忍者ブログ
木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
[37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47]
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
リンク
ブログ内検索
プロフィール
HN:
shin
性別:
女性
バーコード
アクセス解析
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

震災関連の記事を探してさまよっていたので
タイトルに惹かれてふらふらと立ち寄ったわけだ。
被災地近くに居住と知って過去ログを順に読み進める。

ああ。そうだ。また話が飛ぶが
(しかし何だね こんなとりとめない文ばっか書いてて
創作に戻れるんかね 私)
そうやってたどり着いた別のブログで得た知識。
「手元に現金、それも細かいお金を用意すべし」
なんせ阪神時代の持ち出し袋だから「10円玉」は入ってる。
持ち出し用ではないが、手元にある程度の現金は置いてある。
が そうか。停電とかでレジが開かないと小銭の方がいいわけだ。
1万円札は使えないよ だってつり銭がないんだもの。そうか そうか。

えっと何だったっけ。
ああ だからそのとおりに
「更新記事から順に興味深く拝見させて頂きました」とコメントしたら
「興味深く読んで下さってありがとう(棘)」と返信された。
うん。問題のブログで。
なんで(棘)なのか分からないから、再コメしたが、まだ返信がない。

ミクシィでこそこそやってる暇があるならレスしろや!

そうそう。それと。
サイト運営では、リンクには相手の許可が必要だった。
リンクフリーと出してあれば不要なんだけど、それは好意のリンクに限っての事だ。
その場合でもリンクはトップページを指定しなければならない。
「特定のページ」のURLを「無断」で貼り付けるというのはマナー違反で
意図してそれをやるのは「さらし」行為になる。
ブログの場合はそういうルールはないのか? 
このあたり不勉強というか、まあ普段どうでもええと思ってるんでどうでもええんだが
こだわる人はこだわると思うのさ。
被災地を訪れる人間の心構えを云々するくらいならネチケだって押さえておいて欲しい。
結局言った事は全部自分に撥ね返るのさ。
(書いてて怖くないかい?)(私は棚上げが得意なのさっ)(見ざる聞かざる言いたい放題)


ところで。
道具は使いよう。
私はミクシィには偏見をもっているので立ち入らない。
出始めにサイト管理人達がはまっていくのを見てたし
欝の友人を自殺に至らしめたのがミクシィだという思い込みが捨てられない。
(リアルを全部知っていて時に辛口の意見を言う友人より
気持ちのいい事だけ言い合う表面的な、それでいて準リアルな世界に
精神状態が不安定な人間が惹かれるのは当然で、だが
バランスを失った時に差し出される現実の手はそこにはない)

娘がミクシィを知っていると聞いてちょっと驚いた。
知人がはまってると言うので「あれは危ないよ あんたは大丈夫?」と心配した。
「便利だよ? いちいち個別に連絡しなくても情報入るし」とさらりと言う。
級友たちのそれを覗いて必要な情報だけ拾ってくるという使い方をしているらしい。
私は自分がはまるのが怖くて遠ざけていたのだが
そんな風に割り切って利用する事も出来るのだ。それなら便利だろうねえ。
んでも。
こいつはやっぱり私の子じゃねえ。
PR
以前に友人がひどい不幸に見舞われた時、
どうして彼女なのかを懸命に考えた。
自分を納得させたかった。
理由なんてないのかも知れないし
それが分かったからといってどうなるものでもない。
それが見つかれば「だから仕方ないんだ」と諦められると思ったのか。

震災に物理的なもの以外の理由なんてないだろう。
でも私はそれを無意識に探した。
それを意味のあるものにしなければ、
ただの不運に終ってしまう。
そんな時に都知事の発言を見たのかも知れない。

私は当事者じゃないから感じ方は違うんだろう。
でもそれは仕方ないことなんじゃないか。
傍観者ゆえの意見だって意見だ。違うか?
都知事に個人的関心があるわけでも、ましてや好意があるわけでもない。
だが彼に被災者を傷つける意図はなかったと思う。
彼が私と同じ思いだとは言わないが、
だからこそ代弁者になってくれたらよかったのにと思った。

もっと優しい言葉で、だが明確な警告となるように。
彼の地位と影響力をもって正しく諭してくれたら。

無論一方的な希望である。幻想である。

誰かが非難した事の尻馬に乗るのは簡単だよね。
私は河村市長の「被災地にもどえりゃあ感謝される」の方が
ずっとずっと許せないけどね。


ああ。そうだ。
あの記事には
「哲学的」な引用は一切ないよ。
あれは旧約聖書だよ。全部。

ソドムはソドミィの語源となった地名だよ。
街があまりに退廃したので神様が警告を送ったんだ。
その御使いまでも街の人たちは汚そうとした。
御使いが訪れた家に押しかけ
「その人を出しなさい。我々はその人を『知り』たいのだ」と詰め寄った。
旧約における「知る」という表現は性的関係を持つという事である。
ぶっちゃけ天使さまを味見したいから差し出せと要求したんだね。
当然天罰は下る。

