と言い返してやった。

先日勉強のことで散々けちをつけてやったら
その日の献立の「てりやき丼」を
「テレビでもこみちがやってただろ」と息子にアレンジされ
「研究が足りないんだよ」と言われた。

そして本日。
買ってきた問題集の現国を前に「勝負」を挑まれた。
結果は引き分けだった……
むきいいいいい(誰に腹を立ててるんだか)。

勉強の最中にダービーで。
勝利騎手のランに「いいなあ」と溜息をつく息子。「騎手になりたかったなあ」
馬をひく人を指差し「俺 これでもいい」と言う。
あれは公務員になるのだろうか。
その次に「あ あの人でもいい」と差したのは馬主。
さすがに重賞馬は無理だから
「10分の一馬主とか 地方競馬の馬主でもいいやんね。頑張って資金貯めや」
と、とりあえず就職できるよう祈ってみる。
その前に受験だよ 息子。
子供の手本となるべき教師が
ルールに従わない方が問題だと私は思う。

「どうして白いソックスでなければならないのか」
「その方が清楚だから」
って白い靴下が白いままならそうだが、白は汚れが目立つ。
泥はねもするし、運動靴が汚れていたら靴下も汚れる。
黄ばんだ白い靴下より紺のハイソックスのほうがいいと私は思うんだが
「白いソックスが履きたかったら署名運動でもして談判するしかない」のである。

だったら教師だってそうじゃないか。

何度もいう。
「悪法も法なり」
あれは悪法を悪法と分かっていて黙っていた自分にも咎はある
という意味を含んでいると私は思う。

その場で抗議するより、根本から改革する努力をすべきである。

一般の会社員が、内容がくだらないからと朝礼をボイコットしたり
社訓を読み上げる時に堂々と口を閉じていたりしたら
それなりのペナルティは喰らう。

君が代とか国旗掲揚とか、それはそれで論じるべきだけど
教育の場でまず必要なのはそれが子供の手本となる行動かどうかだ。

ちなみに私は君が代斉唱も国旗掲揚も必要だと思ってる。
まあ単純に天皇家が好きなだけなんだけどね。
外国の血が混じらない、(眉唾でも)初代まで遡れる系図なんて
もうそれだけで日本の宝だと私は思っていたけど
今回の震災での両陛下を拝見してその思いを強くした。

国旗もデザインはどうよと思うけど、
でも日本の象徴ならば時々は仰ぎ見るも良しなんじゃないのかな。
そしてその時はちゃんと敬意は表するべきだと思うのよ。

でもそれを他人に押付ける気はない。
ただ教育者としてどうやって生徒に範をたれるかだけ。
法令化しなければ分からせられないなんて残念な話だね。
(ってかつくづくトップと議会がつるむのって怖いと思った)
前回「留学希望ならば入学後すぐ動いたほうがいい」と書いたが
更にいうなら受験前にある程度調べておいた方がいいかも知れない。
娘は本命に落っこちて今の大学に入ったのだが
結果的にはそれがよかった。
本命の公立校より私学の方が熱心なような気がするんだ。

さて、その娘。
帰宅して「ね ね 今日「国際交流しちゃった」とはしゃぐ。
聞けば、電車の中で
三人用の椅子をふたりで占領している外国人のおっさんがいたので
その前に立って「座りたい」オーラを出したところ詰めてもらえたと。
ふつーに敬遠するところだし、たとえおっさんが日本人でも私は嫌だ。
座った娘は会話の糸口が欲しくて英語の教本を取り出した。
したらば即座におっさんが声をかけてきたと。

そりゃまあ留学前だから英会話の機会は逃せないところなんだろうが
「席を詰めてよ」オーラのあたりで私には彼女が私の子供には思えない。

今私が通っている接骨院。娘は幼児の頃から通っている。
そのせいもあるんだろうが、院長先生も助手さんも娘にはあれこれ話す。
治療のことだけじゃない。家族のこととか「いちご狩りにいく」話まで。
私は結構長い時間施術を受けているんだが、その間ずっと沈黙である。
初日こそ治療期間とか注意事項など話はあったが、二回目以降黙ったままだ。
昨日「日によって内容が微妙に変わりますが 硬いところとかあるんですか?」と
訊いたらば返って来たのは沈黙。
え?と視線を合わせて微笑みで促したところ
「まあ そんな深刻に考えなくてもよろしい」と言われた。

夕食の時娘に「先生 ほんと喋らん」と言ったら
「お母さんのこと誤解してんだわ」と笑った。
「なんて」
「真面目だって」
接骨院に限らず、娘は見知らぬ人から声をかけられやすい。
そうだ。私がこいつを抱っこして歩いていても誰も声をかけてはくれなかったが
旦那はいろいろ訊かれたり、薬局でおやつ(乳児用じゃない)まで貰ったり。

やっぱこいつは旦那の子なんだろうか。
いやいや あの自己顕示欲の強さは私の母親か。
いずれにしてもこいつは私の子じゃないね。


一方で息子。
相変わらず英語の音読をリビングかリビング隣接の和室でやってる。
娘のバイト先の高三の生徒が「今日 発音やるわ」と言ったきり黙っているから
「ほら?」と促したら「頭の中でやってんだ」と答えたと。
娘が弟の話をしたらば「おかしいって」と驚いたらしい。だよなあ。
私だって絶対家族の前で英語の音読なんかやりたないもん。

ふたりとも旦那そっくり(顔)ってよく言われたしなあ。
どちらも理系じゃないし。

三人目をがんばれば「私の子」が生まれたんかしらん?
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