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木の洞にひとりごと うろ覚えのうんちく うろうろと右往左往
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冷蔵庫の掃除。

和食・茶碗蒸し(ほうれん草とコンビーフ)
洋食・ピザ味春巻き(豚肉と新玉とトマトピュレにチーズ)
中華・上海風五目やきそば(えびと豚と野菜・オイスターソースで味付け)
韓国・トッポギ(市販のスープ使用・牛肉とねぎ トッポギ一袋)

やきそば おいしく出来ましたよ。
フライパンに油を少し多めに入れ、真ん中に焼きソバを四角いまま置き、
周囲の隙間に切った海老と豚バラうす切りを並べ、塩こしょう。
ほどよく焦げたらひっくり返し野菜を上に乗せて蓋をする。
仕上げにオイスターソースをかけまわす。
だけ。
どこが上海風かは知らん(勝手につけただけ)。
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最近見つけた店。
夜は居酒屋。
ランチ850円。

何種類かある。
とろろ御膳と、とろろ蕎麦とご飯のセット。
とんかつ御膳、からあげ御膳、まぐろとアボガド丼セット。
豚の角煮定食。
どれも小鉢が二種類選べる。
単品ではからあげ三個で200円。これがまたおいしい。
ご飯はプラス50円で大盛り。

私は二回ともとろろ御膳。だって一口おかずが4品もつくんだもん。
(一口ったって ほんとに一口じゃないよ)

実家の父が好みそうな店、と思って探した。
今日一緒に行ってきた。
お金を払う時に、傍にあった梅酒の瓶を添えて出した。
商品だと思ったんだ。
だが。
「あ お持ちください」
「え?」
「サンプルです。サービスで(梅酒を召し上がった方に)差し上げてます」
今日は梅酒、どころかビールも飲んでいない。でも
どうぞと何度も言ってくれるので受け取ってきた。

嬉しかった。
プルトーン。プルトニウム。
自然界にないものを作り上げ、玩ぶことが神への挑戦か。
或いは創造の神へと近づく事なのか。

知恵の実を喰んでエデンを追放された。
エデンにおいて人間は他の動物と、つまりは自然と同等だった。
人間は敢えてその関係を壊した。
自然界に君臨して、神に等しき存在になろうとしたのか。

キリスト教において救世主(キリスト)は天から降りてくる。
ユダヤ教において救世主(メシア)は人の中から現れる。

原発は廃止すべきである。
電力は補えるものは他の方法で供給し、
足りない分は節電すればいい。

原発からの収益に依存する地域には
他の発電によって雇用を発掘すればいい。
そんなに難しい事なのだろうか。


三県の知事。言い分はそれぞれにある。
ふと、過去に福島に落ちたお金を誰も言及しないのは何故だろうと思った。
漁業や農業で地道にやってきた県が復興を唱えるのは当然だ。
福島が原発の収束なくして復興はないと言うのも頷ける。
だが原発の恩恵を蒙っていなかった地域は
原発に頼った地域の繁栄を(そしてそれらの収入を浪費した事を)
追及したくはならないのだろうか。

復興構想議会に
哲学者が参加と新聞で見て少し呆れた。
だがその人は脱原発を以前から唱えている人だった。
都市建築ではなく、ただの建築家の肩書きしか持たない人を
私は軽んじた。でもその人は阪神の時に奔走した人だった。
知らなかった。

知らないことはたくさんある。知らないことこそ、たくさんある。
だから本当は批判したり意見したりしてはいけないのかも知れない。
けど端っこのブログでぐちぐちやるくらいはいいじゃないか。
読んで「違う」と自分の中にある意見に気づく人がいれば
それだけでも意味のある事だし
「ああ そうか」と思って貰えるなら それはそれで
……いいのかどうか 分からんが。