バベルの塔は有名だ。
バビル二世が住んでいる ……わけない。
栄華を極めた人間達は
天(神)に届かせようと高い塔を建て始めた。
神は怒ってこれを打ち砕いた。
バベルは「乱れる」の意でもある。
それまでひとつの言語を使っていた人類は
以降違う言葉で話し始め、よって意思の疎通に事欠くようになった。

こうやって余計な事書くから論旨がボケるんだな。
ソドムもバベルも東北地方にはない。
なのに東北が被害に遭ってしまった。

都知事は確か「東北の人は気の毒だ」とも言った筈。
あれは「悪いのは彼らじゃないのに」という意味だろう。
少なくとも私はそう受け取った。

分かって貰えなかったのは文章力の
いや 伝達力の不足だろう。
言いたいことだけ書いたって何も伝わらない。

でも私は都知事の弁護をしたいわけじゃないとは書いた。
彼の立場で、あの時期で、あの発言はすべきじゃないことくらい
私にも分かる。
だから争点はそこじゃないのに。


まあいいや。
違うネタ。

偽援金。
阪神の時に、マンションの知人が回って来た。
「どうした?」
「震災の 義援金 集めろって言われて」
婦人会だった。
「大体の目安があったら教えて」と訊いた。
「いい?」とすごく安心した顔を見せた。
前に断られたのだろうか。
不本意な集金だったのだろうか。
確かに顔見知りでなければ「婦人会」を証明するものなど何もない。
そもそもがどうして「婦人会」が義援金集めをしなければならないのか。

後日新聞に「○○婦人会より震災義援金」という記事を見た。
会長か何か。実際に集金したわけじゃない人が栄誉を受けている。

それ 違うよな。
今になって思う。
あんなの全然義援なんかじゃないよな。
思い込みで固まって文章を読み解けない人間に
何を言っても無駄って分かってるけどね。
どうせ人種が違うのさ。

私は最悪の「本性」の人間だしね。どうせ。
ま。それも誉め言葉として受け止めるわ。
自分が「正しい人間」なんて思い込みたくなんかないから。

批判は自分のブログでやるのがルールらしい。
以前から「おかしいだろ」と思っていた。
だってそれって「陰口」だろ?
相手が言葉の通じる人間だと思えば、直接「そうじゃないんじゃないか」と
訴えるのが本当だろ。

自分の言い分が正当だと思うなら
なんでこそこそ自分のブログで意見するんだ。
(この件に私は関わっておりません。別件ですが)
「被災地に仕事で応援作業に出向いた人から聞いた話」
「それを読んだ被災地側の人間の怒り」
私は偶然それを両方読んだ。どっちも初めて訪問する先で
何の先入観も義理もない。
最初のブログを読んで
「被災地の人間にも被害者意識に固まってる人っているんだ」と感じ
(これは以前に盲学校を訪問した時に感じた事と通じる)
次の記事を読んで
「ああ そうか。そうだよな。ボランティアでも寝袋食事持参ってあるもんな。
食事を出してもらえるなんて考える方がいかん。
手伝ってやっているという態度を見せたらお礼も言いたくなくなるし」と思った。
どんなことでも双方の意見を聞かないといけないといういい例だ。

しかし、である。
最初の記事を書いた人がこれを目にしているという確証はない。
直接この抗弁を聞いたら「ああ そうか」と息子さんを諭せたかも知れない。
だが知らないまま、息子さんたちと腹を立てているのだとしたら。

それでも「批判は自ブロ」なんだろうか。

私だったらルール違反でも直接言っちゃうだろうな。
それで無視されたら自分のブログでぶちまけるだろうけど。

あ。話が逸れてる。棘のある文章だった。うん。

3月16日に「都知事のアレ」という記事を書いた。
それに批判のコメントがついたので、レスをしておいた。
だが偶然「削除されている」という怒りの文を
そのコメンターのブログで読んだ。びっくりである。

……しかし何だね。
そこで私は「本性がバレる」みたいな事を言われ
更には「やつら」呼ばわりされてる。
でもそんな事より「コメントを握りつぶした管理人」と言われた事に
むちゃんこ腹が立った。
根性悪でもええ。奴らくくりでもええ。
だけどこれだけは許せん!
それに私は私なりに震災を自分の事として受け止めている、
あの記事は決して傍観者の無責任で書いたもんじゃない!
と遅ればせながらにコメントを入れた。
動揺はしていたけど、出来るだけ冷静に正しい言葉遣いで。

したらば。「棘のあるコメントをありがとう」と返された。

棘だ? 私が本気出したらんなもんじゃ済まねえ!
あの文のどこをどう読んだら「棘のある文章」なんだ!
それとも私の文章表現が最初から歪んでるって事か(あ そうかも)
(って自分で納得しててどうする)。

「非実在青少年」の表現を削った法案にケチをつけられた知事は
(物書きだから)ソドムの市の荒廃を思い浮かべたんじゃないかと
皮肉ったの。
で、その流れで旧約からちょびっと引用したの。