復興構想に正解はないなあとつくづく思う。
人の数だけそれがあるんだから。
でも これだけは私は正解と信じる。
原発は要らない。
事故がおきなくても。それが人間の領域を超えるものだと思うから。
水と太陽と土と風、空気と木々と、(天に)与えられたもので生きていくべきだ。
自然界の一部だという自覚を忘れてはいけない。


メールには財布が見つかったことしか書かなかった。

帰宅した息子は財布に突進した。
撫で回した後に開いて「あれ? お金がそのまんまだ」と言う。
「?」
「お礼渡してないの?」
ああ。「相手の人 名前も言わなかったんだって。お礼は要らないって」
「うおお 格好いいぃ」
ちくしょー かっこいいぜぇ みたいな感じで足踏みをし、
「どんな人かなあ 男の人かなあ」とうっとりと宙を見る。
着替えを済ませ、
「なんで名前言ってくれなかったんかなあ お礼言いたいぜ」とかやってる。
彼の頭の中で拾い主は
「背の高い」「20~30代、いや渋めの40代」「男の人」になってるに違いない。

買物帰りのおばさんだったらどうするんだろう。
いけいけの女子コーコーセイだったらどうするんだろう。

まあいいや。世の中に「いい人」はいる。自分もいい人になろうと思ってくれたら。
財布が戻ってきた歓びを忘れなければ彼も財布を届ける人間になる
ってかもとより彼は決して猫ばばなど出来ない性格なんであるが。

ところで猫ばばの語源ご存知だろうか。
猫が んこした後に砂をかけて隠す事だよ。

彼の性善説が裏切られなかっただけでも喜ばしいことなのに
妄想に浸る悦びまで与えてくださって 拾い主さま 本当にありがとう。


ところで私。
警察署で「ご確認くださいね」と現金と、学生証を提示され
そこに貼り付けてある息子の写真をみて吹き出してしまいました。
美少年からは程遠い彼であるが、その実物よりまだ酷い不細工がそこに写っていた。
私の反応を見て受付の人も笑った。
「いや 我が子ながら……」とごまかしてそれを財布に押し込んだ。

しかしこの写真でよかった。
彼がもしそこそこの容姿で、ものすご写りのいい写真であったなら
拾った人がイケナイ人だったらアブナイ事になるとこだった
などと
母は母でまた妄想を広げるのであった。

息子は家族が帰宅するたびに、「これを見ろ!」と財布をかざしていた。
よほど嬉しかったんだろう。

重ね重ね 拾い主さま ありがとう。

私は美味しい話は好きです。
でも食欲を刺激されるから やっぱ駄目かな。
あれがおいしいあそこがおいしいってのは罪のない話題だよね。

飽食はいけないけど
食べる事を楽しめるなら、それだけで人生明るくなる。
毎日の事だから。
今朝娘と喋っていて、宗教に入る人の気が知れないというから
現世に希望がなくなった人を繋ぎとめる意味でも必要だと言ったけど
娘にはそれが理解できない。
「そりゃね あんたには生きてく目的も手段もあるもの」
「うん!」 嬉しそうに頷く。「おいしいもの食べたいよ!」
……ちゃうやろ。でもいいよ。それでも。

私はずっとひきこもり主婦してる。
ひきこもり過ぎて、自分の知り合い関連の話を何年も経ってから他から聞く。
え そうなの? でもいいや。相談受けてないから何とかなってるんだろう。
にしてもこの人どこからそんな話を仕入れてくるのだろう。

悪い噂はすぐ広がる。いい話ってあんまり聞かないなあ。

ずっと以前。息子が公園で、他の子が振ったバットで怪我をした。
頭だったので公園にいた知り合いが携帯で救急車を呼んでくれた。
病院で検査して異常なし。
帰りのタクシーで息子に「誰が悪いの」と訊いたら自分だと言う。
近づきすぎてしまったんだって。
帰宅して一息ついたところにインターフォンが鳴る。
バットを振った男の子のご両親だ。
中に入ってと言うのに玄関先で治療費がどうのと話し出す。
息子が自分が悪いと言っているんだから要らないと言うのに帰ろうとしない。
うちも保険入ってるし。領収書は一枚だからどちらが請求するかの違い。
金額もしれてる(確か8000円前後)ことだしと
面倒になって領収書を渡した。