哲学ならソクラテスの「悪法も法なり」を引き合いに出すのが好きだわ 私。
「批判は自分のブログで」なんてルール、絶対おかしいと思うんだけど
でもそれがきまりなら仕方ない。糾せない限り従うしかないんだわ。

だから「ここで」言ってやる。
「言ってあげるのが親切って事だってある。
陰でこそこそ非難するのはただの ね・く・ら。
行政相手とかなら仕方ないけど 個人対個人で分かりあえるなら
とりあえず試みるべきなんじゃあ ないかしら」

まあね。
「どうせ 当事者にしか分かり合えないのよ」ってつるまれたら最後だわね。

勿論。分かるわけない。
いくら情報集めたって経験してないんだもの。
分かるよなんて口が裂けたって言えない。
だからってね 最初から障壁つくってたら 知らない間に加害者になるよ。

棘のある文ってこういうのを言うんじゃないの?
や これは毒のある文章か。
うわ。日本語って難しい。


補注。
引き合いに出したブログ記事の内容。
どこで読んだか覚えてないので正確じゃないけど。
「水道関係の仕事で息子の友達が被災地の応援に行った。『仕事』としてである。
食事の用意はあるからと言われて行ったが、
あなた達の分はないと断られ、持参の食糧でしのいだ。
水さえも買わなくてはならなかった。最後にありがとうの言葉もなかった。
子供から聞いた話だから多少違っているかも知れないが
でもそれを差し引いてもひどいじゃないか?」というような事が書かれていた。
次のブログで
「被災地に食糧がないのは当たり前。水が買えたならまだラッキーだ。
不幸に直面し疲れきっている時にお礼が言えないでいるのも
ある意味仕方のない事なんじゃないか」という批判が書かれていた。
当然もっと長い文章で丁寧に。
ふむふむとそれを読んで「そうか そうだよなあ」と思う。
言われれば当たり前なんだが、やはり当事者の立場になる事は難しい。
教えて貰えたら反省もするし理解も深まると私は思うんだ。

長くなるけどついでに書いちゃうね。
被災地の情報は一応新聞から拾えるけど
被災地周辺、関東付近の状況は全くつかめず
普段あまりしないブログ散策を震災関連中心にしたんだ。
そこで
「家をなくした人よりまし 家族を失った人よりまし。
分かってるけど今が辛いんだ。もとの生活に戻りたいんだ。
被災地の人よりましなんて それは私たちが自分に言い聞かせることであって
関係ない人には言われたくない」という文を読んだ。

悲惨すぎる情報は現実味が薄い。
だがこういう叫びは共感できる。ものすごく分かる。
全部吐き出してよ。家が倒れていなくても今ガスが通っていても
僅かにでも影響を受けたなら 私たちに比べたら皆「被災者」だもの。

自分の身丈の共感じゃ駄目なんですかね。
それすらもわきまえず、ただ「大変ですね」と言ってればいいんですかね。

あめーばぶろぐの某記事にコメント入れようとしたら
メンバーでなければ駄目だって。

違うブログを何気に覗いたら
「交流のある方 もしくは面識のある人のコメントしか受け付けません」とあった。

別のブログでコメントを読んでいたら
管理人賛辞の言葉が並ぶ。
少しでも批判の匂いのするコメントは、いくら礼儀正しくても
管理人のみならず他のコメンターから叩かれている。

……なんですか これ。

サイト管理人だった頃、私には「管理人」の肩書きがあった。
掲示板に書き込みした際も、
うっかりルール違反をやらかしたとしても丁寧に応対して貰えた。
同じ事を一閲覧者がやったら無視される。

私はリンクもおつきあいもしたくない。
お客の時は管理人でなく個人でいたい。

仲間とかお友達とか
一見うつくしいけど
それ以外の存在を排除する、という意味にもなる。
公園デビューの時に見た、砂場に並ぶママ友グループの背中を思い出す。

私大しかいけそうにないが、
私大コースではダレれるからと
文Ⅱを選択した息子。
「俺より頭のいい奴ばっかのクラスだから
30人中で ま 20番とれたらいいとこだな」と予防線を引く。
力ずくでそれを踏みにじりたいところだが
にっこりと「あーら あんただって頭いいもの 大丈夫よ」と微笑む。

真ん中が好きなら15番とれよ。

そう。息子は平均が好きである。普通が好きである。
好きな数字は2である。
子供の頃からそうだから、単に「1番は嫌」なんだと思っていた。
先日その話題が出た。
「だって形がいいだろ」
「2の?」
「こう 丸いとこと ここのバランスが」
……そうですかね。

夕食。「今日の豚キムチおいしい」と言う。
「天かすが入ってたら完璧だったのに」
ぎくっと思ったが、
「こっちのおかず(軟骨からあげ)が油っぽいから天かすはやめたの」
と誤魔化した。
しかし息子「忘れたんだろ。今 そういう顔したよ」だと。
「んなことで洞察力使わんでもええ! 可愛くないぞ」
忍者ブログ [PR]