何日かたって知人と外出した時、女児の母親であるその人が
男の子の妹が「○○んちに3万円ふんだくられた」と言っている と話した。
真偽を疑うように私を見ている。
腹が立った。その男の子やその妹の家族にではなく、彼女に。
私はその親子をよくは知らない。女の子の事もあまり知らない。
払うのが嫌なら玄関から引き上げてくれたらよかったのに強引に払い、
挙句子供の耳のあるところでその事実をまくしたてる。
そういう人たちであったとしても、私には関係ない。
だが目の前の知人は私を知っている筈だ。
私が金額を言うと「そうなの? そのことちゃんと言った方がいいわよ」と忠告する。
「それを鵜呑みにして私を判断するなら その人はそれだけの人だ」

だがこんな正論を吐けたのも
子供が幼稚園を卒業していたからだ。
親同士のつきあいが必須でなくなっていたから。
主婦の価値観と、学生時代の価値観の相違を嫌と言うほど知っていたから。
これがその何年か前だったら落ち込んでいたかも知れない。

放っておこうと思った後に、でも息子の耳にこの噂が入ったらと
息子を呼んで話をした。××ちゃんがこんな事を言っているらしいけど。
「え でも お母さん 要らないって最初断ったじゃん」
玄関での会話を聞いていたらしい。相手が無理矢理に置いていった事も知っている。
「なら いいの? あんたが平気なら いいんだけど」
息子は何のことやらという顔で去っていった。くだらない。そうくだらない話。

だが知人の目の輝きを思い出すと、
他の知人らの「そんなこと 私に話す必要あるの?」と遮らねばならないような
さまざまな話題を思い出すと、
そういった噂話は、恐らく私がチョコパフェを前にした時のような
甘くちょっと苦く、幾許かの罪悪感を秘めた歓びを人にもたらすんだろうなと。

知らないところで噂が一人歩きしてる。
知らない人が知らないところで話している分には許せる。
でもそれを訂正する事無く知人が聞いているのは許せない。
だからいつまでたっても彼女らは「知人」で「友人」にはなれない。
ママ友という名称であっても、その友の字に友の意味はない。


息子が年長になって、私は毎日唱えていた。
あと一年 あと半年 あと三ヶ月。息子が卒園したら全部と縁が切れる。
切ってもいい。子供はもう自分の足で世界を広げる。

息子は穏やかな性格であったが、
それがために大人が利用したくなる子供だった。
彼を我慢させておけばいい。それは私もやってしまった(なんせ娘がアレだから)。
他人までがそうした。
「友達と遊ぶ時は うちの子もちゃんと仲間に入れるように言って」
要請され、真に受けて私は息子にそう諭した。だが息子だって所詮子供だ。
彼が思い通りにならない事に腹を立て、当時私に一番近かった知人に
その子の親が相談に行く。相談という名目で悪口を吹き込みにいく。

ずっと息子に我慢させてきた私への罰なんだろう。
自分を抑えるだけならまだしも、子供にまでそれを強要してしまった私への。
どんな事にも人は慣れてしまうのだ。
私はいろんな事に頑張ってきたつもりだけど
要求は増すばかり。
こちらの許容が限界になると相手の依存は満たされず怒りへと向かう。
そんな事にも気づかなかった私が馬鹿だった。

自分の子供と向き合うのが嫌で他の子供を預かってた。
そこで世界が広がって、自分が「おつきあい」というものが出来ると嬉しかった。
だがそんな時期を過ぎて、それでも「いい人」で居続けようとしたのは
人の口を気にしての事だったのだろうか。

子供のためという大義名分がなくなったら もう必要はない。
ひきこもり。

噂も届かない。

とても平和な日々である。

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